>>551
もし仮に復活信仰が存在しなかったら、どうなっていたんでしょうね
わたしはキリスト教は消えてなくなっていただろうと思います
たしかにイエスの受肉や復活がなくても、イエスの教えは人の心を打ちます
しかしそれはおそらく叡智や倫理の枠を超えず、せいぜい新約版知恵の書にとどまっていただろうと
思います

さて詩篇73章ですが、出だしの1節に反して、悪しき者が栄え、神を蔑ろにする者が安穏としている
様子が語られます
作者はヨブ記のような不条理に直面します
しかし3節にあるように悪しき者、高ぶる者を妬むことがつまづきであったと気付きます
この気付きのきっかけは17節の神の聖所に行くことであったように読めます
18節から20節は聖所での気付きなので、悪しき者が実際に滅ぼされたということではなく
おそらく最終的に神は正しく悪しき者を裁くと悟った、ということなのだろうと思いました
結局作者はつまずきから立ち上がり冒頭の心境に至ったのだと思います

15-16節が少しわかりにくいです
要は14節までのようなことを口にしたら
それは道を踏み外したことになっていた、ということのように読めますが
そうすると16節が何言っているのか分かりません
「これを知る」とはどういうことで、なぜこれが「面倒な仕事」なのでしょうか?