宗教板避難所
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>>358 宗教の真実と、科学の真実は両立しないとのお考えでしょうか? 精神の薬が、ようやく薄くなったのと、宗教板に、書き込めなくなったのが、 同時期。なんなんだろうね。、 >>361 現象面で言うと 両立させているのがカトリックと正教とプロテスタントメインラインです。 対立すると考えて近代以前の聖書解釈に閉じ籠っているのが福音派です。 本質論で言うと 神の真実は、人間の科学における真実を遙かに凌駕していますが、 進歩した人間の科学と矛盾するものでは無いのです >>348 原文ではもろにバルバロイなんですね なるほど冬季で海が荒れるので航海を控えていたということですね ローマ法に照らせば罪が認められないので未決囚とはいえ、扱いは丁重だったわけですね ローマでもそういうわけで比較的自由に活動はできたけれども、他の地ほどの成果は上がらなかった ので、ルカはその後を描けなかった可能性がある、と 26章32節はパウロが皇帝に上訴した不敬罪で刑死したことを暗示しているということですか さて今度は詩篇ですね 今回は短い箇所ですが、5節まではダビデの祈りかと思いましたが 6節以降、恩寵の対象が「王」「彼」となっているので、この章の筆者はデビでの臣下ということですか? それともダビデ自身が自分を第三者的に表現しているということでしょうか? >>363 同意します つまりは、キリスト教主流派は科学に妥協している そして科学が進歩すれば、いずれ科学は行き詰まり、キリスト教の真理こそが正しいと証明される日が来る 我々はその日が来るまで、方便としての科学を受け入れてるに過ぎない しかし、所詮は人間である我々は、未だ神の真実を知らないので議論は早計である という理解でいいのでしょうか? >>364 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第62篇です。 不敬罪は私の勝手な推測です。 詩編のヘブライ語名は「テヒリーム」(讃美歌集)だそうです。 それがギリシア語訳されると「プサルモイ」(詩集)となり、これがラテン語となり 我々はこれを踏襲して「詩編」と呼んでいるそうです フランシスコ会訳註によると複数説あるそうです 1.ダビデ王が自分の息子のアブサロムに叛かれ、エルサレムを出てマハナイムへ逃れた 時の作(サムエル下15-19章 特に17:24)「地の果て」(3節)を誇張と解釈する 2.逆に「地の果て」(3節)を解釈してバビロン捕囚中の者が作者とする説 3.更にエルサレム神殿を遠く離れたレビ人が作者説。今まで体験して来た安寧と ダビデ系の王の統治下の宗教的安寧(7-8節)を求める祈りだとする説 これらを紹介した上でフランシスコ会訳註は 「一番適切と思われるのは、全体を王の嘆願と解して、7-8節の三人称を宮廷語法と みて、王が自分のために祈ったとする説であろう」とのこと。 ハーパー注解は、レビ人に由来する嘆きの歌。主人公は病者。捕囚にあるイスラエル人。 あるいは苦しみのうちにある王と思われるがはっきりしないとのこと。 解釈立場として「イスラエルの祈りが包括的なもの」になっているとのこと。 1.神への呼びかけに始まり(2-3節a) 2.救済を祈り(3b-5節) 3.感謝をもって締めくられる(6,9節) 4.7-8節は異なる音律で書かれた王の為の執り成しの祈りであり、付加分である。 その上で3節の「地の果て」は曖昧さを残しおり 「捕囚」(イザ41:5,42:10)、「死の危機」(ヨナ2:7-8)かを確定できないそうです。 >>366 我々は人間であると言う事において限界を持つ存在ですが、 神に似せられて創造されたという事実によって、知性を有しています。 しかしながら人間の知性はいつも不完全ですので常に更新されるという性格を持ちます。 その上で古代人に聖書が与えられました。 古代人の知性レベルにあわせて比喩で真実が示されました。 近代人はその比喩を知性によって再解釈しました。 そして近代知性を受け入れた普通人キリスト教徒と 近代知性に反発して古代聖書に閉じ籠ろうとした福音派へと別れました。 これは二分化されたのではなく、黒から白の間にいろんな灰色があります。 つまり千差万別の濃淡があるわけです。そして揺り戻しもあります。 1970年代が一番知性的な時代です。80年代から反知性的な保守派が知性顔で活躍しだし 2020年代は知性が後退している時代です きょ先生がいないと歓談室が、ウンコ話とエロけんじ君に席巻されているわ ピッピ先生に復活してもらいたいところだな 朝、レジ、Sラー。オテフキくれた。今日、エイプリルフール。、 ニコニコ将棋民のおふざけが、すぎた結果、将棋板が、なくなっとう。、 150年後に、掘り出されるタイムカプセルの言葉を、今、ここに、書きます。 「・・・」。 将棋24、今日、2勝0敗。484点。 510点前後、目標に。