これで笠井アナは「これは最期は自宅でっていうことなんだろうと察しはついて。最後、放射線治療にも入っていて全身かゆくてたまらないと。
右手か左手か水疱が出来てしまって(包帯を)巻いてるんだよって話をされていた」といい「この電話最後になるかもしれないと思って『ここまで頑張ってきましたよ』と。
8年がんと向き合ってましたんでね。そしたら『うん』という感じだったんですけど、
『私は小倉さんの一番弟子で本当にありがとうございました』と言ったら『僕の方こそ』と言ってくださいまして。それが最後のやりとりになって…」と思っていた感謝も伝えることができたという。