宗教板避難所
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>402 ホテルにおいてあるギデオン協会の聖書も新約だけですね 新約+詩篇の聖書というのは初めて知りました そういえば賛美などはよく詩篇から取られてますから 協会御用達といったところでしょうか さて63章ですが、61,62章とあまり内容が変わらず、こう賛美ばかりが続くと 詩篇一気読みっていうのはまず無理ですね 以前読んだときもたぶん、ほとんど流し読みだったはずです あの有名なバビロンの流れのほとりの箇所しか覚えてませんからw 今回気になったのは、口語訳だけの問題かもしれませんが5節です 5節は空欄になっていてそのあとに6節が来ています 6節が少し長いので、これは単に6節を2つに分けるか、ひとつにまとめるかといった 節分け上の問題ということでしょうか? >>415 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第64篇です。 私が所持する『新約聖書 詩編付き』(口語訳)では、63篇は五六と一つの節に なっています。口語訳がほぼ依存しているRSVを確認すると 5 My soul is feasted as with marrow and fat, and my mouth praises thee with joyful lips, 6 when I think of thee upon my bed, and meditate on thee in the watches of the night; ですが、口語訳は 63:5 63:6わたしが床の上であなたを思いだし、 夜のふけるままにあなたを深く思うとき、 わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、 わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。 6を先に訳し5を後に置いてますので一つにしたのでしょう。 全部似たような詩が続きますが、フランシスコ会訳は、それぞれにタイトルを つけています。本詩のタイトルは「神へのあこがれ」 62篇は「神への信頼」61篇は「逆境にある王の祈り」 本日の64篇は「迫害者に対する神の報い」です。 で、全詩の中で最も神に親しく話しかけている詩だそうです。 ハーパー注解によると、アルメニア教会は聖餐式の際に本詩を用いているそうです。 あんみつさんの無敵三国は、有害かもしれん。昨日寝れなかった。 進みすぎてる感じ。、 きょ先生。。。歓談室がオカルト研究会になってますよ。。。 欽ちゃんの著書「負けるが、勝ち、勝ち、勝ち。」ですよ。 来月、24、負ける。、 一昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 私が認知症になっても神は私を忘れたりしない 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 新しいエルサレムが天から我々の地上にやって来てくれる お二人に伝言です。よしおさんからです。 993ワルオ2022/04/05(火) 18:39:23.94ID:vZ0Vp7ST>>994 >>991 先生もすろさんもお元気そうで何より。 ワタスも、やりたい放題してるので、ゆっくりしてて下さいと伝えてくれ。 きょ先生に質問 1.はい好き好きというニュアンスってどんなの? 2.恋愛の風船って、なんのことですか? 3.パンクって何があったの? 小鍛冶さん、いつもありがとうございます スロさん。説明は、めんどくさいので、はぶきます。ごめんなさい。、 薬は、薄まったが、疲れる薬が、ズブズブ効きよう。、 「ずるい」のが、いいということは、負けてはダメってことだな。、 ルカ8:16 Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας καλύπτει αὐτὸν σκεύει ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι βλέπωσιν τὸ φῶς. Οὐδεὶς δὲ λύχνον ἅψας 否定代+接+男単対格+過分男単主格 誰も〜ない+で+灯火を+灯す καλύπτει αὐτὸν σκεύει 三単現+男単対格+中単与格 彼は覆う+それを+容器で ἢ ὑποκάτω κλίνης τίθησιν, 接+前+女単属格+三単現 あるいは+〜の下に+寝台+彼は置く ἀλλ’ ἐπὶ λυχνίας τίθησιν, 接+前+男単属格+三単現 そうでは無く+〜上へ+燭台+彼は置く ἵνα οἱ εἰσπορευόμενοι 接+冠・現分男複主格 〜のために+入って来る者たちが βλέπωσιν τὸ φῶς.三複現接+冠・中単対格 彼らは見る+光を スロージューサー訳 で、灯火を灯し、それを容器で覆う者、あるいは寝台の下に置く者は誰もいない。 そうではなくて彼は燭台の上へ置く。入って来る者たちが光を見るように。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-16.htm >>416 なるほど、じゃあわたしが見てた口語訳のサイトは単に5,6節がひとつになっているものを 6節にまとめて表示していただけなんですね また元はちゃんと分かれていたものが訳出上の問題で5,6節が反対になってしまうので ひとつにまとめたってことですね そういえば英訳でも現代語訳の多くは章のタイトルが付いてました 祈りや賛美の際は何について祈り、賛美しているかが重要になりますから 教会で使用される場合は、それぞれの章の違いが重要になるんでしょうね さて64章ですが、ここもまた短いですね 今回は比較的内容が明確で、陰謀を巡らし、罠を掛ける敵から自分を守ってくれるように祈る箇所ですね 当然と言えば当然ですが、古代においても様々な謀が行われていたことが窺われます 3,4節と7,8節はは表現的に対になっているように思いました 前者が敵の不義のことばを矢で表現しているしているのに対して 後者は神の懲罰を矢で表現している、といったところでしょうか おそらく宮廷での権謀術数に疲弊したとき、そこから逃避し守護してもらうための祈りとして 書かれたもののように感じました >>431 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第65篇です。 タイトルは「恵みの雨と豊作の感謝」 フランシスコ会訳註によると6節後部から8節前部までのヘブライ語テキストは 全体の意味が不明だそうです。いろいろ解釈があるそうです。 ハーパー注解は、8-10節は「矢を射かけ」のように、先行段落から取られた神の応答 でもある。神は策謀家たちと彼らの土俵で出会い(18:26-27)、彼らの見せかけの宗教 的義を打ち砕く。罪の結果が罪人を罰するために罪人に戻るというlex talionis(同害報復法) が再び現れる(35:8)。 流れとしては 助けを求める呼びかけ(2-3節)は、 悪の策謀(4-7節)の故であるが その後に神は信頼(8-10節) すなわち喜びの源を回復させるために介入する(11節) 昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉 愛だろ、愛。と毎日朝昼晩に三度唱えよう Sラーとの風船が破裂したので 他の女性がチャンスと群がって来ているのかもですね Sラー、仕事の合間に、抜け。 だれか、調子悪いのか? 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉 世界に希望の言葉が見つかりません。 でも神は聖霊を通して私達と共にうめいて下さる 今日は、しんどいな。よく、寝れたけどな。昨日、夜の将棋24・2局が、こたえてるかも。 24・R・511点に。、ようやく・・・。、 今の時間。自然な、ウツラウツラ・眠いくらいの方が、体調・調子、いい。、 きょ先生は料理はしないの? 料理できる男がもてますよ ワタシは、UFOしか、作れません。 あんみつさんの無敵三国動画見て、将棋とか、レベル上げです。 もう、将棋は、黄金の鎧の羽林軍くらい、あると思う。、 しかし、「戦い・レベル上げ」ばかりが、「要素」では、ないんだろうね。、 ルカ8:17 οὐ γάρ ἐστιν κρυπτὸν ὃ οὐ φανερὸν γενήσεται οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ οὐ μὴ γνωσθῇ καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ. οὐ γάρ ἐστιν 否定+接+三単現 なぜなら+それはない κρυπτὸν ὃ 中単主格+指示男単主格 隠されたものは+〜ところのもの οὐ φανερὸν γενήσεται 否定+男単対格+三単未 明瞭に+それはならないであろう οὐδὲ ἀπόκρυφον ὃ 否定+中単主格+指示男単主格 また〜ない+秘密は+〜ところもの οὐ μὴ γνωσθῇ 否定+否定+三単過接受 まったく〜ない+それは知られない καὶ εἰς φανερὸν ἔλθῃ.接+前+男単対格+三単二過接 そして+〜で+明瞭+彼はへ行く スロージューサー訳 なぜなら隠されたもので明瞭にならないでろあろうものはない。 また秘密は知られないものも、明瞭にならないもまったくない。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-17.htm 0281 琴 2022/04/05 13:05:41 >>273 そういうのは、あたりまえですが、具体を抜いているので 今の話にそぐわない、逸らしです。 