宗教板避難所
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ルカ8:7
καὶ ἕτερον ἔπεσεν ἐν μέσῳ τῶν ἀκανθῶν,
καὶ συμφυεῖσαι αἱ ἄκανθαι ἀπέπνιξαν αὐτό.
καὶ ἕτερον ἔπεσεν 接+中単対格+三単二過 そして+他のものは+それは落ちた
ἐν μέσῳ τῶν ἀκανθῶν, 前+中単与格+冠・女複属格 〜の上に+真ん中の+茨らの
καὶ συμφυεῖσαι αἱ ἄκανθαι 接+二過分受女複主格+冠・女複主格 そして+共に成長して+茨らが
ἀπέπνιξαν αὐτό.三複過+中単対格 それらは窒息させた+それを
スロージューサー訳
そして他のものは、茨らの上に落ちた。
そして茨らと共に成長し、それらはそれを窒息させた。
参考に
https://biblehub.com/texts/luke/8-7.htm ちょっと、Sラーに、強くスコープ合わせすぎなのかもな。
もう、少し、ぼやかしても、いい。、 >>289
特定のエピソード、言行録は伝承とドグマ追加があって、このベタニアのエピソードは
マルコとルカ・ヨハネでは別の伝承を元にしている可能性があるってことですね
ルカとヨハネはドグマ的な追加を行っているが、ヨハネに関しては特にラザロのエピソードで
それが顕著である、と
イエスはこのベタニアのエピソードの前からメシアとして福音書では描かれていますが
形上、たしかにマリアによる塗油以外に油を注がれるエピソードはなかったと思います
その意味で書かれてあることの成就を重視する新約聖書ではこの場面というのは
メシアの形式的成立場面としても読めそうですね >>309
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第26章です ゲーム、課金。ツノのかっこいいキャラ、きたが、たぶん、弱い。、 将棋、強くなるには、「マナー」らしい。
もう、ちょい、がんばろ。、 ルカ8:8
καὶ ἕτερον ἔπεσεν εἰς τὴν γῆν τὴν ἀγαθὴν
καὶ φυὲν ἐποίησεν καρπὸν ἑκατονταπλασίονα.
ταῦτα λέγων ἐφώνει.ὁ ἔχων ὦτα ἀκούειν ἀκουέτω.
καὶ ἕτερον ἔπεσεν 接+中単対格+三単二過 そして+他のものは+それは落ちた
εἰς τὴν γῆν τὴν ἀγαθὴν 前+(冠・女単対格)+(〃) 〜の中へ+地+良い
καὶ φυὲν 接+二過分受中単主格 そして+生え出て
ἐποίησεν καρπὸν ἑκατονταπλασίονα. 三単過+男単対格+〃 それは〜した+実を+百倍の
ταῦτα λέγων ἐφώνει.中複対格+現分男単主格+三単未完 これらのことを+言って+彼は叫んだ
ὁ ἔχων ὦτα 冠・現分男単主格+中複対格 持つ者は+両耳を
ἀκούειν ἀκουέτω.現不定+三単現命 聴くための+彼らは聞きなさい
スロージューサー訳
「そして他のものはよい土地へと落ちた。
そして生え出て、それは百倍の実をなした。」
これらのことを言って彼は叫んだ。
「聴くための両耳を持つ者は、聴きなさい」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-8.htm 小鍛冶さん、根底スレへのコピペ ありがとうございます >>310
26章を読みました
前章に引き続き、今度はアグリッパ王にパウロが弁明する章ですね
パウロはアグリッパ王たちに敬意を払いつつも、これまでの経緯を率直に話しています
そのなかでキリストの受難と復活を、預言者たちの語ってきたことの成就として語っています
そしてそれを信じることで救われるというキリスト教信仰の要諦を述べています
これに対してフェストは気が狂っているという反応でしたが、アグリッパの方はもう少し冷静に
パウロの言を弁明というよりも宣教のように受け取っています
結果としてパウロに罪は認められない、という判断になりましたが
カイザルへの上訴がパウロの軛になるであろうと述べるアグリッパの言でこの章は終わっています
ここでの疑問点は26節のパウロのことばです
パウロの述べたキリストの受難と復活は片隅で行われたものではないので王が見逃すことはないはずだ
とパウロは言いますが、受難はまだしも復活は実際にユダヤ人たちが目撃したわけではないので
パウロたちの宣教を彼らは信じられないということになると思うので、ここは勢いに任せてパウロ(あるいはルカ)が
彼らの復活信仰を無理やり誇張して周知の事実であるかのように脚色しているように見えます
アグリッパは彼らがキリストの復活を信じていたことは知っていたかもしれませんが
キリストが復活したということを事実として知っているわけではありませんし、かつそれが事実であると
思っているわけでもありません
先生はこの箇所をどのように捉えていますか? >>317
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第27章です。
さて26節。新共同訳略解によると、
第一に前段の24節と25節のやりとりは、クセノフォン『ソクラテースの弁明』の
「頭がおかしい(マニア―)」と「理に適った事(ソーフロシュネー)」という対義語が
模倣されています。
フェストゥス「パウロ、お前は頭がおかしい(マニア―)」
パウロ「理に適ったことです(ソーフロシュネー)」
ヘンヒェン曰く「どこか片隅で起こったことではない」は「事実上、使徒言行録のはじめ
からルカが記してきたこと」
コンツェルマン曰く「ルカの全プログラム」
つまり「救いの中心的出来事」であるという意味と略解は注釈しています。
パウロの論法は
1.アグリッパ王は敬虔なユダヤ人である(大司祭の任命権あり)
2.敬虔なユダヤ人だから預言者を信じているはずだ
3.なら22節を信じているのだから、メシアの死と復活も預言されているのだから
信ずるに違いない
4.ゆえにキリスト教信仰も信ずるはずだ
ということだそうです ヒーローワーズ。ツノキャラ、強化したら、結構、強い。いける。、
もう、課金は、しない。ドクターも、課金しない方が、いいように、言ってた。、 引きだしに、ロトの盾、あった。、
金に、黒笹の万年筆の本は、ない。、 ドクター直伝の「ずるい」将棋で、ようやく、ぴよ将棋・初段+に、勝ちそうだった。
おしい。、 勝てんで、いいわ。ぴよ初段+に。「いじめられてんだ、オレ、ピヨに」。
なら、勝てなくてよい。オレ、ほぼ、将棋、今で、完成。、 俺の将棋は、攻撃的向かい飛車だ。
きょ先生なんてこれでいちころ 尾森先輩。将棋アマ名人戦、広島西部大会、B級で、準優勝だよ。
強いな。、 ルカ8:9
Ἐπηρώτων δὲ αὐτὸν οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ τίς αὕτη εἴη ἡ παραβολή.
Ἐπηρώτων δὲ αὐτὸν 三複未完+接+男単対格 彼らは尋ねた+で+彼を
οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ 冠・男複主格+男単属格 弟子たちは+彼の
τίς αὕτη εἴη 疑+女単主格+三単現希 何が+この+これは〜である
ἡ παραβολή. 冠・女単主格 譬えは
スロージューサー訳
で、彼の弟子たちは彼に尋ねた。
「この譬えは何なのでしょう」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-9.htm 広島県は、将棋のレベル高いと、思う。B級優勝の力あるが、ワザと力抜いて、準優かも、
しれんしね。、 熊本のほうがレベル高いやろ
二代伊藤宗印が熊本やで 広島は升田幸三ぐらいやろ オレが、アマの大会で、実績作ると、「汚点」に、なる気がする。
やめとこ。、 >>318
「片隅で行われたのではない」というのは復活が公然と多くの人の前で行われたということではなく
救いの中心的な出来事であった、という意味で書かれていると解釈されるわけですね
そしてその出来事は聖書に預言として書かれているので、経験なユダヤ人であるアグリッパ王が
見逃すはずはない、というのがここでの論旨ということですね
さて27章はパウロがローマに向けて海路、護送されていく箇所ですが
船は幾多の困難に遭うことになります
書いてあることが事実であるかどうかは分かりませんが
パウロは予言めいた忠告をしますが聞き入れられず、船は暴風に巻き込まれます
また例によって神の御使いからことばを授かったりしてます
ちょっと流れとして分かりにくいのは、18-19節で船具を含む船荷を投げ捨て
21節で長い間食事もしないで、と書いてあり、さらに33節では十四日間も何も食べていなかったと
書いてあるのに、なぜ276人もの人が38節にあるように十分に食事をし、なおかつ穀物を投げ捨てるほど
潤沢に食べ物があったことになっているんでしょうか?
それだけの食べ物があれば十四日も断食せずに毎日少しずつ食料を食いつないでいくことは
できたように思います >>332
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第28章です。
21節について略解は、「船酔いなどで食べられない状態のこと」と解説しているが
どちらかというと訳が悪いのです。
原文ἀσιτίαςは、α否定の接頭語+σιτος(穀物・食べ物)で、原意は「食料がない」という
意味ですが、実際の用法ででは「食べない状態」のことです。
海が大荒れで、船酔いし、「食べない状態」だったということです。
なので田川建三は「ひどく食べれない状態になった」と訳しています。
原文直訳は「大きな食べれない状態があった」です。
陸地に近付いた時、船酔いで14日間食べずにいた人たちにパウロはパンを
割いて食べましょうと勇気づけたということですね
ちなみに、「276人」という写本と「およそ76人」という写本があり、
有力写本のほとんどがは276人なので276人が本文として採用されていますが
「およそ76人」が原文であった可能性も50%程度あるようです。
フランシスコ会訳註は両説を紹介した上でヨセフス『自伝』に600人乗りの記述が
あるので古代でも276人はありうるとしています。でもヨセフスの数字はたいてい
オーバーなので説得力はないです。
38節で積み荷である穀物を捨てたのは座礁回避ですね。喫水をあげるためです
しかしそれでも座礁してしまいます。 ヒーローワーズで、勝っても、しゃあない。
自分の性格が、小回り効かん所が、イヤ。
ドンクサイ、自分が、イヤ。、 PCで、無料・課金ゲーム、HeroWarsやってるよ。
超おすすめ。、 俺の課金ゲームをしている。
市民農園を借りて、野菜栽培ゲーム。
たのしいぞー スロさんは、野菜栽培で、いいかも。
惜しくも3冠王を逃した選手たち。阪急加藤英司、率@364A35本@104点、
おしい。、 997 栄進軍曹 ◆KBl5hH0VXM [] 2022/03/30(水) 18:17:26.66 ID:Tn2WEZz3
>>992
イエスキリストの奇跡はガチで本当だった
パンを無限に創造したり水をワインに変えたり病気を治したり
物理法則に反してると科学者は笑う
いいえ
物理法則を【創造】したのは当の科学者本人です
イエスキリストの時代に物理法則は【存在しなかった】
だから全知全能のイエスキリストは、奇跡を起こし放題なんです
だって自分を神様だと【確信】するだけで物理法則に反した奇跡を起こせるのだから
では現代人の我々が奇跡を起こせないのは何故か?
それは科学者が物理法則を創造して、世界は宇宙は物理法則に縛られる世界観に転換したから
オーケー?ベイビー ルカ8:10
ὁ δὲ εἶπεν. ὑμῖν δέδοται γνῶναι τὰ μυστήρια τῆς βασιλείας τοῦ θεοῦ,
τοῖς δὲ λοιποῖς ἐν παραβολαῖς, ἵνα βλέποντες μὴ βλέπωσιν
καὶ ἀκούοντες μὴ συνιῶσιν.
ὁ δὲ εἶπεν. 男単主格+接+三単二過 彼は+で+彼は言った
ὑμῖν δέδοται 二複与格+三単完受 あなたがたに+それは与えられた
γνῶναι τὰ μυστήρια 二過不定+冠・中複対格 知る事が+秘儀らを
τῆς βασιλείας τοῦ θεοῦ, 冠・女単属格+冠・男単属格 王国の+神の
τοῖς δὲ λοιποῖς 冠・接・男複与格 で+残りの者たちに
ἐν παραβολαῖς, 前+女複与格 〜で+譬えら
ἵνα βλέποντες μὴ βλέπωσιν 接+現分男複主格+否定+三複現接 なぜなら+見る+彼らは見ない
καὶ ἀκούοντες μὴ συνιῶσιν.接+現分男複主格+否定+三複現接 そして+聴く+彼らは理解しない
スロージューサー訳
で彼は言った。「あなたがたに神の王国の秘儀らを知ることが与えられた。
で、残りの者たちに譬えらで。
なぜなら見ても彼らは見ない。そして聴いても彼らは理解しないからだ」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-10.htm >>333
あ、そういうことだったんですね
わたしはてっきり船を軽くして座礁をさけるために食料を含む船荷を海に投げ捨てたことが理由で
食べ物を食べることができなかったのだと思ってました
激しい暴風の中、船が大きく揺れて船酔いが酷かったので、みな食事ができなかった、ってことなんですね
言われてみれば、わたしも北海道から船で東京に戻ってくるとき、台風に当たってしまって
酷い船酔いを経験したことがありました
一晩中、休むことなく上下に動いているエレベーターに乗ってるようなもので
