1992年のドラフト2位で西武ライオンズに入団。150km/hを超えるストレートを武器に即戦力を期待されたが、
西武での3年間はイニング数を超える四球数を記録するなど制球力の悪さから満足な成績を挙げられなかった。
1995年シーズンオフ、ハワイ・ウィンターリーグで非公式ながら100マイル(約161km/h)を出し、幻の日本人100マイル投手として知られるようになる[3]。