>>231
なるほどパウロが熱心なユダヤ教徒であることを力説すればするほど
パウロの回心はそのユダヤ教、つまりユダヤ人が間違っていることを印象づけることになるため
群衆は激怒したというわけですね
特にその「元凶」であるイエスが本山である神殿に現れたと言われれば酷い冒涜のように映ったのでしょうね

さて23章ですが、22章に続き、今度は議会でのパウロと祭司や律法学者との対決です
まずパウロは大祭司アナニヤとバトりますが、5節でパウロはアナニヤを大祭司だとは知らなかったと述べています
元々率先してクリスチャンを迫害していたパウロですからアナニヤが大祭司であることを知らなかったとは
考えられないので、これはパウロの皮肉ということでしょうか?

6節では議員のなかにパリサイ派とサドカイ派がいるのを見て取ったパウロは、パリサイ派の信仰である
復活を持ち出して、それゆえに裁かれていると油を注ぎます
当然パリサイ派とサドカイ派は正面からぶつかることになり議員の間に分裂が生じます
これはパウロとしては、してやったりというところでしょうか

夜が明けると40人ほどのユダヤ人がパウロ暗殺計画を立てこれに加わります
それを聞き知ったパウロの姉妹の子がこれをパウロに知らせ、この若者を千卒長に引き合わせて
陰謀をチクらせます
ということで暗殺計画は千卒長に露呈してしまい、暗殺は未然に防がれます
パウロはカイザリヤにいる総督のところに連れて行かれ、そこで審判を受けることになります
イエスのときのピラト同様、ここでも千卒長はパウロに罪を見出さずパウロを保護するように動きます
このあたり一貫して福音書・使徒行伝はローマ人を好意的に描いているようです
このへんはやはり権威と権力を持つローマ側がイエスやパウロを正しく判断していると描くことによって
ユダヤ人側の非を強調しようとする意図があったのでしょうか?