何度注意を受けても、美魔女さんはし続けます、何年もですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 美魔女さんに対して、すぐに貼ると言っても、粘着といいませんよ。 いくら、何年注意しても分からないのなら、これで抵抗します、と表現を変えて いるのですよ。 >>433 6節後部から8節前部までは、意味不明なところを意味が通じるように 解釈して訳出しているということでしょうか ヘブライ語聖書はどうしてもこういった箇所が多くなってしまいますね 同害報復ということは因果応報的な世界観がここでも表れているってことですね 65章は神の恵みに焦点を当てて書かれてある章ですね 赦しや恵み、祝福が全面に出ている章で、その意味でまさにキリスト教の賛美歌といった風情でもあり また自然の恵みを神の恵みとして語っているところはキリスト教神学でいう一般恩寵が 語られている箇所でもあると思いました 8節の「地の果てに住む人々」というのは日の出日の入りを意識して書かれているように思いますが 基本的にはユダヤ人ではない異邦人を指しているようで、神の威光が異邦人にも及ぶことを 示唆しているようにも思いました 11節の「年の冠」というのは畑の収穫時期が一年の恵みの頂点といった意味で言われているのでしょうか このような自然の恵みの賛美は詩篇のなかでは非信徒にとっても比較的読みやすいですね >>450 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第66篇です。 「地の果てに住む人々」も「朝と夕の出る所」も単に遠方の諸国のことで、 ここでは異邦人と言う区別はなく、大地の全てが辺境の果てまで神の支配下にあり 神は水を天から注ぎ地を潤して下さっている。という意味だと思います。 仰せの通りキリスト教で言う一般恩寵ですが、むしろ自然の恵みを神として 感謝しているのだと思います。 夕立が畝を柔らかに耕しとありますが、雨は土を叩き固くしますけどね なのでこの夕立は日本のそれとは性質が違うのでしょう。 口語訳の「その恵みをもって年の冠」は訳が例によって悪いです。 新改訳「その年に、御恵みの冠」フ会訳「年に、実りの冠」です。 毎年、秋に「オリーブの実り」という王冠を我々に神は授与してくださる 太陽が通る道筋のような「あなたの道」にはオリーブが実り、オリーブ油が 滴っていますという意味ですね、11節は。 「畑の収穫時期が一年の恵みの頂点」・・・まさにそうです。 古代ヘブライ人は秋のオリーブの実りで一年が終わったそうです。 私の畑では、サツマイモ、里芋、落花生が秋10月の収穫ですね。 GW頃に植付、秋に収穫。 同じくGW頃に植え付ける夏野菜のキュウリ、枝豆、スィートコーン、スイカは6-7月。 トマト、メロンは7-8月。ピーマン・ナス・オクラは7-10月ですね もう、ほんなに、将棋、強おならんでも、いいねん。 それが、健康のためでも、ある。、 もう、レベル、すごいんちゃうん、オレ。 もう、ゆっくりで、いいか。、 きょ先生は、将棋の理論を知らんから強くないねん。 定石と三手詰めを鍛えなさい 思い出した、過去ノート。 将棋ばかりだと、「人生踏み外す」な。 よって、将棋24・550点までで、いいわ、今年。、 ルカ8:18 Βλέπετε οὖν πῶς ἀκούετε. ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, δοθήσεται αὐτῷ. καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ, καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ. Βλέπετε οὖν 二複現命+接 あなた方は見なさい、気をつけよ+だから πῶς ἀκούετε. 副+二複現 如何に+あなた方は聞く ὃς ἂν γὰρ ἔχῃ, (男単主格+小辞)+接+三単現接 〜者は誰でも+なぜなら+彼は持つ δοθήσεται αὐτῷ.三単未受+男単与格 それは与えられるであろう+彼に καὶ ὃς ἂν μὴ ἔχῃ,接+(男単主格+小辞)+否定・三単現接 そして+〜者は誰でも+彼は持たない καὶ ὃ δοκεῖ ἔχειν 接+男単主格+三単現+現不定 そして+〜ものは+彼が思う+持つこと ἀρθήσεται ἀπ’ αὐτοῦ.三単未受+前+男単属格 それは取り上げられる+〜から+彼 スロージューサー訳 だからあなた方は如何に聴くかを気をつけなさい。 なぜなら持つ者は誰でも彼に与えられるであろう そしても持たざる者は誰でも彼から取り上げられるであろう 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-18.htm まあ、精神の薬、薄まったのは、事実。