>>511
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第70篇です。

フランシスコ会訳註は「悩める僕の嘆願」と題し
ハーパー注解は、「苦難を受けた個人の長きの歌」としては長い方に属する。
新約の受難物語に最も引用される詩であるそうです。その上で敵に対する広範な呪詛を
含んでおり、初期キリスト教の使用と共に呪詛伝承そのものの神学的取り扱いを考える
機会を与えてくれる作品だそうです。

1-3節は洪水の濁流に浸かって、泥水なので水はあれど飲めない
叫び疲れて喉が枯れ果てたということでは?
新共同訳とフランシスコ会訳は「喉が枯れ」口語訳と新改訳は「喉が渇き」と
訳しています。

ハーパー注解は概略説明部分でまず
「この記者の繊細な感受性は、強要された孤独と言う個人的な苦悶の中(21節)で、
のみならず、怒りと呪いとが合成された爆発の中で際立っている(23-29節)」と語り
23-29節はずばり「敵に対する呪い」のようです。
新約の引用も多く
23-24節はローマ1:9-10 25節は黙示録16:3 26節は使徒1:20 29節は黙示録3:5
だそうです。
節のずれがあって、黙示録3:5は「いのちの書」なので28節のことですね

イザヤ書に「生命の書」があります。
4:3 4:4そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、
シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、
シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、
すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる。