権藤博(23) 35勝19敗 1.70 429回1/3
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権藤博(23) 35勝19敗 1.70 429回1/3
権藤博(24) 30勝17敗 2.33 326回1/3
権藤博(25) 10勝12敗 3.83 220回2/3
権藤博(26) *6勝11敗 4.19 105回1/3
権藤博(27) .199 3本 18点
権藤博(28) .179 1本 4点
権藤博(29) .215 5本 27点 26犠打
権藤博(30) *1勝*1敗 10.80 18回1/3
権藤博(31) 現 役 引 退 間違った知識で投げ終わった後肩とか肘温めてて壊したらしいな 1998年横浜日本一の時けっこうおじいちゃんなイメージやったけど、当時まだ60歳かよ 過酷な登板に加え、当時の誤ったトレーニング・リハビリテーション方法(投球直後に肩を温めていた)に
より肩を痛めたうえに肘も故障し[15]、3年目の1963年からは球威が落ちて10勝しか挙げられず、
1964年は6勝と調子を落とした。
1965年の開幕を控えたころに西沢道夫監督から野手転向の話を受けた[17]が、当時の権藤は1年目の成功体験が
邪魔して周囲のアドバイスが素直に受け入れられなかった[17]。西沢から強いリストを生かした打撃の可能性を
評価し野手転向の勧め[17]に従って、内野手に転向し、同年は伊藤竜彦らと三塁手のレギュラーを争い81試合に
出場。1966年には開幕から2番・遊撃手として起用されるが、打撃の低迷が続く。1967年には主に三塁手として
80試合に先発出場し、セ・リーグ最多犠打を記録。ようやく打撃の何たるかを掴みかけたと感じたが、
この3年間で西沢の期待に応えたといえるほどの結果は残せなかった[17]。
ショートとサードもやってて草 本人は自分と同じように酷使された稲尾和久は自分より長い勤続年数で偉大だと称えてるんだよな 身長177cmしかないんやな
爺さんなのに妙にスラッとしてたからもっとデカいのかと思った >>15
ピッチャーとサードとショートって石井琢朗やんけ >>19
年齢考えたらでかいほうなのでは
今の選手見てる感覚やとチビになるけど この時の監督世代って戦争行ってるから
権藤が肩痛いですって言ったら
「肩痛いくらいで甘えるな戦争よりマシだ命まで取られない」
って一蹴されたらしいな 投手は試合での酷使で壊れると思われがちやが
実際は「ハイパフォーマンスを維持するためのトレーニング(※要は練習)」で壊れるものやからな
昔の投手がやたらと投げまくってるのは、一部の打者以外は手を抜きまくっても抑えられるほどレベル差が激しくて
試合日以外は全然練習しなくても好成績を維持できたから
権藤氏がどうだったかは知らんがね >>28
神様が権藤を気の毒に思って雨降らせてたらしい この年板東英二も3本柱の一角で193イニング投げて12勝してるねんな >>23
シーズンのイニング記録なら541回投げた林安夫ってのが戦時中におる
どうせ戦争で死ぬんだから壊れるまで大好きな野球をやるって言ってそうなった >>31
当時雨のように投げていた事への比喩やろ🤔 >>29
シーズン投球回数のランキングは1940年代戦争の前後あたりの投手ばっかやしな
その中に割って入ってる1960年代の権藤は当時としても異端だったんやろけどまだ戦争引きずっててもおかしくはないわな 結果出す前に酷使に耐えられずに壊れた奴らもいると考えたら
短いながらも一流の実績を作れただけ幸運とも言えるな 先発が投げまくる代わりにどっか楽してたはずやけどどのポジションなん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています