コハク川で溺れてたってのは名前取り戻すための最後のピースやけどそこに伏線付いたりすんのは逆にくどいと思うわ
あそこは幼少期の普遍的体験を思い起こさせることで見る者をノスタルジーで物語と繋ぐって要素もあると思うからクライマックスで始めて開示されるってのが逆に構成としては回想を千尋だけの体験に留めず時間軸を見る者の幼少期まで拡張させるって意味があると思うで