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タイムスリップワイ「信長様こちらがスマートフォンです。」織田信長「やややケッタイな」

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1それでも動く名無し 警備員[Lv.10][新芽]
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2024/10/29(火) 13:21:23.58ID:Ipm0G1YT0NIKU
信長「従来のガラケーとは違うのか?」

ワイ「形がちがいますし、パソコンみたいに画面が大きいです。早速ネットに接続してみましょう。回線速度も速くなりましたよ」

信長「ううむ、早いの!このグーグル・マップで敵陣の地形も分かるのか!」

ワイ「左様でございます。」

信長「あっぱれ!褒美をとらす!」

ワイ(戦国時代もこの程度か)
2024/10/29(火) 13:22:06.01ID:d8k17sIw0NIKU
褒美は茶碗定期
3それでも動く名無し 警備員[Lv.15][苗]
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2024/10/29(火) 13:23:04.83ID:PB72CLFb0NIKU
バリ3なんか📶
4それでも動く名無し 警備員[Lv.13][新]
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2024/10/29(火) 13:25:37.83ID:i0iLZg7U0NIKU
●織田信長の史実に最も近い肖像画

信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)が有名で教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
p://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
ps://pbs.twimg.com/media/ElauVpeU0AU2VEr.jpg
 
大徳寺の肖像は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したものでより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
(長興寺蔵)は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、他に残る信長の肖像もこれらの模写と考えられる。つまり全ての信長肖像のオリジナルがこの作品である。
また一部で"宣教師が描いた信長"と流布される写真のような「肖像画」は、当時の西欧にこのような画風は存在せず確実に"贋作"であり、まともな書籍には採用されていない。
作品には明治創業の写真館の所有印が残り、信長の肖像画からイメージして作成したモンタージュの類いだろう。
5それでも動く名無し 警備員[Lv.13][新]
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2024/10/29(火) 13:26:21.68ID:i0iLZg7U0NIKU
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで

>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。

>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。

楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652
6それでも動く名無し 警備員[Lv.1][新警]
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2024/10/29(火) 13:26:46.83ID:i0fSEXHXaNIKU
ワイ「こちらが携帯です。自分で譜面を打ち込めば着信音を変えられます」

信長「ちょっwww ガラケーwww マジうけるんですけど」

柴田「ウッソw もしかして平成おじさん?w」

前田「とのー、言っちゃわるいよーw」

信長「うむ……未来ではそのような物が発明さ……プププッ」

ワイ「ううう……」
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