>>465-466
なるほど捕囚を背景にして語られているかもってことですね
韓国の場合は日韓併合という民族的屈辱の経験があるため
ヘブライ語聖書のエジプトやバビロンでのユダヤ人の経験と重ね合わせやすいから
聖書に馴染みやすい、っていうのはあるかもしれませんね
対して日本の場合は、占領と言っても戦後のごく短期間ですし
しかも国民はむしろアメリカ由来の民主主義を歓迎さえしていたくらいですから
こういった点からも聖書には馴染みにくいのかもしれません

さて67章ですが、ここはよりはっきりと異邦人を視野に入れて書かれているように思いました
2節の「もろもろの国民」や3節の「民ら」「もろもろの民」などにもそれは表れているように思いますが
少し驚いたのは4節です
ここでは「もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせ」るように祈ってさえいます
第2イザヤなどでは明確に異邦人を視野に入れた神や救いが語られていますが
詩篇でここまで語られているとは気づきませんでした

ユダヤの神は天地の創造主ですから、異邦人を包摂する世界全体が語られるのは
当然と言えば当然ですが、選民思想の影響ももあって
実際にはユダヤ民族の神としての民族神の側面が強く印象に残っていますから
ちょっと新鮮な感じがします