宗教板避難所
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昨日は、将棋じゃなくゲームで、疲れたんだ。ゲームを、やめよ。、 小林麻耶と、海老蔵、詐欺師と、オレ。 三すくみみたいになっとるな。、 >>395 atheistくん、こんばんは。明日の聖句は詩編第63篇です。 聖書が成就したと言いたがるのは原ヨハネの著者ではなくて、 教会的編集者ですね。でヘブライ語原文と70人訳は「かかとを大きくした」という 表現ですが、教会的編集者は、わかりやすく「かかとをあげた」と変えています。 詩編41:9 わたしの信頼した親しい友、 わたしのパンを食べた親しい友さえも わたしにそむいてくびすをあげた。 ユダの裏切りがまずあって、ヘブライ語聖書にその根拠を探して 詩編を発見し、予言が成就したという物語にしたのでしょう 実際の所は会計係という要職者で、信頼の厚かっただろうユダが 裏切ったことに残された者たちはかなりのショックを受けたので その意味を予言されていたという形で再解釈したのかもですね 一方で裏切者ユダに対する憎悪はMaxな形で常に語られるので 矛盾しているということでしょう 大学の時、囲碁将棋部、オレが、入って、変わってしまったと、鈴木に、言われた。 ちょっと、将棋、離れてみるか。、 >>398 元々はちょっと表現が違うんですね まず裏切りという行為があって、それをなんとか預言の枠組みで解釈しようとして ある意味かなり強引に聖句を探して当てはめている、って感じですかね ところがそうするとそうしたで、ユダに対する憎悪とは乖離が生じてしまい 読者には矛盾した印象を与えてしまうんでしょうね 詩篇は賛美と祈りが主体なので、非信仰者にはなかなか共感が難しい書ですが なにか新しい気づきを発見するつもりで読んでいきたいと思います >>401 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第63篇ですね 私が小学生の頃は新約だけの聖書。新約+詩編の聖書があり、教会では 詩編は愛されているようです 8:14 τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, καὶ ὑπὸ μεριμνῶν καὶ πλούτου καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου πορευόμενοι συμπνίγονται καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν. τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, 冠・接・前+女複対格+二過分中単対格 で+〜の中へ+茨+落ちたもの οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,中複主格+三複現+冠・過分男複主格 この者らは+彼らは〜である+聴いていた者 καὶ ὑπὸ μεριμνῶν 接+前+現分男単主格 そして+〜によって+心配すること καὶ πλούτου 接+男単属格 そして+富の καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου 接+女複属格+冠・男単属格 そして+諸快楽の+人生の πορευόμενοι συμπνίγονται 現分男複主格+三複現受 旅路を行く時+彼らは窒息させられる καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν.接+否定+三複現 そして+彼らは実を結ばない スロージューサー訳 で茨の中のものとは、この者たちは聴いたが、そして心配そして富そして人生の諸快楽によって 旅路を行く時、窒息させられる。そして彼らは実を結ばない。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-14.htm オレの写真を、ブサイク気味に、加工するの、もう、やめて。 しつこいよ。、 小鍛冶さん、サンクスです。 きょ先生は生で不細工ですよ。最強クラスです。 今日は、ご機嫌。おもしろい。 ヤングマガジンだけ、無駄遣い。、 「能力は、すごいが、人として、ぶっ壊れすぎてるんだよ。」(過去のマンガ) 人としてな。、 ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格 οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. ルカ8:15 τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ. τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは+で+〜に+良い+土 οὗτοί εἰσιν οἵτινες 男複主格+三複現+男複主格 この者たちは+彼らは〜である+ところの者ら ἐν καρδίᾳ καλῇ 前+女単与格+〃 〜の中で+心+美しい καὶ ἀγαθῇ 接+女単与格 そして+良い ἀκούσαντες τὸν λόγον 過分男複主格+冠・男単位格 聴いて+御言葉を κατέχουσιν 三複現 彼らは保持する καὶ καρποφοροῦσιν 接+三複現 そして+彼らは実を結ぶ ἐν ὑπομονῇ.