元気に、なろ。、 >>451 ユダヤ人か異邦人かというよりも、神の支配が地に遍く行き渡っているということを表しているのですね 11節に関しては具体的にはオリーブの実りを表していて、ここで出てきている「あぶら」は オリーブ油のことなんですね そういえば日本でも実りの秋と言いますもんね さて66章ですが、ここもいきなり神に対する賛美で始まっています 前章もそうでしょうが、ここでも単なるユダヤの神という枠組みでの賛美ではなく 全世界を統べる創造主としての神が謳われています 10節からは神が試練を与える者としての側面が語られ、それでも最後には慈しみを絶やすことのない 神として認識されているようです 日本には森羅万象に対して、それぞれの神が宿っているといったアニミスティックな世界観が ありますが、ユダヤ教ではやはり人に試練と慈しみを与える具体的な唯一の人格神が すべてを統括しているといった世界観で聖書は書かれているので、このへんが根本的に 一般的な日本人の感性とは乖離しているように感じます わたしもそれなりに聖書には馴染んできましたが、未だにこの世界観には違和感を拭えません 良い悪いということではなく、身に染み付いた感性レベルでの違和感ですね 先生は最初にキリスト教に触れた時には、こういった違和感というのは感じませんでしたか? 夏目友人帳という漫画・アニメがありますが、わたしの場合、ああいった世界観が 感性的にはものすごく自然でしっくり来るんです おそらく意識していなくても、多くの日本人はこのような世界観で生きているような気がします もちろん実際にもののけやあやかしが目に見えないところで跋扈しているなどと思っている人は 少ないでしょうが、神や人やあやかしの間に明確な区別がなく、それらの存在が連続的に 自然を織りなしているといった感性が、長い歴史の中で日本人の身体感覚に根付いているような気がします わたしは日本にキリスト教が根付かない最も大きな理由はこのような根本的な感性レベルでの世界観の 違いにあるように常々感じていますが、先生はどのように感じておられますか? >>463 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第67篇です 「豊作を求める祈り」です。66篇は「民の感謝の歌」でした。 10-12節は、捕囚と捕囚からの救いという背景があるのかもですね。あるいは 1.出エジプト(6節前半) 2.ヨルダン渡河(6節後半) 3.バビロン捕囚からの帰還(9〜12節) という民族としての感謝と喜びがあり、その応答として 13-15節の燔祭という焼き尽くす献げものが個人としてあり、 18節のような悔い改めがあるのかもです 日本に併合された韓国で戦後キリスト教が急速に広まった背景には 民族的屈辱に共感できるかもです。我々には理解しがたい感情かもです フランシスコ会訳註によると 巡礼者が集まる民族的な祭りが背景にあったと考えると まず団体的感謝が行われ、次に個人的感謝が奉納されたので合致するそうです。 ハーパー注解は、「試みからの救い」と「聖所における感謝」という複雑な構造に なっていると分析。 A.1-4,5-7節は過去の救い B.8-9,10-12節はイスラエルに対する最近の救い C.13-15,16-19節は詩人自身の救い ハーパー注解 続き) 1b-7節は、エジプトからの脱出とバビロン捕囚からの帰還を想起させる 8-12節はイスラエル共同体の近年の経験の内にある救済に焦点を当てている 13-20節は詩人によって公的に行われている感謝の典礼 という分析になっています 将棋の勉強をしなさい。 4四歩パックマンってしってますか? 4四歩をあけて、角交換する戦法です 将棋の入門書にときどき紹介される。 変化が豊富であり、手順中に気付きにくい好手もあるため、 究していない相手には奇襲が成功する公算が大きい。 パックマンできょ先生に奇襲が成功しますね お菓子のとこの通路で、Sラーと、すれちがう時、とても近く、エッチな ポーズみたいになった。でへへ 1日の過ごし方が、難しい。 特に、今日のような、早起きの午前中は。、 巨人・丸は、お宝カード。 丸は、平均的に、ずっと活躍する選手。、 なんか、結婚って、気が重いな。 悪く考えてるんだろうけど。、 「もし、日本に、ミサイルが、来たら」 もう、金大恩氏に、天皇に、なってもらう他、ない。、 あかん。将棋24勝って、評判落ちた。あのメガネやと。 もう、負けとこ。