たしかに食べ物なんか胃に入れることができる状態じゃなかったですね
さて使徒行伝もいよいよ最終章ですね
パウロたちはマルタと呼ばれる島にたどり着き、そこで歓待を受けます
パウロは焚き火に柴をくべていたところ熱気に当てられたまむしが出てきて手を噛まれてしまいます
島の人達はそれを神罰のように捉え彼を人殺しと考えますが、パウロの身に変化がなかったのを見て
一転して今度は神様だと言い出します
こういった叙述からは島の人はローマの文明人というよりも、未開の民族のように感じられます
その後パウロは例によって病の癒しを行い、島の住民に尊敬されるに至ります
なんと悠長に三ヶ月も島で過ごしたあと、ついに出航となりますが、その後も他所で3日だとか7日だとか
悠長に滞在してます
本当に囚人の護送なのでしょうか?w
ようやくローマにたどり着いたパウロはそこのユダヤ人たちを前に話をすることになりますが
ここでもパウロの信仰を受け入れる者と拒む者に分かれます
それを見て、パウロはイザヤを引きながらユダヤ人の頑迷さと異邦人伝道の正当性を語ります
そうしてパウロはその後2年に渡ってローマで伝道しますが、使徒行伝はここで終わっています
その後のパウロがどうなったのかルカは何も語りません
ルカがここで筆を置いた理由はいったい何だったのでしょうか?
またパウロはこの後実際にどうなったのでしょうか?伝承ではローマで殉教したことになってますが >>347
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第61篇です。
使徒行伝、ご苦労様でした。
二節の「土地の人々」の原文はバルバロイ(野蛮人)です。
難破して助けて貰った上に親切にされたのに著者はバルバロイと島民を呼んでいます。
ギリシア語を喋らない未開人エピソードとして、「人殺し」から「神様」への転換です。
島で三か月を過ごしたのは悠長なわけではなくて、冬季は海が荒れるので安全の
ために欠航するのが常だったからです。
>本当に囚人の護送なのでしょうか?w
立場は未決囚のはずですが、ほぼ無罪確定なので、囚人扱いされてないようです
>ルカがここで筆を置いた理由はいったい何だったのでしょうか?
パウロは無罪だけども皇帝に上訴した不敬で刑死したのですが(26:32)、無罪なので
二年間、かなり自由に非ユダヤ人と交流できたが、ローマのユダヤ人たちとは
決別し、パウロの宣教は屋敷を訪ねて来た者に対してのみでさびしいもので
ローマのクリスチャんからもあまり重視されなかったので著者は書けなかったのかも
ですね。刑死しただけで復活したわけではないので尻切れとんぼなのかもです
ハーパー注解は、第一にパウロにおいて神の意図が成就した。訪ねて来た異邦人に伝道し
第二にパウロと「この道」への嫌疑が晴れて、両者はローマの保護の下、物語全体を
通して、その働きを続け、栄えていき、「大胆に、何の妨げも無く」宣教を続けること
ができる、ということであ。結局、福音は抑えられないということが判明するのである
と主張しています。 >>344
>パンを無限に創造したり水をワインに変えたり病気を治したり
パンを無限に創造した事実はない。イエスは単に五千人を百人から五十人の組に分け
パン五つと魚二匹を組ごとに分けただけである。
食べた後、パンくずが12籠分になったのだから、イエスが分け与えたパン以外に
それぞれの組の者らもパンを持っていたのであろう。
水をワインに変えた事実もない。料理長を事前に買収して水を上等のワインと言わせた
だけである。庶民の酔客は上物のワインの味などわからないので料理長の言葉を信じたのである
病気癒しは事実である。日本語でも手当というように、手をかざすと不思議な力が
働いて病気が癒されるのである。
原理としては汚れた霊が追い出されて治るというシステムである
量子力学だと実証できるかもだぞ。量子力学のことは知らんが。 3/26 伝道事業部長殿のお言葉
人間とはよろこび踊る存在だ。ゆえに
身体を、踊ることができないように
拘束したり・傷つけたり・破壊したりすることは、人間性に対する冒涜だ。
3/27の伝道事業部長殿のお言葉
天国に持って行けるアイテムは何もない。
ただ信仰と希望と愛を除いては
3/28の伝道事業部長殿のお言葉
自分の生活の中に1000通りの偶像崇拝がある。
3/29の伝道事業部長殿のお言葉
3秒ごとに神の善意を信じる決断を更新する
3/30の伝道事業部長殿のお言葉
主イエースースが再臨されるためには、まず我々が悔い改めなければならない 「『おんし』。シズシズ。」(ジイ・21年前の虫の知らせ) 「アンポン(オレ)の頭に、鳥が。」(オネエ・21年前の虫の知らせ) >>349
病気治しの奇跡だけ信じて、それ以外は非科学的だと否定される
でも病気治しだけは科学的で許される
ならなぜパンを無限大に増やしたり水をワインに変えた奇跡も科学的に考察されないんですか?