前+女単与格 〜の中で+踏み止まる事 忍耐 スロージューサー訳 で、良い土地のものらは、この者たちは立派で良い心で御言葉を聴いて彼らは保持する。 そして忍耐の中で彼らは実を結ぶ。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-15.htm 無敵三国。4000時間かかるらしいな。プレイ時間。無理。、 >>402 ホテルにおいてあるギデオン協会の聖書も新約だけですね 新約+詩篇の聖書というのは初めて知りました そういえば賛美などはよく詩篇から取られてますから 協会御用達といったところでしょうか さて63章ですが、61,62章とあまり内容が変わらず、こう賛美ばかりが続くと 詩篇一気読みっていうのはまず無理ですね 以前読んだときもたぶん、ほとんど流し読みだったはずです あの有名なバビロンの流れのほとりの箇所しか覚えてませんからw 今回気になったのは、口語訳だけの問題かもしれませんが5節です 5節は空欄になっていてそのあとに6節が来ています 6節が少し長いので、これは単に6節を2つに分けるか、ひとつにまとめるかといった 節分け上の問題ということでしょうか? >>415 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第64篇です。 私が所持する『新約聖書 詩編付き』(口語訳)では、63篇は五六と一つの節に なっています。口語訳がほぼ依存しているRSVを確認すると 5 My soul is feasted as with marrow and fat, and my mouth praises thee with joyful lips, 6 when I think of thee upon my bed, and meditate on thee in the watches of the night; ですが、口語訳は 63:5 63:6わたしが床の上であなたを思いだし、 夜のふけるままにあなたを深く思うとき、 わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、 わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。 6を先に訳し5を後に置いてますので一つにしたのでしょう。 全部似たような詩が続きますが、フランシスコ会訳は、それぞれにタイトルを つけています。本詩のタイトルは「神へのあこがれ」 62篇は「神への信頼」61篇は「逆境にある王の祈り」 本日の64篇は「迫害者に対する神の報い」です。 で、全詩の中で最も神に親しく話しかけている詩だそうです。 ハーパー注解によると、アルメニア教会は聖餐式の際に本詩を用いているそうです。 あんみつさんの無敵三国は、有害かもしれん。昨日寝れなかった。 進みすぎてる感じ。、 きょ先生。。。歓談室がオカルト研究会になってますよ。。。 欽ちゃんの著書「負けるが、勝ち、勝ち、勝ち。」ですよ。 来月、24、負ける。、 一昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 私が認知症になっても神は私を忘れたりしない 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 新しいエルサレムが天から我々の地上にやって来てくれる お二人に伝言です。よしおさんからです。 993ワルオ2022/04/05(火) 18:39:23.94ID:vZ0Vp7ST>>994 >>991 先生もすろさんもお元気そうで何より。 ワタスも、やりたい放題してるので、ゆっくりしてて下さいと伝えてくれ。 きょ先生に質問 1.はい好き好きというニュアンスってどんなの? 2.恋愛の風船って、なんのことですか? 3.パンクって何があったの? 小鍛冶さん、いつもありがとうございます スロさん。説明は、めんどくさいので、はぶきます。ごめんなさい。、 薬は、薄まったが、疲れる薬が、ズブズブ効きよう。、 「ずるい」のが、いいということは、負けてはダメってことだな。、 ルカ8:16 Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας καλύπτει αὐτὸν σκεύει ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι βλέπωσιν τὸ φῶς. Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας 否定代+接+男単対格+過分男単主格 誰も〜ない+で+灯火を+灯す καλύπτει αὐτὸν σκεύει 三単現+男単対格+中単与格 彼は覆う+それを+容器で ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, 接+前+女単属格+三単現 あるいは+〜の下に+寝台+彼は置く ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, 接+前+男単属格+三単現 そうでは無く+〜上へ+燭台+彼は置く ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι 接+冠・現分男複主格 〜のために+入って来る者たちが βλέπωσιν τὸ φῶς.