、 >>465-466 なるほど捕囚を背景にして語られているかもってことですね 韓国の場合は日韓併合という民族的屈辱の経験があるため ヘブライ語聖書のエジプトやバビロンでのユダヤ人の経験と重ね合わせやすいから 聖書に馴染みやすい、っていうのはあるかもしれませんね 対して日本の場合は、占領と言っても戦後のごく短期間ですし しかも国民はむしろアメリカ由来の民主主義を歓迎さえしていたくらいですから こういった点からも聖書には馴染みにくいのかもしれません さて67章ですが、ここはよりはっきりと異邦人を視野に入れて書かれているように思いました 2節の「もろもろの国民」や3節の「民ら」「もろもろの民」などにもそれは表れているように思いますが 少し驚いたのは4節です ここでは「もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせ」るように祈ってさえいます 第2イザヤなどでは明確に異邦人を視野に入れた神や救いが語られていますが 詩篇でここまで語られているとは気づきませんでした ユダヤの神は天地の創造主ですから、異邦人を包摂する世界全体が語られるのは 当然と言えば当然ですが、選民思想の影響ももあって 実際にはユダヤ民族の神としての民族神の側面が強く印象に残っていますから ちょっと新鮮な感じがします >>483 atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はマタイ27:27-61です フランシスコ会訳註も、 「イスラエルへの祝福を求める祈りから、全人類への祝福を求める祈りへと発展 しており、第二イザヤの精神と同じ」と注解しています。 私は第二イザヤはイスラエル中心主義であり、イスラエルの神にすべてを従わせ ようとする野蛮性しか感じませんが、第二イザヤに曰く 42:10主にむかって新しき歌をうたえ。地の果から主をほめたたえよ。 海とその中に満ちるもの、海沿いの国々とそれに住む者とは鳴りどよめ。 42:11荒野とその中のもろもろの町と、ケダルびとの住むもろもろの村里は声をあげよ。 セラの民は喜びうたえ。山の頂から呼ばわり叫べ。 は、詩編の 67:3神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、 もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。 67:4もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。 に類似性を感じます。 そして詩編のほうがより率直で素朴で自然と思います ルカ8:19 Παρεγένετο δὲ πρὸς αὐτὸν ἡ μήτηρ καὶ οἱ ἀδελφοὶ αὐτοῦ καὶ οὐκ ἠδύναντο συντυχεῖν αὐτῷ διὰ τὸν ὄχλον. Παρεγένετο δὲ πρὸς αὐτὸν 三単二過+接+前+男単対格 彼はやって来た+で+〜へ向けて+彼を ἡ μήτηρ καὶ οἱ ἀδελφοὶ αὐτοῦ 冠・女単対格+接+冠・男複主格+男単属格 母+そして+兄弟ら+彼の καὶ οὐκ ἠδύναντο 接+否定+三複未完 そして+彼らはできないでいた συντυχεῖν αὐτῷ 二過不定+男単与格 与格に近付くこと+彼に διὰ τὸν ὄχλον. 前+冠・男単対格 〜のために+群衆 スロージューサー訳 で彼の母と兄弟らが彼へ向けてやって来た。 そして群衆のために彼らは彼に近付けないでいた。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-19.htm >>484 しかしキリスト教は総じてその第二イザヤのイスラエル中心主義的普遍性、先生の言う野蛮性に 立脚しています その意味では第二イザヤに限定されることなく詩篇においてもキリスト教につながる普遍性の片鱗が 描かれていることは重要だと思います 重要、というのはヘブライ語聖書から新約聖書に至るユダヤキリスト教の宗教思想の流れを考える上での ことで、普遍性は先生も言われるとおり、容易に他文化を圧殺する野蛮性に反転しますから あくまでも功罪合わせた重要性、ということですが マタイはまた夜に読んで感想を述べますね Sドクターが、オレが、死んでもかまわんわと、薬、盛る。 「これは、『戦争』なんだ。」(オレいわく) 「(SEXに)慣れたらなあ。」と言ったか? よくよく聞いてみると・・・。 スローおじいちゃんが、畑から、帰ってみると、ゴンガラの暴言で、ニヤニヤしている。、 (無敵三国)「研究が、いっぱいできるんで、いい。」 ただ、鋭すぎも、ダメだろうな。、 ルカ8:20 ἀπηγγέλη δὲ αὐτῷ. ἡ μήτηρ σου καὶ οἱ ἀδελφοί σου ἑστήκασιν ἔξω ἰδεῖν θέλοντές σε. ἀπηγγέλη δὲ αὐτῷ. 三単二過受+接+男単与格 彼は伝えられた+で+彼に ἡ μήτηρ σου 冠・女単主格+二単属格 母が+あなたの καὶ οἱ ἀδελφοί σου 接+冠・男複主格+二単属格 兄弟らが+あなたの ἑστήκασιν ἔξω 三複完+副 彼らは立っていた+外に ἰδεῖν θέλοντές σε.二過不定+現分男複主格+二単対格 見ることを+欲して+あなたを スロージューサー訳 で彼は彼に伝えられた。 あなたの母そしてあなたの兄弟らが、 あなたを見ようとして外に立っていた、と。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-19.htm 淡々と、すごす、ワタス。 この前、夜、10時前後、コンビニ行ったが、Sラー、客で、一人いたのは、なんだろう。 オレの家での、外出の動き、察知しての、先回りか? ホリエモン言うように、なかなか、「バカ」に、なれないな。、 夜10時に何しにコンビニへ? だいたいそんな時間、みんな寝とるやろ Sラーはヤンキーやな。夜の十時にコンビに居る女って。。。 ま、オレ、今は、これくらいのレベルで、いいか。、 マタイ27:27-61はイエスが十字架に掛けられる箇所ですね 今回読んで気になったところは、まず32節です 映画などではイエス自身が十字架を担いでゴルゴダへ向かう場面が描かれたりしますが マタイではシモンという名のクレネ人が担いだことになっています これはマタイでは明示的に書かれていなくても、イエスが自身の十字架を担いでいたところを シモンに交換させた、ということなのでしょうか? それから44節で、一緒に十字架につけられたふたりの強盗もイエスを罵ったことになってますが ルカではそのうちのひとりは罵るどころかもうひとりを窘めて、イエスにはわたしと一緒にパラダイスにいる であろうとまで言わしめています マタイとルカではどちらがより事実に近かったと考えられますか? >>500 atheistくん、おはようございます。明日の聖句は詩編第68篇です。 ヨハネでは、 「19:17イエスはみずから十字架を背負って、 されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた。」ということになって いて、このイメージで映画が製作され我々に強く印象に残っているのですが 共観福音書はすべてキュレネ人のシモンが運んだことになっています。 マタイはマルコにある「アレキサンデルとルポスとの父」というシモンの属性を削除 しています。よく知らなかったからでしょう。マルコは恐らく後にキリスト教徒とな つたアレキサンデルとルポスを知っており、彼らの父のシモンさんがロマ兵に徴用されて 担がされたんですよと伝えたのでしょう。 強盗たちが罵ったのも、罵った者をたしなめたのも創作であると思います。 刑死する強盗たちにそんな余裕も気力もなかったでしょう。 ルカは特に話を盛り過ぎです。マタイはマルコを写しいているだけです マルコは通りががった者、祭司長ら、律法学者らが繰り返し罵倒したという 話の流れで共に刑に服したものたちもイエースースを罵倒したと付け加えました ルカ8:21 ὁ δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν πρὸς αὐτούς. μήτηρ μου καὶ ἀδελφοί μου οὗτοί εἰσιν οἱ τὸν λόγον τοῦ θεοῦ ἀκούοντες καὶ ποιοῦντες. ὁ δὲ ἀποκριθεὶς 男単主格+接+過分男単主格 彼は+で+答えて εἶπεν πρὸς αὐτούς.三単二過+前+男複対格 彼は言った+〜向けて+彼らを μήτηρ μου καὶ 女単主格+一単属格+接 母は+私の+そして ἀδελφοί μου 男複主格+一単属格 兄弟らは+私の οὗτοί εἰσιν 男複主格+三複現 これら者らが+彼らである οἱ τὸν λόγον (冠)+冠・男単対格 (ἀκούοντεςにかかる)+御言葉を τοῦ θεοῦ ἀκούοντες 冠・男単属格+現分男複主格 神の+聴く者ら καὶ ποιοῦντες.接+現分男複主格 行う者ら スロージューサー訳 で彼は答えて彼らに向けて云った。 「私の母と私の兄弟たちはこれらの者である。 神の御言葉を聴く者たちと行う者たちである。」 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-21.htm >>501 映画のイメージはヨハネから取ってるってことですね マルコではシモンの属性が語られているところから おそらくヨハネバージョンよりマルコの史実性のほうが高く、マタイはそれを端折って伝えたってことですね 強盗に関してはどちらも史実性が薄い、と たしかに自分が十字架にかかっている時にイエスを罵倒するなり、もうひとりの強盗を嗜めるなり するのは難しいでしょうから、ここはあまり信憑性がないと言えそうですね >>505 atheistくん、こんばんは。本日の聖句は詩編第68篇です ルカ8:22 Ἐγένετο δὲ ἐν μιᾷ τῶν ἡμερῶν καὶ αὐτὸς ἐνέβη εἰς πλοῖον καὶ οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ καὶ εἶπεν πρὸς αὐτούς. διέλθωμεν εἰς τὸ πέραν τῆς λίμνης, καὶ ἀνήχθησαν. Ἐγένετο δὲ 三単二過+接 それが生じた+で ἐν μιᾷ τῶν ἡμερῶν 前+女単与格+冠・女複属格 〜に+一+日々の καὶ αὐτὸς ἐνέβη 接+三単主格+三単二過 そして+彼は+彼は乗り込んだ εἰς πλοῖον 前+中単対格 〜の中へ+船 καὶ οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ 接+冠・男複主格+男単属格 そして+弟子たちが+彼の καὶ εἶπεν πρὸς αὐτούς. 接+三単二過+前+男複対格 そして+彼は言った+向けて+彼らに διέλθωμεν 一複二過接 私たちは渡った εἰς τὸ πέραν τῆς λίμνης, 前+冠・中単対格+冠・女単属格 〜中へ+向こう側+湖の καὶ ἀνήχθησαν.接+三複過受 そして+彼らは出帆した スロージューサー訳 で、それが生じた。日々のある日に、そして彼と彼の弟子たちは船へ乗り込んだ。 そして彼は彼らに向けて云った。「私たちは湖の向こう側へ渡ろう。」 そして彼らは出帆した。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-22.htm >>507 68章は今までと比べ、少し長いですね 一読した限りの第一印象は、この章では軍神としての神の側面が強く出ているように感じました この章はまた、表現の意味がよくわからないところが多いようにも感じました まずは11節の「おとずれを携えた女達の大いなる群れ」です これは何のことを言っているのでしょうか? また13節も何を表現しているのか分かりません また21節の「毛深い頭のいただき」というのも、なぜ「毛深い」という形容が必要なのか分かりません 次の22-23節も敵を蹂躙する神の姿を描いているように見えますが、よく分かりません 特に「あなたの犬の舌」というのが分かりません 少し気になったのは4節の「雲に乗られる者」という表現です 新約聖書では再臨のイエスがこのような姿で語られますが ここではヤハウェ自身が雲に乗るというような具象的なイメージを持って語られています 新約ではイエスが目に見える具象的な存在であったためか、父なる神は霊的存在として 抽象的に語られていたように思います それに対し、ヘブライ語聖書では、その威信を示すために様々な具象的イメージで語られることが 多いとは思っていましたが、このような比較的擬人化された人間サイズのイメージは それほど多くなかったように思います 印象的なのはヤコブと格闘した神の例ですが、雲に乗る者というのも 火の柱的な勇壮な自然的イメージではなく、より人間的なイメージであるように思いました >>509 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第69篇です。 フランシスコ会訳註は、全詩編中、本詩が一番意味不明なので、解釈が多種多用とのこと。 数多の有名な詩歌の部分、恐らくは冒頭の数行を集めた説。 出エジプトからエルサレムまでの絵巻物説。 一大祝祭の典礼の詩説。フランシスコ会訳註はこれを支持 ハーパー注解は、モーセの時代(2-4,7-9)定着の時代(5-6,10-11)デボラと土師(12-15) 神殿建設(16-19)軍事上の経験(20-24)勝利の祝祭(25-28)政治的軍事的諸問題(29-32) 預言者的希望(33-36) 11節。フ会訳は「主は言葉を授け、大勢の女たちに告げさせられました」 13節前半は土師記5:16「5なぜ、あなたは、おりの間にとどまって、羊の群れに 笛吹くのを聞いているのか。」に類似してデボラのことが歌われると推定されてます。 後半は意味不明で、おそらく金箔銀箔製の鳩型の神輿のような戦利品ではないかと。 21節 聖書協会共同訳では「髪に覆われた頭」に変更されています。 新改訳は「毛深い脳天」です。 22-23節をフ会訳註はエジプト軍の壊滅と言ってます。ただバシャンの個所を訳出 してません。ハーパー注解は、バシャン近郊におけるアハブ王の敗北と妻イザベルの 最後を描いており、悪は赦さないという詩であるとしています。 それがなぜ「犬の舌」なのか私にはわかりません 4節の「雲に乗られる者」は古代カナン的表現。土着の伝統的な着想では神は雲の中にいたそうです。 