日章旗掲揚、国歌を公的な場で歌うことは1945年に全面禁止された。
商船旗としては国際信号旗のE旗の端を三角に抜いた日本商船管理局(SCAJAP)赤青白の旗が代わりに使用された。

またイギリス軍やアメリカ軍の占領地域ではそれぞれの国旗が掲揚され
GHQがアメリカ軍占領地域の警察署長や市長を通して、
日本市民に対し、畏敬の念をもって星条旗に敬礼するよう命令した例が全国各地にある。
1946年(昭和21年)からは特定の祝日や特定の行政機関のみに、国旗掲揚が限定的に許された。

1948年(昭和23年)6月に制限令を知らずに横浜で国旗を掲揚した男性が
アメリカ軍軍事法廷で重労働6か月の判決を受けるなどの判例がある。
1949年1月、GHQから国旗の掲揚が認められたが、
刑罰や「軍国主義者」というレッテル張りを警戒して、実際に国旗を掲揚した日本人は少なかった。

学校の教科書の挿絵に国旗があれば、削除の対象となった。
児童の文房具に日章旗のデザインがついている場合、学校に監視に来たMPに没収されたり消すことを命じられたりしていた。