三複現接+冠・中単対格 彼らは見る+光を スロージューサー訳 で、灯火を灯し、それを容器で覆う者、あるいは寝台の下に置く者は誰もいない。 そうではなくて彼は燭台の上へ置く。入って来る者たちが光を見るように。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-16.htm >>416 なるほど、じゃあわたしが見てた口語訳のサイトは単に5,6節がひとつになっているものを 6節にまとめて表示していただけなんですね また元はちゃんと分かれていたものが訳出上の問題で5,6節が反対になってしまうので ひとつにまとめたってことですね そういえば英訳でも現代語訳の多くは章のタイトルが付いてました 祈りや賛美の際は何について祈り、賛美しているかが重要になりますから 教会で使用される場合は、それぞれの章の違いが重要になるんでしょうね さて64章ですが、ここもまた短いですね 今回は比較的内容が明確で、陰謀を巡らし、罠を掛ける敵から自分を守ってくれるように祈る箇所ですね 当然と言えば当然ですが、古代においても様々な謀が行われていたことが窺われます 3,4節と7,8節はは表現的に対になっているように思いました 前者が敵の不義のことばを矢で表現しているしているのに対して 後者は神の懲罰を矢で表現している、といったところでしょうか おそらく宮廷での権謀術数に疲弊したとき、そこから逃避し守護してもらうための祈りとして 書かれたもののように感じました >>431 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第65篇です。 タイトルは「恵みの雨と豊作の感謝」 フランシスコ会訳註によると6節後部から8節前部までのヘブライ語テキストは 全体の意味が不明だそうです。いろいろ解釈があるそうです。 ハーパー注解は、8-10節は「矢を射かけ」のように、先行段落から取られた神の応答 でもある。神は策謀家たちと彼らの土俵で出会い(18:26-27)、彼らの見せかけの宗教 的義を打ち砕く。罪の結果が罪人を罰するために罪人に戻るというlex talionis(同害報復法) が再び現れる(35:8)。 流れとしては 助けを求める呼びかけ(2-3節)は、 悪の策謀(4-7節)の故であるが その後に神は信頼(8-10節) すなわち喜びの源を回復させるために介入する(11節) 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 愛だろ、愛。と毎日朝昼晩に三度唱えよう Sラーとの風船が破裂したので 他の女性がチャンスと群がって来ているのかもですね Sラー、仕事の合間に、抜け。 だれか、調子悪いのか? 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉 世界に希望の言葉が見つかりません。 でも神は聖霊を通して私達と共にうめいて下さる 今日は、しんどいな。よく、寝れたけどな。昨日、夜の将棋24・2局が、こたえてるかも。 24・R・511点に。、ようやく・・・。、 今の時間。自然な、ウツラウツラ・眠いくらいの方が、体調・調子、いい。、 きょ先生は料理はしないの? 料理できる男がもてますよ ワタシは、UFOしか、作れません。 あんみつさんの無敵三国動画見て、将棋とか、レベル上げです。 もう、将棋は、黄金の鎧の羽林軍くらい、あると思う。、 しかし、「戦い・レベル上げ」ばかりが、「要素」では、ないんだろうね。、 ルカ8:17 οὐ γάρ ἐστιν κρυπτὸν ὃ οὐ φανερὸν γενήσεται οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ οὐ μὴ γνωσθῇ καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ. οὐ γάρ ἐστιν 否定+接+三単現 なぜなら+それはない κρυπτὸν ὃ 中単主格+指示男単主格 隠されたものは+〜ところのもの οὐ φανερὸν γενήσεται 否定+男単対格+三単未 明瞭に+それはならないであろう οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ 否定+中単主格+指示男単主格 また〜ない+秘密は+〜ところもの οὐ μὴ γνωσθῇ 否定+否定+三単過接受 まったく〜ない+それは知られない καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ.接+前+男単対格+三単二過接 そして+〜で+明瞭+彼はへ行く スロージューサー訳 なぜなら隠されたもので明瞭にならないでろあろうものはない。 また秘密は知られないものも、明瞭にならないもまったくない。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-17.htm 0281 琴 2022/04/05 13:05:41 >>273 そういうのは、あたりまえですが、具体を抜いているので 今の話にそぐわない、逸らしです。 何度注意を受けても、美魔女さんはし続けます、何年もですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 >>433 6節後部から8節前部までは、意味不明なところを意味が通じるように 解釈して訳出しているということでしょうか ヘブライ語聖書はどうしてもこういった箇所が多くなってしまいますね 同害報復ということは因果応報的な世界観がここでも表れているってことですね 65章は神の恵みに焦点を当てて書かれてある章ですね 赦しや恵み、祝福が全面に出ている章で、その意味でまさにキリスト教の賛美歌といった風情でもあり また自然の恵みを神の恵みとして語っているところはキリスト教神学でいう一般恩寵が 語られている箇所でもあると思いました 8節の「地の果てに住む人々」というのは日の出日の入りを意識して書かれているように思いますが 基本的にはユダヤ人ではない異邦人を指しているようで、神の威光が異邦人にも及ぶことを 示唆しているようにも思いました 11節の「年の冠」というのは畑の収穫時期が一年の恵みの頂点といった意味で言われているのでしょうか このような自然の恵みの賛美は詩篇のなかでは非信徒にとっても比較的読みやすいですね >>450 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第66篇です。 「地の果てに住む人々」も「朝と夕の出る所」も単に遠方の諸国のことで、 ここでは異邦人と言う区別はなく、大地の全てが辺境の果てまで神の支配下にあり 神は水を天から注ぎ地を潤して下さっている。という意味だと思います。 仰せの通りキリスト教で言う一般恩寵ですが、むしろ自然の恵みを神として 感謝しているのだと思います。 夕立が畝を柔らかに耕しとありますが、雨は土を叩き固くしますけどね なのでこの夕立は日本のそれとは性質が違うのでしょう。 口語訳の「その恵みをもって年の冠」は訳が例によって悪いです。 新改訳「その年に、御恵みの冠」フ会訳「年に、実りの冠」です。 毎年、秋に「オリーブの実り」という王冠を我々に神は授与してくださる 太陽が通る道筋のような「あなたの道」にはオリーブが実り、オリーブ油が 滴っていますという意味ですね、11節は。 「畑の収穫時期が一年の恵みの頂点」・・・まさにそうです。 古代ヘブライ人は秋のオリーブの実りで一年が終わったそうです。 私の畑では、サツマイモ、里芋、落花生が秋10月の収穫ですね。 GW頃に植付、秋に収穫。 同じくGW頃に植え付ける夏野菜のキュウリ、枝豆、スィートコーン、スイカは6-7月。 トマト、メロンは7-8月。ピーマン・ナス・オクラは7-10月ですね もう、ほんなに、将棋、強おならんでも、いいねん。 それが、健康のためでも、ある。、 もう、レベル、すごいんちゃうん、オレ。 もう、ゆっくりで、いいか。、 きょ先生は、将棋の理論を知らんから強くないねん。 定石と三手詰めを鍛えなさい 思い出した、過去ノート。 将棋ばかりだと、「人生踏み外す」な。 よって、将棋24・550点までで、いいわ、今年。、 ルカ8:18 Βλέπετε οὖν πῶς ἀκούετε. ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, δοθήσεται αὐτῷ. καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ, καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ. Βλέπετε οὖν 二複現命+接 あなた方は見なさい、気をつけよ+だから πῶς ἀκούετε. 副+二複現 如何に+あなた方は聞く ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, (男単主格+小辞)+接+三単現接 〜者は誰でも+なぜなら+彼は持つ δοθήσεται αὐτῷ.三単未受+男単与格 それは与えられるであろう+彼に καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ,接+(男単主格+小辞)+否定・三単現接 そして+〜者は誰でも+彼は持たない καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν 接+男単主格+三単現+現不定 そして+〜ものは+彼が思う+持つこと ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ.三単未受+前+男単属格 それは取り上げられる+〜から+彼 スロージューサー訳 だからあなた方は如何に聴くかを気をつけなさい。 なぜなら持つ者は誰でも彼に与えられるであろう そしても持たざる者は誰でも彼から取り上げられるであろう 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-18.htm まあ、精神の薬、薄まったのは、事実。元気に、なろ。、 >>451 ユダヤ人か異邦人かというよりも、神の支配が地に遍く行き渡っているということを表しているのですね 11節に関しては具体的にはオリーブの実りを表していて、ここで出てきている「あぶら」は オリーブ油のことなんですね そういえば日本でも実りの秋と言いますもんね さて66章ですが、ここもいきなり神に対する賛美で始まっています 前章もそうでしょうが、ここでも単なるユダヤの神という枠組みでの賛美ではなく 全世界を統べる創造主としての神が謳われています 10節からは神が試練を与える者としての側面が語られ、それでも最後には慈しみを絶やすことのない 神として認識されているようです 日本には森羅万象に対して、それぞれの神が宿っているといったアニミスティックな世界観が ありますが、ユダヤ教ではやはり人に試練と慈しみを与える具体的な唯一の人格神が すべてを統括しているといった世界観で聖書は書かれているので、このへんが根本的に 一般的な日本人の感性とは乖離しているように感じます わたしもそれなりに聖書には馴染んできましたが、未だにこの世界観には違和感を拭えません 良い悪いということではなく、身に染み付いた感性レベルでの違和感ですね 先生は最初にキリスト教に触れた時には、こういった違和感というのは感じませんでしたか? 夏目友人帳という漫画・アニメがありますが、わたしの場合、ああいった世界観が 感性的にはものすごく自然でしっくり来るんです おそらく意識していなくても、多くの日本人はこのような世界観で生きているような気がします もちろん実際にもののけやあやかしが目に見えないところで跋扈しているなどと思っている人は 少ないでしょうが、神や人やあやかしの間に明確な区別がなく、それらの存在が連続的に 自然を織りなしているといった感性が、長い歴史の中で日本人の身体感覚に根付いているような気がします わたしは日本にキリスト教が根付かない最も大きな理由はこのような根本的な感性レベルでの世界観の 違いにあるように常々感じていますが、先生はどのように感じておられますか? >>463 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第67篇です 「豊作を求める祈り」です。66篇は「民の感謝の歌」でした。 10-12節は、捕囚と捕囚からの救いという背景があるのかもですね。あるいは 1.出エジプト(6節前半) 2.ヨルダン渡河(6節後半) 3.バビロン捕囚からの帰還(9〜12節) という民族としての感謝と喜びがあり、その応答として 13-15節の燔祭という焼き尽くす献げものが個人としてあり、 18節のような悔い改めがあるのかもです 日本に併合された韓国で戦後キリスト教が急速に広まった背景には 民族的屈辱に共感できるかもです。我々には理解しがたい感情かもです フランシスコ会訳註によると 巡礼者が集まる民族的な祭りが背景にあったと考えると まず団体的感謝が行われ、次に個人的感謝が奉納されたので合致するそうです。 ハーパー注解は、「試みからの救い」と「聖所における感謝」という複雑な構造に なっていると分析。 A.1-4,5-7節は過去の救い B.8-9,10-12節はイスラエルに対する最近の救い C.13-15,16-19節は詩人自身の救い ハーパー注解 続き) 1b-7節は、エジプトからの脱出とバビロン捕囚からの帰還を想起させる 8-12節はイスラエル共同体の近年の経験の内にある救済に焦点を当てている 13-20節は詩人によって公的に行われている感謝の典礼 という分析になっています 将棋の勉強をしなさい。 4四歩パックマンってしってますか? 4四歩をあけて、角交換する戦法です 将棋の入門書にときどき紹介される。 変化が豊富であり、手順中に気付きにくい好手もあるため、 究していない相手には奇襲が成功する公算が大きい。 パックマンできょ先生に奇襲が成功しますね お菓子のとこの通路で、Sラーと、すれちがう時、とても近く、エッチな ポーズみたいになった。でへへ 1日の過ごし方が、難しい。 特に、今日のような、早起きの午前中は。、 巨人・丸は、お宝カード。 丸は、平均的に、ずっと活躍する選手。、 なんか、結婚って、気が重いな。 悪く考えてるんだろうけど。、 「もし、日本に、ミサイルが、来たら」 もう、金大恩氏に、天皇に、なってもらう他、ない。、 あかん。将棋24勝って、評判落ちた。あのメガネやと。 もう、負けとこ。、 >>465-466 なるほど捕囚を背景にして語られているかもってことですね 韓国の場合は日韓併合という民族的屈辱の経験があるため ヘブライ語聖書のエジプトやバビロンでのユダヤ人の経験と重ね合わせやすいから 聖書に馴染みやすい、っていうのはあるかもしれませんね 対して日本の場合は、占領と言っても戦後のごく短期間ですし しかも国民はむしろアメリカ由来の民主主義を歓迎さえしていたくらいですから こういった点からも聖書には馴染みにくいのかもしれません さて67章ですが、ここはよりはっきりと異邦人を視野に入れて書かれているように思いました 2節の「もろもろの国民」や3節の「民ら」「もろもろの民」などにもそれは表れているように思いますが 少し驚いたのは4節です ここでは「もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせ」るように祈ってさえいます 第2イザヤなどでは明確に異邦人を視野に入れた神や救いが語られていますが 詩篇でここまで語られているとは気づきませんでした ユダヤの神は天地の創造主ですから、異邦人を包摂する世界全体が語られるのは 当然と言えば当然ですが、選民思想の影響ももあって 実際にはユダヤ民族の神としての民族神の側面が強く印象に残っていますから ちょっと新鮮な感じがします >>483 atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はマタイ27:27-61です フランシスコ会訳註も、 「イスラエルへの祝福を求める祈りから、全人類への祝福を求める祈りへと発展 しており、第二イザヤの精神と同じ」と注解しています。 私は第二イザヤはイスラエル中心主義であり、イスラエルの神にすべてを従わせ ようとする野蛮性しか感じませんが、第二イザヤに曰く 42:10主にむかって新しき歌をうたえ。地の果から主をほめたたえよ。 海とその中に満ちるもの、海沿いの国々とそれに住む者とは鳴りどよめ。 42:11荒野とその中のもろもろの町と、ケダルびとの住むもろもろの村里は声をあげよ。 セラの民は喜びうたえ。山の頂から呼ばわり叫べ。 は、詩編の 67:3神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、 もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。 67:4もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。 に類似性を感じます。 そして詩編のほうがより率直で素朴で自然と思います ルカ8:19 Παρεγένετο δὲ πρὸς αὐτὸν ἡ μήτηρ καὶ οἱ ἀδελφοὶ αὐτοῦ καὶ οὐκ ἠδύναντο συντυχεῖν αὐτῷ διὰ τὸν ὄχλον. Παρεγένετο δὲ πρὸς αὐτὸν 三単二過+接+前+男単対格 彼はやって来た+で+〜へ向けて+彼を ἡ μήτηρ καὶ οἱ ἀδελφοὶ αὐτοῦ 冠・女単対格+接+冠・男複主格+男単属格 母+そして+兄弟ら+彼の καὶ οὐκ ἠδύναντο 接+否定+三複未完 そして+彼らはできないでいた συντυχεῖν αὐτῷ 二過不定+男単与格 与格に近付くこと+彼に διὰ τὸν ὄχλον. 前+冠・男単対格 〜のために+群衆 スロージューサー訳 で彼の母と兄弟らが彼へ向けてやって来た。 そして群衆のために彼らは彼に近付けないでいた。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-19.htm >>484 しかしキリスト教は総じてその第二イザヤのイスラエル中心主義的普遍性、先生の言う野蛮性に 立脚しています その意味では第二イザヤに限定されることなく詩篇においてもキリスト教につながる普遍性の片鱗が 描かれていることは重要だと思います 重要、というのはヘブライ語聖書から新約聖書に至るユダヤキリスト教の宗教思想の流れを考える上での ことで、普遍性は先生も言われるとおり、容易に他文化を圧殺する野蛮性に反転しますから あくまでも功罪合わせた重要性、ということですが マタイはまた夜に読んで感想を述べますね Sドクターが、オレが、死んでもかまわんわと、薬、盛る。 「これは、『戦争』なんだ。」(オレいわく) 「(SEXに)慣れたらなあ。」と言ったか? よくよく聞いてみると・・・。 スローおじいちゃんが、畑から、帰ってみると、ゴンガラの暴言で、ニヤニヤしている。、 (無敵三国)「研究が、いっぱいできるんで、いい。」 ただ、鋭すぎも、ダメだろうな。、 ルカ8:20 ἀπηγγέλη δὲ αὐτῷ. ἡ μήτηρ σου καὶ οἱ ἀδελφοί σου ἑστήκασιν ἔξω ἰδεῖν θέλοντές σε. ἀπηγγέλη δὲ αὐτῷ. 三単二過受+接+男単与格 彼は伝えられた+で+彼に ἡ μήτηρ σου 冠・女単主格+二単属格 母が+あなたの καὶ οἱ ἀδελφοί σου 接+冠・男複主格+二単属格 兄弟らが+あなたの ἑστήκασιν ἔξω 三複完+副 彼らは立っていた+外に ἰδεῖν θέλοντές σε.二過不定+現分男複主格+二単対格 見ることを+欲して+あなたを スロージューサー訳 で彼は彼に伝えられた。 あなたの母そしてあなたの兄弟らが、 あなたを見ようとして外に立っていた、と。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-19.htm 淡々と、すごす、ワタス。 この前、夜、10時前後、コンビニ行ったが、Sラー、客で、一人いたのは、なんだろう。 オレの家での、外出の動き、察知しての、先回りか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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