そして雲の中からイスラエルをエジプトから導きだしたそうです >>510 聖書釈義のプロにとっても意味不明箇所が多いんですね もし時代の異なる複数の詩歌からの寄せ集めだとしたら 章を通して一貫した意味を取ろうとする解釈そのものが 方法論的に誤った解釈になってしまうので、素直に諦めますw 「雲に乗られる者」は古代カナン神話に見られるような表現で これはその影響を受けている、ってことですね もしかしたら再臨のイエスの描写もそれを引き継いでいるのかもしれませんね さて69章ですが、神に救いを求める詩のようですが 同時に懺悔の詩、敵への懲罰を求める詩でもあるようです 26節にあるように、自分の罪によって神に懲罰を受けた著者をさらに追い打ちをかけて迫害する者たちを 退けるよう神に祈っている状況なんだと思います 1-3節は大水に浸かってるのに叫んだり渇いたり、わけが分かりません おそらく絶望的状況での救いの希求を比喩的に表現したのでしょうが 今回気になった箇所は28節です これはまるでヨハネ黙示録の聖句のようです ヘブライ語聖書にはこの詩篇の他に「いのちの書」という表現を使った箇所はあるのでしょうか? >>511 atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第70篇です。 フランシスコ会訳註は「悩める僕の嘆願」と題し ハーパー注解は、「苦難を受けた個人の長きの歌」としては長い方に属する。 新約の受難物語に最も引用される詩であるそうです。その上で敵に対する広範な呪詛を 含んでおり、初期キリスト教の使用と共に呪詛伝承そのものの神学的取り扱いを考える 機会を与えてくれる作品だそうです。 1-3節は洪水の濁流に浸かって、泥水なので水はあれど飲めない 叫び疲れて喉が枯れ果てたということでは? 新共同訳とフランシスコ会訳は「喉が枯れ」口語訳と新改訳は「喉が渇き」と 訳しています。 ハーパー注解は概略説明部分でまず 「この記者の繊細な感受性は、強要された孤独と言う個人的な苦悶の中(21節)で、 のみならず、怒りと呪いとが合成された爆発の中で際立っている(23-29節)」と語り 23-29節はずばり「敵に対する呪い」のようです。 新約の引用も多く 23-24節はローマ1:9-10 25節は黙示録16:3 26節は使徒1:20 29節は黙示録3:5 だそうです。 節のずれがあって、黙示録3:5は「いのちの書」なので28節のことですね イザヤ書に「生命の書」があります。 4:3 4:4そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、 シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、 シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、 すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる。 ルカ8:23 πλεόντων δὲ αὐτῶν ἀφύπνωσεν. καὶ κατέβη λαῖλαψ ἀνέμου εἰς τὴν λίμνην καὶ συνεπληροῦντο καὶ ἐκινδύνευον. πλεόντων δὲ αὐτῶν 現分男複属格+接+男複属格 渡っている時に+で+彼らの ἀφύπνωσεν. 三単過 彼は眠り込んだ καὶ κατέβη 接+三単二過 そして+それが下りた λαῖλαψ ἀνέμου 女単主格+男単属格 突風が+風の εἰς τὴν λίμνην 前+冠・女単対格 〜の中へ+湖 καὶ συνεπληροῦντο接+三複未完受 そして+彼らはすっかり満たされた καὶ ἐκινδύνευον.接+三複未完 そして+彼らは危険に瀕していた。 スロージューサー訳 で彼らの渡っている時に彼は眠り込んだ。 そして湖へ風の突風が吹き下ろした。そして彼らはすっかり満たされた。 そして彼らは危険に瀕していた。 参考に https://biblehub.com/text/luke/8-23.htm 本スレ345 一般的には生命の誕生は35億年前。45億年前は地球の誕生 で生命の爆発のカンブリア大爆発が5億年前 次に聖書には六千年前に生命が創造されたとはない。 暇な学者が聖書にしるされた第一のヨームを第一日と訳し、それらを数えたら 6000余年だったというだけの話。 そもそもヨームは「24hという意味の一日」の意味も、「ある期間」という意味もある ここが一日ではなくて「第一の期間」であれば、6000年ではなくなる。 天地創造と地球誕生の45億年は矛盾しない と、創造科学側は主張する A、地球平面説→地球は平らだ B、地球球体説→地球は丸い C、このAとBの文章は矛盾なく同時に両立する 問題 上記のABCの命題がすべて真であることを証明せよ ↑ 総別の論理でOkやで 総じて言うと地球は球体である 別して人間個人の立場から言うと大地は平面である ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.6 2024/07/15 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる