>>364
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第62篇です。

不敬罪は私の勝手な推測です。
詩編のヘブライ語名は「テヒリーム」(讃美歌集)だそうです。
それがギリシア語訳されると「プサルモイ」(詩集)となり、これがラテン語となり
我々はこれを踏襲して「詩編」と呼んでいるそうです

フランシスコ会訳註によると複数説あるそうです
1.ダビデ王が自分の息子のアブサロムに叛かれ、エルサレムを出てマハナイムへ逃れた
時の作(サムエル下15-19章 特に17:24)「地の果て」(3節)を誇張と解釈する
2.逆に「地の果て」(3節)を解釈してバビロン捕囚中の者が作者とする説
3.更にエルサレム神殿を遠く離れたレビ人が作者説。今まで体験して来た安寧と
 ダビデ系の王の統治下の宗教的安寧(7-8節)を求める祈りだとする説
これらを紹介した上でフランシスコ会訳註は
「一番適切と思われるのは、全体を王の嘆願と解して、7-8節の三人称を宮廷語法と
みて、王が自分のために祈ったとする説であろう」とのこと。

ハーパー注解は、レビ人に由来する嘆きの歌。主人公は病者。捕囚にあるイスラエル人。
あるいは苦しみのうちにある王と思われるがはっきりしないとのこと。
解釈立場として「イスラエルの祈りが包括的なもの」になっているとのこと。
1.神への呼びかけに始まり(2-3節a)
2.救済を祈り(3b-5節)
3.感謝をもって締めくられる(6,9節)
4.7-8節は異なる音律で書かれた王の為の執り成しの祈りであり、付加分である。
その上で3節の「地の果て」は曖昧さを残しおり
「捕囚」(イザ41:5,42:10)、「死の危機」(ヨナ2:7-8)かを確定できないそうです。