うわあああああ

> 白村江の戦いののち、百済からは多数の王族・貴族が難を避けて日本に渡来した。高句麗からの使者で帰国できずに日本に帰化した者もあり、この時期、日本は多数の渡来人を迎えることになった。
 これらの人々のうち、百済の王族・貴族などは河内・近江など都の周辺に居を与えられたが、他の多くは中部地方・関東地方に配置された。これはこの地域が未開発で、人口を収容する余力があると見なされたこと、また、渡来人の技術を開発に生かそうとしたことによるのであろう。