>>318
「片隅で行われたのではない」というのは復活が公然と多くの人の前で行われたということではなく
救いの中心的な出来事であった、という意味で書かれていると解釈されるわけですね
そしてその出来事は聖書に預言として書かれているので、経験なユダヤ人であるアグリッパ王が
見逃すはずはない、というのがここでの論旨ということですね

さて27章はパウロがローマに向けて海路、護送されていく箇所ですが
船は幾多の困難に遭うことになります

書いてあることが事実であるかどうかは分かりませんが
パウロは予言めいた忠告をしますが聞き入れられず、船は暴風に巻き込まれます
また例によって神の御使いからことばを授かったりしてます

ちょっと流れとして分かりにくいのは、18-19節で船具を含む船荷を投げ捨て
21節で長い間食事もしないで、と書いてあり、さらに33節では十四日間も何も食べていなかったと
書いてあるのに、なぜ276人もの人が38節にあるように十分に食事をし、なおかつ穀物を投げ捨てるほど
潤沢に食べ物があったことになっているんでしょうか?
それだけの食べ物があれば十四日も断食せずに毎日少しずつ食料を食いつないでいくことは
できたように思います