以下船長の面白エピソードコピペ

4月17日、船長は搬送先の病院で身分を聞かれたとき、「私はただの船員、何も知らない」などと、答えた。一部報道では、このとき船長が、20万ウォン(約2万円)の紙幣を乾かす姿が目撃されたとし、この現金が誰のものかで、他の船員と言い争っていた。
4月22日、検察・警察合同捜査本部の取り調べに対して、「尻がつらかったので飛び出したら、ちょうど救助船が来た。救助隊員が早く乗れと言うので指示に従っただけ」などと、供述した。
検警合同捜査本部の調べに対し、当初は、喫煙のため操舵室の外に出ていた、などと話していたが、下着姿だったことが明らかになると、船室でズボンを着替えようとしたが、船が傾いたので急いで出て行った、などと証言を変えたとされている。
合同捜査本部によると、私が操船していたら事故は起きなかった、などと発言した。
事故から4年前のテレビインタビューで、安全で快適な旅を提供すると笑顔で語っていた。さらに、乗務員の指示に従っていれば、フェリーは他のどの交通機関よりも安全だ、などとも語っていた。
2004年元旦、済州島の新聞に掲載されたインタビューの内容によると「初めて乗船した船が沖縄近海で転覆して、自衛隊がヘリコプターで救助してくれた。あの時に救助されていなかったら、今の私はなかった」などと語った。他にも海の危険について「人はズル賢い。だが危機を乗り越えられればそんな思いも消える。それで今日まで私は船に乗っている」などと答えたとされ、さらに「客が家族と幸せな時間をわかちあえることに慰められる」「今日も明日も、船と一緒にいるつもりだ」などと語った。
イ船長は乗客救護措置を取らずに逃げた動機について、船員だけは何とか生きなければいけないと考えた、などと述べた。