同じ理屈でしょう >>355
ちと待ちなさい。
聖書に書いてある通り、説明しているのである。
聖書は一言も水をワインに変えたとはない
また五個のパンを割いて5000人配ったとはあるが、
五個のパンが五千個のパンになったとは書いていないのである
しかーし! 病気は癒されたのである。
栄進君の病気も信ずればすぐ治る >>356
しかしキリスト教徒は、パンを無限大に配られた奇跡であると信じています
キリスト教の本質とは、現代科学において有り得ない事象を受け入れるのが信仰の証です
信じるものは救われると
こっちは科学的で信じる、こっちは非科学で信じない
それが果たしてキリスト教徒でしょうか?
アメリカの福音派の街では恐竜の博物館テーマパークがあります
そこでは天地創造が再現され、恐竜と人間が共存している
これを福音派は、ガチで信じ込んでる
この態度を非科学であると否定なさるのでしょうか? >>357
>キリスト教徒は、パンを無限大に配られた奇跡であると信じています
そんな教会はない。あればカルトであり、キリスト教ではない
>現代科学において有り得ない事象を受け入れるのが信仰の証です
それは誤解です。
>信じるものは救われると
信仰と言う言葉の原語はピスティスです
まず神のピスティスがあります。真実など訳されます。
それを信徒が受け取ると、信仰と訳されるピスティスとなるのですが
そもそもピスティスは神の側にあるのです キリスト教は、カトリックと正教とプロテスタントメインランです。
福音派はキリスト教の落ちこぼれ。仏教で言うとそーかです。
といっても大勢の福音派穏健派は創造科学なんてあほなことは言いません。
クールです。原理主義的なおかしい人たちが変な事を言っているだけです
だから、日本のバプテスト派(西南大学系 ばぷ蓮)は本家のアメリカの南バブと手を切ったほどです ルカ8:11
Ἔστιν δὲ αὕτη ἡ παραβολή.
ὁ σπόρος ἐστὶν ὁ λόγος τοῦ θεοῦ.
Ἔστιν δὲ 三単現+接 それは〜である
αὕτη ἡ παραβολή. 女単主格+冠・女単主格 このこと+譬えは
ὁ σπόρος ἐστὶν 冠・男単主格+三単現 種は+それは〜である
ὁ λόγος τοῦ θεοῦ.冠・男単主格+冠・男単属格 言葉+神の
スロージューサー訳
この譬えは、このことである。
種は神の言葉である。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-11.htm >>358
宗教の真実と、科学の真実は両立しないとのお考えでしょうか? 精神の薬が、ようやく薄くなったのと、宗教板に、書き込めなくなったのが、
同時期。なんなんだろうね。、 >>361
現象面で言うと
両立させているのがカトリックと正教とプロテスタントメインラインです。
対立すると考えて近代以前の聖書解釈に閉じ籠っているのが福音派です。
本質論で言うと
神の真実は、人間の科学における真実を遙かに凌駕していますが、
進歩した人間の科学と矛盾するものでは無いのです >>348
原文ではもろにバルバロイなんですね
なるほど冬季で海が荒れるので航海を控えていたということですね
ローマ法に照らせば罪が認められないので未決囚とはいえ、扱いは丁重だったわけですね
ローマでもそういうわけで比較的自由に活動はできたけれども、他の地ほどの成果は上がらなかった
ので、ルカはその後を描けなかった可能性がある、と
26章32節はパウロが皇帝に上訴した不敬罪で刑死したことを暗示しているということですか
さて今度は詩篇ですね
今回は短い箇所ですが、5節まではダビデの祈りかと思いましたが
6節以降、恩寵の対象が「王」「彼」となっているので、この章の筆者はデビでの臣下ということですか?
それともダビデ自身が自分を第三者的に表現しているということでしょうか? >>363
同意します
つまりは、キリスト教主流派は科学に妥協している
そして科学が進歩すれば、いずれ科学は行き詰まり、キリスト教の真理こそが正しいと証明される日が来る
我々はその日が来るまで、方便としての科学を受け入れてるに過ぎない
しかし、所詮は人間である我々は、未だ神の真実を知らないので議論は早計である
という理解でいいのでしょうか? >>364
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第62篇です。
不敬罪は私の勝手な推測です。
詩編のヘブライ語名は「テヒリーム」(讃美歌集)だそうです。
それがギリシア語訳されると「プサルモイ」(詩集)となり、これがラテン語となり
我々はこれを踏襲して「詩編」と呼んでいるそうです
フランシスコ会訳註によると複数説あるそうです
1.ダビデ王が自分の息子のアブサロムに叛かれ、エルサレムを出てマハナイムへ逃れた
時の作(サムエル下15-19章 特に17:24)「地の果て」(3節)を誇張と解釈する
2.逆に「地の果て」(3節)を解釈してバビロン捕囚中の者が作者とする説
3.更にエルサレム神殿を遠く離れたレビ人が作者説。今まで体験して来た安寧と
ダビデ系の王の統治下の宗教的安寧(7-8節)を求める祈りだとする説
これらを紹介した上でフランシスコ会訳註は
「一番適切と思われるのは、全体を王の嘆願と解して、7-8節の三人称を宮廷語法と
みて、王が自分のために祈ったとする説であろう」とのこと。
ハーパー注解は、レビ人に由来する嘆きの歌。主人公は病者。捕囚にあるイスラエル人。
あるいは苦しみのうちにある王と思われるがはっきりしないとのこと。
解釈立場として「イスラエルの祈りが包括的なもの」になっているとのこと。
1.神への呼びかけに始まり(2-3節a)
2.救済を祈り(3b-5節)
3.感謝をもって締めくられる(6,9節)
4.7-8節は異なる音律で書かれた王の為の執り成しの祈りであり、付加分である。
その上で3節の「地の果て」は曖昧さを残しおり
「捕囚」(イザ41:5,42:10)、「死の危機」(ヨナ2:7-8)かを確定できないそうです。 >>366
我々は人間であると言う事において限界を持つ存在ですが、
神に似せられて創造されたという事実によって、知性を有しています。
しかしながら人間の知性はいつも不完全ですので常に更新されるという性格を持ちます。
その上で古代人に聖書が与えられました。
古代人の知性レベルにあわせて比喩で真実が示されました。
近代人はその比喩を知性によって再解釈しました。
そして近代知性を受け入れた普通人キリスト教徒と
近代知性に反発して古代聖書に閉じ籠ろうとした福音派へと別れました。
これは二分化されたのではなく、黒から白の間にいろんな灰色があります。
つまり千差万別の濃淡があるわけです。そして揺り戻しもあります。
1970年代が一番知性的な時代です。80年代から反知性的な保守派が知性顔で活躍しだし
2020年代は知性が後退している時代です きょ先生がいないと歓談室が、ウンコ話とエロけんじ君に席巻されているわ
ピッピ先生に復活してもらいたいところだな 朝、レジ、Sラー。オテフキくれた。今日、エイプリルフール。、 ニコニコ将棋民のおふざけが、すぎた結果、将棋板が、なくなっとう。、 150年後に、掘り出されるタイムカプセルの言葉を、今、ここに、書きます。
「・・・」。 将棋24、今日、2勝0敗。484点。
510点前後、目標に。、 将棋の勝利は、もう、控え気味に。
読書とか、他のことせんと。、
でないと、人生に、勝てん。、 ルカ8:12
οἱ δὲ παρὰ τὴν ὁδόν εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,
εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος καὶ αἴρει τὸν λόγον ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν,
ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν.
οἱ δὲ 男複主格+接 それらは+で
παρὰ τὴν ὁδόν 前+冠・女単対格 〜に沿って+道
εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, 三複現+冠・男複主格 それは〜である+聴く者たちが
εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος 副+三単現+冠・男単主格 その後+彼がやって来る+告発者が
καὶ αἴρει τὸν λόγον 接+三単現+冠・男単対格 そして+彼は奪い去る+言葉を
ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν, 前+冠・女単属格+男複属格 〜から+心+彼らの
ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν. 接+否定+過分男複主格+三複過接受 〜するために+信じて+救われる事が無い
スロージューサー訳
で、道に沿っての者たちは、聴く者たちではあるが、
その後に告発者がやってきて、そして御言葉を彼の心から奪い去る。
信じて救われることがないように。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-12.htm >>367
英語ではPsalmですからラテン語由来ですね、Pは黙字ですが
ギリシャ語(コイネー)であれば聖書外文献もあり、またラテン語など同時代文献も豊富なので
新約聖書を文献学的・歴史学的に釈義するための言語資料に恵まれていますが
ヘブライ語は実質的にまともな資料がヘブライ語聖書だけになるので、当然ギリシャ語聖書に比べて
正確な釈義が困難になりますね
わたしは1.やフランシスコ会訳註に近い推測をしましたが、結局のところ決定打はないようですね
さて62章ですが61章からの続きなのかどうか分かりません
とりあえず神に対する賛美あるいは祈りの詩文という点は共通しているようです
今回気になったのは12節です
明確な表現で因果応報が述べられています
これはヨブ記を読んだときにも問題になった世界観ですが
ヘブライ語聖書にはこの因果応報観が散見されるようです
そういえば61章でも疑問に思ったのですが、この[セラというのはいったい何なのでしょうか? >>379
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はヨハネ13:1-20です。
私の専門はパウロ、特にコリント書なので、コリント書についてはコリント書の注解を
数冊持っていますが、ヘブライ語聖書についてはアウトラインを知る程度なので
ご迷惑をおかけしています。フランシスコ会訳註とハーパー注解のみが頼りです。
セラは、本来欄外注だったものが、なぜか本文になってしまったものだそうですが、
約150詩中39の詩に71回出て来るそうです。これがなにか解明されていないそうです。
ただ伴奏・節・声などを表す表題の何かだろうと推定されていて
1.休止あるいは合間の奏楽を指す。あるいは、そこで永唱を唱えることを指す
2.調子を上げる、あるいは音色を変える
3.最初から、あるいはセラの前のセラの個所から反復する
以上、フランシスコ会訳註より。 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉
主イエースースは俺のマブダチである。
今日も一緒に商店街を散歩して、銭湯に浸かってコロッケを買って
共に帰宅するのである
昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉
庵野モモコの「おチビさん」は癒されるが
庵野秀明が制作した『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』は、グロい。 寝れなかったのと、課金して、ゲームやりまくった(おもしろかった)ので、
血圧高いわ。養生。、 本日は畑5h ほぼ土木作業員である
ディナーは麻婆豆腐だという おなかぺこぺこである
とりあえず花粉対策にスチームを鼻とのどにあてる >>385
小林麻耶の海老蔵、ディスリ動画、(ユーチューブ)、もう、見ました? ルカ8:13
οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας
οἳ ὅταν ἀκούσωσιν μετὰ χαρᾶς δέχονται τὸν λόγον,
καὶ οὗτοι ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν,
οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ ἀφίστανται. οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας男複主格+接+前+冠・女単属格 者たちは+で+〜上に+岩の
οἳ ὅταν ἀκούσωσιν 男複主格+接+過分男複主格 彼らは+〜した時+聴いた
μετὰ χαρᾶς 前+女単属格 〜共に+喜び
δέχονται τὸν λόγον,三単現+冠・男複対格 彼らは受け取る+御言葉を
καὶ οὗτοι 接+男複主格 そして+この者らは
ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν, 女単対格+否定+三複現 根を+彼らは持たない
οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν 男複主格+(前・男単対格)+三複現 彼らは+しばらくは+彼らは信じている
καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ 接+前・男単与格+男単属格 そして+〜に+時+試みの
ἀφίστανται. 三複現中動 彼らは離れて行く
スロージューサー訳
岩の上の者たちとは、彼らが聴いた時、喜んで御言葉を受け取る。
そしてこの者らは根を持たない。
彼らはしばらくは信じている。そして試みの時に彼らは離れて行く。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-13.htm 小林麻耶がエビ嫌いと言っているのは知っている
小林麻耶って伸介と結婚したんだっけ? 母と、ケンカ。
機嫌よく・調子良く、すごしていかないと、自分が損。、 サティは自我肥大した醜悪な化け物
キリスト教信仰がここまで醜い人間を作り上げた >>380
いえ、新約に限らずヘブライ語聖書についてもいろいろと参考にさせていただいています
セラは詩篇の詩句が謳われる際の伴奏・節・声などを指示する音楽記号と推測されているということですね
音楽記号だとすれば原語で発したものを読まない限り、さして意味がないことになるので
これからは気にせずに読むことにします
さて今日のヨハネの箇所ですが、イエス受難前の弟子たちへの洗足の場面ですね
イエスは手本であると言っています
つまり自分を低くして相手に尽くす行為のあり方を自ら弟子たちに示したものと思われます
この場面ではイスカリオテのユダも絡んできますが、18節にある
『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』という聖句は
ユダの裏切りを示していると取っていいのでしょうか?例によって預言の成就という形になっていますが
ユダの裏切りが最初から神の予定されていたことであるならば、それはユダ自身には責任を負うべき
自由意志がないことになり、ユダに罪はないことになるかと思います
自由意志と予定の整合は一般論としても神学的に困難な問題だと思いますが
ユダの裏切りは神の予定にとって必要な行為でありながら、その行為は悪とされユダに帰責されるため
ユダという一個人の尊厳に焦点を当てた場合、常に割り切れないわだかまりが残る箇所だと個人的には感じます 昨日は、将棋じゃなくゲームで、疲れたんだ。ゲームを、やめよ。、 小林麻耶と、海老蔵、詐欺師と、オレ。
三すくみみたいになっとるな。、 >>395
atheistくん、こんばんは。明日の聖句は詩編第63篇です。
聖書が成就したと言いたがるのは原ヨハネの著者ではなくて、
教会的編集者ですね。でヘブライ語原文と70人訳は「かかとを大きくした」という
表現ですが、教会的編集者は、わかりやすく「かかとをあげた」と変えています。
詩編41:9
わたしの信頼した親しい友、
わたしのパンを食べた親しい友さえも
わたしにそむいてくびすをあげた。
ユダの裏切りがまずあって、ヘブライ語聖書にその根拠を探して
詩編を発見し、予言が成就したという物語にしたのでしょう
実際の所は会計係という要職者で、信頼の厚かっただろうユダが
裏切ったことに残された者たちはかなりのショックを受けたので
その意味を予言されていたという形で再解釈したのかもですね
一方で裏切者ユダに対する憎悪はMaxな形で常に語られるので
矛盾しているということでしょう 大学の時、囲碁将棋部、オレが、入って、変わってしまったと、鈴木に、言われた。
ちょっと、将棋、離れてみるか。、 >>398
元々はちょっと表現が違うんですね
まず裏切りという行為があって、それをなんとか預言の枠組みで解釈しようとして
ある意味かなり強引に聖句を探して当てはめている、って感じですかね
ところがそうするとそうしたで、ユダに対する憎悪とは乖離が生じてしまい
読者には矛盾した印象を与えてしまうんでしょうね
詩篇は賛美と祈りが主体なので、非信仰者にはなかなか共感が難しい書ですが
なにか新しい気づきを発見するつもりで読んでいきたいと思います >>401
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第63篇ですね
私が小学生の頃は新約だけの聖書。新約+詩編の聖書があり、教会では
詩編は愛されているようです 8:14
τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,
καὶ ὑπὸ μεριμνῶν καὶ πλούτου
καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου πορευόμενοι συμπνίγονται καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν. τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, 冠・接・前+女複対格+二過分中単対格 で+〜の中へ+茨+落ちたもの
οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,中複主格+三複現+冠・過分男複主格 この者らは+彼らは〜である+聴いていた者
καὶ ὑπὸ μεριμνῶν 接+前+現分男単主格 そして+〜によって+心配すること
καὶ πλούτου 接+男単属格 そして+富の
καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου 接+女複属格+冠・男単属格 そして+諸快楽の+人生の
πορευόμενοι συμπνίγονται 現分男複主格+三複現受 旅路を行く時+彼らは窒息させられる
καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν.接+否定+三複現 そして+彼らは実を結ばない
スロージューサー訳
で茨の中のものとは、この者たちは聴いたが、そして心配そして富そして人生の諸快楽によって
旅路を行く時、窒息させられる。そして彼らは実を結ばない。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-14.htm ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています