>>576
苦難の中で神を希求する様を表しているわけですね
誤解していたのは「夜はわが手のべて」ののべるの主語を夜と思っていたことです
聖所によくあるなんらかの象徴表現だと思っていたので意味がとおりませんでした

マタイ28:16-20 使徒1:3-14はいわゆる「大宣教命令」の箇所ですね
ここはイエス自身の言葉というよりも教会のモットーであるように感じます
特にマタイは頻繁に引用されますが、それもクリスチャン(教会)の使命をこれ以上なく力強く
かつ簡潔に言い表しているからだと思います

今回気になったのは、大宣教命令そのものではないですが、使徒行伝の1章6節です
ここでルカはイスラエルの国家としての復興をイエスに問うていますが
これはイエス存命時だとすればローマからの独立、
ルカが使徒行伝を書いた時代を反映しているとすれば、そのままイスラエルの復興ということに
なると思います
いずれにしても政治的独立・復興が含意されていると思うのですが
イエスの答えは、時期を不明とし、話を聖霊降臨時の宣教(証し)へとずらしています
つまりイエスは弟子たちの政治的な問いを宗教的な解答へと変更しているように感じられます
ここはイエスと弟子たちの間に将来像についての認識のズレがあったと思われますか?