、 将棋の勝利は、もう、控え気味に。 読書とか、他のことせんと。、 でないと、人生に、勝てん。、 ルカ8:12 οἱ δὲ παρὰ τὴν ὁδόν εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος καὶ αἴρει τὸν λόγον ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν, ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν. οἱ δὲ 男複主格+接 それらは+で παρὰ τὴν ὁδόν 前+冠・女単対格 〜に沿って+道 εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, 三複現+冠・男複主格 それは〜である+聴く者たちが εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος 副+三単現+冠・男単主格 その後+彼がやって来る+告発者が καὶ αἴρει τὸν λόγον 接+三単現+冠・男単対格 そして+彼は奪い去る+言葉を ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν, 前+冠・女単属格+男複属格 〜から+心+彼らの ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν. 接+否定+過分男複主格+三複過接受 〜するために+信じて+救われる事が無い スロージューサー訳 で、道に沿っての者たちは、聴く者たちではあるが、 その後に告発者がやってきて、そして御言葉を彼の心から奪い去る。 信じて救われることがないように。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-12.htm >>367 英語ではPsalmですからラテン語由来ですね、Pは黙字ですが ギリシャ語(コイネー)であれば聖書外文献もあり、またラテン語など同時代文献も豊富なので 新約聖書を文献学的・歴史学的に釈義するための言語資料に恵まれていますが ヘブライ語は実質的にまともな資料がヘブライ語聖書だけになるので、当然ギリシャ語聖書に比べて 正確な釈義が困難になりますね わたしは1.やフランシスコ会訳註に近い推測をしましたが、結局のところ決定打はないようですね さて62章ですが61章からの続きなのかどうか分かりません とりあえず神に対する賛美あるいは祈りの詩文という点は共通しているようです 今回気になったのは12節です 明確な表現で因果応報が述べられています これはヨブ記を読んだときにも問題になった世界観ですが ヘブライ語聖書にはこの因果応報観が散見されるようです そういえば61章でも疑問に思ったのですが、この[セラというのはいったい何なのでしょうか? >>379 atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はヨハネ13:1-20です。 私の専門はパウロ、特にコリント書なので、コリント書についてはコリント書の注解を 数冊持っていますが、ヘブライ語聖書についてはアウトラインを知る程度なので ご迷惑をおかけしています。フランシスコ会訳註とハーパー注解のみが頼りです。 セラは、本来欄外注だったものが、なぜか本文になってしまったものだそうですが、 約150詩中39の詩に71回出て来るそうです。これがなにか解明されていないそうです。 ただ伴奏・節・声などを表す表題の何かだろうと推定されていて 1.休止あるいは合間の奏楽を指す。あるいは、そこで永唱を唱えることを指す 2.調子を上げる、あるいは音色を変える 3.最初から、あるいはセラの前のセラの個所から反復する 以上、フランシスコ会訳註より。 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉 主イエースースは俺のマブダチである。 今日も一緒に商店街を散歩して、銭湯に浸かってコロッケを買って 共に帰宅するのである 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 庵野モモコの「おチビさん」は癒されるが 庵野秀明が制作した『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』は、グロい。 寝れなかったのと、課金して、ゲームやりまくった(おもしろかった)ので、 血圧高いわ。養生。、 本日は畑5h ほぼ土木作業員である ディナーは麻婆豆腐だという おなかぺこぺこである とりあえず花粉対策にスチームを鼻とのどにあてる >>385 小林麻耶の海老蔵、ディスリ動画、(ユーチューブ)、もう、見ました? ルカ8:13 οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας οἳ ὅταν ἀκούσωσιν μετὰ χαρᾶς δέχονται τὸν λόγον, καὶ οὗτοι ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν, οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ ἀφίστανται. οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας男複主格+接+前+冠・女単属格 者たちは+で+〜上に+岩の οἳ ὅταν ἀκούσωσιν 男複主格+接+過分男複主格 彼らは+〜した時+聴いた μετὰ χαρᾶς 前+女単属格 〜共に+喜び δέχονται τὸν λόγον,三単現+冠・男複対格 彼らは受け取る+御言葉を καὶ οὗτοι 接+男複主格 そして+この者らは ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν, 女単対格+否定+三複現 根を+彼らは持たない οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν 男複主格+(前・男単対格)+三複現 彼らは+しばらくは+彼らは信じている καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ 接+前・男単与格+男単属格 そして+〜に+時+試みの ἀφίστανται. 三複現中動 彼らは離れて行く スロージューサー訳 岩の上の者たちとは、彼らが聴いた時、喜んで御言葉を受け取る。 そしてこの者らは根を持たない。 彼らはしばらくは信じている。そして試みの時に彼らは離れて行く。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-13.htm 小林麻耶がエビ嫌いと言っているのは知っている 小林麻耶って伸介と結婚したんだっけ? 母と、ケンカ。 機嫌よく・調子良く、すごしていかないと、自分が損。、 サティは自我肥大した醜悪な化け物 キリスト教信仰がここまで醜い人間を作り上げた >>380 いえ、新約に限らずヘブライ語聖書についてもいろいろと参考にさせていただいています セラは詩篇の詩句が謳われる際の伴奏・節・声などを指示する音楽記号と推測されているということですね 音楽記号だとすれば原語で発したものを読まない限り、さして意味がないことになるので これからは気にせずに読むことにします さて今日のヨハネの箇所ですが、イエス受難前の弟子たちへの洗足の場面ですね イエスは手本であると言っています つまり自分を低くして相手に尽くす行為のあり方を自ら弟子たちに示したものと思われます この場面ではイスカリオテのユダも絡んできますが、18節にある 『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』という聖句は ユダの裏切りを示していると取っていいのでしょうか?例によって預言の成就という形になっていますが ユダの裏切りが最初から神の予定されていたことであるならば、それはユダ自身には責任を負うべき 自由意志がないことになり、ユダに罪はないことになるかと思います 自由意志と予定の整合は一般論としても神学的に困難な問題だと思いますが ユダの裏切りは神の予定にとって必要な行為でありながら、その行為は悪とされユダに帰責されるため ユダという一個人の尊厳に焦点を当てた場合、常に割り切れないわだかまりが残る箇所だと個人的には感じます 昨日は、将棋じゃなくゲームで、疲れたんだ。ゲームを、やめよ。、 小林麻耶と、海老蔵、詐欺師と、オレ。 三すくみみたいになっとるな。、 >>395 atheistくん、こんばんは。明日の聖句は詩編第63篇です。 聖書が成就したと言いたがるのは原ヨハネの著者ではなくて、 教会的編集者ですね。でヘブライ語原文と70人訳は「かかとを大きくした」という 表現ですが、教会的編集者は、わかりやすく「かかとをあげた」と変えています。 詩編41:9 わたしの信頼した親しい友、 わたしのパンを食べた親しい友さえも わたしにそむいてくびすをあげた。 ユダの裏切りがまずあって、ヘブライ語聖書にその根拠を探して 詩編を発見し、予言が成就したという物語にしたのでしょう 実際の所は会計係という要職者で、信頼の厚かっただろうユダが 裏切ったことに残された者たちはかなりのショックを受けたので その意味を予言されていたという形で再解釈したのかもですね 一方で裏切者ユダに対する憎悪はMaxな形で常に語られるので 矛盾しているということでしょう 大学の時、囲碁将棋部、オレが、入って、変わってしまったと、鈴木に、言われた。 ちょっと、将棋、離れてみるか。、 >>398 元々はちょっと表現が違うんですね まず裏切りという行為があって、それをなんとか預言の枠組みで解釈しようとして ある意味かなり強引に聖句を探して当てはめている、って感じですかね ところがそうするとそうしたで、ユダに対する憎悪とは乖離が生じてしまい 読者には矛盾した印象を与えてしまうんでしょうね 詩篇は賛美と祈りが主体なので、非信仰者にはなかなか共感が難しい書ですが なにか新しい気づきを発見するつもりで読んでいきたいと思います >>401 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第63篇ですね 私が小学生の頃は新約だけの聖書。新約+詩編の聖書があり、教会では 詩編は愛されているようです 8:14 τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, καὶ ὑπὸ μεριμνῶν καὶ πλούτου καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου πορευόμενοι συμπνίγονται καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν. τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, 冠・接・前+女複対格+二過分中単対格 で+〜の中へ+茨+落ちたもの οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,中複主格+三複現+冠・過分男複主格 この者らは+彼らは〜である+聴いていた者 καὶ ὑπὸ μεριμνῶν 接+前+現分男単主格 そして+〜によって+心配すること καὶ πλούτου 接+男単属格 そして+富の καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου 接+女複属格+冠・男単属格 そして+諸快楽の+人生の πορευόμενοι συμπνίγονται 現分男複主格+三複現受 旅路を行く時+彼らは窒息させられる καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν.接+否定+三複現 そして+彼らは実を結ばない スロージューサー訳 で茨の中のものとは、この者たちは聴いたが、そして心配そして富そして人生の諸快楽によって 旅路を行く時、窒息させられる。そして彼らは実を結ばない。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-14.htm オレの写真を、ブサイク気味に、加工するの、もう、やめて。 しつこいよ。、 小鍛冶さん、サンクスです。 きょ先生は生で不細工ですよ。最強クラスです。 今日は、ご機嫌。おもしろい。 ヤングマガジンだけ、無駄遣い。、 「能力は、すごいが、人として、ぶっ壊れすぎてるんだよ。」(過去のマンガ) 人としてな。、 ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格 οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは+で+〜に+良い+土 οὗτοί εἰσιν οἵτινες 男複主格+三複現+男複主格 この者たちは+彼らは〜である+ところの者ら ἐν καρδίᾳ καλῇ 前+女単与格+〃 〜の中で+心+美しい καὶ ἀγαθῇ 接+女単与格 そして+良い ἀκούσαντες τὸν λόγον 過分男複主格+冠・男単位格 聴いて+御言葉を κατέχουσιν 三複現 彼らは保持する καὶ καρποφοροῦσιν 接+三複現 そして+彼らは実を結ぶ ἐν ὑπομονῇ.前+女単与格 〜の中で+踏み止まる事 忍耐 スロージューサー訳 で、良い土地のものらは、この者たちは立派で良い心で御言葉を聴いて彼らは保持する。 そして忍耐の中で彼らは実を結ぶ。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-15.htm 無敵三国。4000時間かかるらしいな。プレイ時間。無理。、 >>402 ホテルにおいてあるギデオン協会の聖書も新約だけですね 新約+詩篇の聖書というのは初めて知りました そういえば賛美などはよく詩篇から取られてますから 協会御用達といったところでしょうか さて63章ですが、61,62章とあまり内容が変わらず、こう賛美ばかりが続くと 詩篇一気読みっていうのはまず無理ですね 以前読んだときもたぶん、ほとんど流し読みだったはずです あの有名なバビロンの流れのほとりの箇所しか覚えてませんからw 今回気になったのは、口語訳だけの問題かもしれませんが5節です 5節は空欄になっていてそのあとに6節が来ています 6節が少し長いので、これは単に6節を2つに分けるか、ひとつにまとめるかといった 節分け上の問題ということでしょうか? >>415 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第64篇です。 私が所持する『新約聖書 詩編付き』(口語訳)では、63篇は五六と一つの節に なっています。口語訳がほぼ依存しているRSVを確認すると 5 My soul is feasted as with marrow and fat, and my mouth praises thee with joyful lips, 6 when I think of thee upon my bed, and meditate on thee in the watches of the night; ですが、口語訳は 63:5 63:6わたしが床の上であなたを思いだし、 夜のふけるままにあなたを深く思うとき、 わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、 わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。 6を先に訳し5を後に置いてますので一つにしたのでしょう。 全部似たような詩が続きますが、フランシスコ会訳は、それぞれにタイトルを つけています。本詩のタイトルは「神へのあこがれ」 62篇は「神への信頼」61篇は「逆境にある王の祈り」 本日の64篇は「迫害者に対する神の報い」です。 で、全詩の中で最も神に親しく話しかけている詩だそうです。 ハーパー注解によると、アルメニア教会は聖餐式の際に本詩を用いているそうです。 あんみつさんの無敵三国は、有害かもしれん。昨日寝れなかった。 進みすぎてる感じ。、 きょ先生。。。歓談室がオカルト研究会になってますよ。。。 欽ちゃんの著書「負けるが、勝ち、勝ち、勝ち。」ですよ。 来月、24、負ける。、 一昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 私が認知症になっても神は私を忘れたりしない 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 新しいエルサレムが天から我々の地上にやって来てくれる お二人に伝言です。よしおさんからです。 993ワルオ2022/04/05(火) 18:39:23.94ID:vZ0Vp7ST>>994 >>991 先生もすろさんもお元気そうで何より。 ワタスも、やりたい放題してるので、ゆっくりしてて下さいと伝えてくれ。 きょ先生に質問 1.はい好き好きというニュアンスってどんなの? 2.恋愛の風船って、なんのことですか? 3.パンクって何があったの? 小鍛冶さん、いつもありがとうございます スロさん。説明は、めんどくさいので、はぶきます。ごめんなさい。、 薬は、薄まったが、疲れる薬が、ズブズブ効きよう。、 「ずるい」のが、いいということは、負けてはダメってことだな。、 ルカ8:16 Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας καλύπτει αὐτὸν σκεύει ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι βλέπωσιν τὸ φῶς. Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας 否定代+接+男単対格+過分男単主格 誰も〜ない+で+灯火を+灯す καλύπτει αὐτὸν σκεύει 三単現+男単対格+中単与格 彼は覆う+それを+容器で ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, 接+前+女単属格+三単現 あるいは+〜の下に+寝台+彼は置く ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, 接+前+男単属格+三単現 そうでは無く+〜上へ+燭台+彼は置く ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι 接+冠・現分男複主格 〜のために+入って来る者たちが βλέπωσιν τὸ φῶς.三複現接+冠・中単対格 彼らは見る+光を スロージューサー訳 で、灯火を灯し、それを容器で覆う者、あるいは寝台の下に置く者は誰もいない。 そうではなくて彼は燭台の上へ置く。入って来る者たちが光を見るように。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-16.htm >>416 なるほど、じゃあわたしが見てた口語訳のサイトは単に5,6節がひとつになっているものを 6節にまとめて表示していただけなんですね また元はちゃんと分かれていたものが訳出上の問題で5,6節が反対になってしまうので ひとつにまとめたってことですね そういえば英訳でも現代語訳の多くは章のタイトルが付いてました 祈りや賛美の際は何について祈り、賛美しているかが重要になりますから 教会で使用される場合は、それぞれの章の違いが重要になるんでしょうね さて64章ですが、ここもまた短いですね 今回は比較的内容が明確で、陰謀を巡らし、罠を掛ける敵から自分を守ってくれるように祈る箇所ですね 当然と言えば当然ですが、古代においても様々な謀が行われていたことが窺われます 3,4節と7,8節はは表現的に対になっているように思いました 前者が敵の不義のことばを矢で表現しているしているのに対して 後者は神の懲罰を矢で表現している、といったところでしょうか おそらく宮廷での権謀術数に疲弊したとき、そこから逃避し守護してもらうための祈りとして 書かれたもののように感じました >>431 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第65篇です。 タイトルは「恵みの雨と豊作の感謝」 フランシスコ会訳註によると6節後部から8節前部までのヘブライ語テキストは 全体の意味が不明だそうです。いろいろ解釈があるそうです。 ハーパー注解は、8-10節は「矢を射かけ」のように、先行段落から取られた神の応答 でもある。神は策謀家たちと彼らの土俵で出会い(18:26-27)、彼らの見せかけの宗教 的義を打ち砕く。罪の結果が罪人を罰するために罪人に戻るというlex talionis(同害報復法) が再び現れる(35:8)。 流れとしては 助けを求める呼びかけ(2-3節)は、 悪の策謀(4-7節)の故であるが その後に神は信頼(8-10節) すなわち喜びの源を回復させるために介入する(11節) 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 愛だろ、愛。と毎日朝昼晩に三度唱えよう Sラーとの風船が破裂したので 他の女性がチャンスと群がって来ているのかもですね Sラー、仕事の合間に、抜け。 だれか、調子悪いのか? 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉 世界に希望の言葉が見つかりません。 でも神は聖霊を通して私達と共にうめいて下さる 今日は、しんどいな。よく、寝れたけどな。昨日、夜の将棋24・2局が、こたえてるかも。 24・R・511点に。、ようやく・・・。、 今の時間。自然な、ウツラウツラ・眠いくらいの方が、体調・調子、いい。、 きょ先生は料理はしないの? 料理できる男がもてますよ ワタシは、UFOしか、作れません。 あんみつさんの無敵三国動画見て、将棋とか、レベル上げです。 もう、将棋は、黄金の鎧の羽林軍くらい、あると思う。、 しかし、「戦い・レベル上げ」ばかりが、「要素」では、ないんだろうね。、 ルカ8:17 οὐ γάρ ἐστιν κρυπτὸν ὃ οὐ φανερὸν γενήσεται οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ οὐ μὴ γνωσθῇ καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ. οὐ γάρ ἐστιν 否定+接+三単現 なぜなら+それはない κρυπτὸν ὃ 中単主格+指示男単主格 隠されたものは+〜ところのもの οὐ φανερὸν γενήσεται 否定+男単対格+三単未 明瞭に+それはならないであろう οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ 否定+中単主格+指示男単主格 また〜ない+秘密は+〜ところもの οὐ μὴ γνωσθῇ 否定+否定+三単過接受 まったく〜ない+それは知られない καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ.接+前+男単対格+三単二過接 そして+〜で+明瞭+彼はへ行く スロージューサー訳 なぜなら隠されたもので明瞭にならないでろあろうものはない。 また秘密は知られないものも、明瞭にならないもまったくない。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-17.htm 0281 琴 2022/04/05 13:05:41 >>273 そういうのは、あたりまえですが、具体を抜いているので 今の話にそぐわない、逸らしです。 何度注意を受けても、美魔女さんはし続けます、何年もですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 >>433 6節後部から8節前部までは、意味不明なところを意味が通じるように 解釈して訳出しているということでしょうか ヘブライ語聖書はどうしてもこういった箇所が多くなってしまいますね 同害報復ということは因果応報的な世界観がここでも表れているってことですね 65章は神の恵みに焦点を当てて書かれてある章ですね 赦しや恵み、祝福が全面に出ている章で、その意味でまさにキリスト教の賛美歌といった風情でもあり また自然の恵みを神の恵みとして語っているところはキリスト教神学でいう一般恩寵が 語られている箇所でもあると思いました 8節の「地の果てに住む人々」というのは日の出日の入りを意識して書かれているように思いますが 基本的にはユダヤ人ではない異邦人を指しているようで、神の威光が異邦人にも及ぶことを 示唆しているようにも思いました 11節の「年の冠」というのは畑の収穫時期が一年の恵みの頂点といった意味で言われているのでしょうか このような自然の恵みの賛美は詩篇のなかでは非信徒にとっても比較的読みやすいですね >>450 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第66篇です。 「地の果てに住む人々」も「朝と夕の出る所」も単に遠方の諸国のことで、 ここでは異邦人と言う区別はなく、大地の全てが辺境の果てまで神の支配下にあり 神は水を天から注ぎ地を潤して下さっている。という意味だと思います。 仰せの通りキリスト教で言う一般恩寵ですが、むしろ自然の恵みを神として 感謝しているのだと思います。 夕立が畝を柔らかに耕しとありますが、雨は土を叩き固くしますけどね なのでこの夕立は日本のそれとは性質が違うのでしょう。 口語訳の「その恵みをもって年の冠」は訳が例によって悪いです。 新改訳「その年に、御恵みの冠」フ会訳「年に、実りの冠」です。 毎年、秋に「オリーブの実り」という王冠を我々に神は授与してくださる 太陽が通る道筋のような「あなたの道」にはオリーブが実り、オリーブ油が 滴っていますという意味ですね、11節は。 「畑の収穫時期が一年の恵みの頂点」・・・まさにそうです。 古代ヘブライ人は秋のオリーブの実りで一年が終わったそうです。 私の畑では、サツマイモ、里芋、落花生が秋10月の収穫ですね。 GW頃に植付、秋に収穫。 同じくGW頃に植え付ける夏野菜のキュウリ、枝豆、スィートコーン、スイカは6-7月。 トマト、メロンは7-8月。ピーマン・ナス・オクラは7-10月ですね もう、ほんなに、将棋、強おならんでも、いいねん。 それが、健康のためでも、ある。、 もう、レベル、すごいんちゃうん、オレ。 もう、ゆっくりで、いいか。、 きょ先生は、将棋の理論を知らんから強くないねん。 定石と三手詰めを鍛えなさい 思い出した、過去ノート。 将棋ばかりだと、「人生踏み外す」な。 よって、将棋24・550点までで、いいわ、今年。、 ルカ8:18 Βλέπετε οὖν πῶς ἀκούετε. ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, δοθήσεται αὐτῷ. καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ, καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ. Βλέπετε οὖν 二複現命+接 あなた方は見なさい、気をつけよ+だから πῶς ἀκούετε. 副+二複現 如何に+あなた方は聞く ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, (男単主格+小辞)+接+三単現接 〜者は誰でも+なぜなら+彼は持つ δοθήσεται αὐτῷ.三単未受+男単与格 それは与えられるであろう+彼に καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ,接+(男単主格+小辞)+否定・三単現接 そして+〜者は誰でも+彼は持たない καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν 接+男単主格+三単現+現不定 そして+〜ものは+彼が思う+持つこと ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ.三単未受+前+男単属格 それは取り上げられる+〜から+彼 スロージューサー訳 だからあなた方は如何に聴くかを気をつけなさい。 なぜなら持つ者は誰でも彼に与えられるであろう そしても持たざる者は誰でも彼から取り上げられるであろう 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-18.htm ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.6 2024/07/15 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる