ギリシア語には、修辞技法というのがあって
「愛する」を意味する語を繰り返し使う場合、同語を繰り返すのは野暮なので
同義語に置き換えるわけです。

ヨハネ21章では、アガパオーとフィレオ― オイダーとギノースコーが同義語の
言い換えとして使用されています。
しかしキリスト教会の神学では同じ「愛する」でもアガパオーを無償の愛であいすること
と一段高く設定していますので、ここでも差を読み取ろうとする神学者たちが暗躍する
わけですが、はっきりいって屁理屈ですので相手にするだけ馬鹿らしいです