>>649
ということは南側が北側に敵対している状況ではなくて
やはりイスラエル全体が異民族(アッシリア)に対して敵対している状況ということですね

ぶどうの木については、出エジプト時にエジプトから移植されたぶどうの木が
ちょうどエジプトからカナンに移住したユダヤ民族に重なっていたため
ユダヤ民族がぶどうの木に喩えられたということですね

さて81章ですが、冒頭はずいぶん威勢がいいですね
5節以下は出エジプト以降の神の救いと民の離反というお決まりのパターンが反復されています
ただこの章で印象に残ったのは、お決まりのパターンではあっても、神の言葉として
神と民の応答という側面が強く出ていることです
7節の「あなたに答え」というのがそうですし、また8節の「勧告する」や「望む」というのも
単純に神の一方的な施しや裁きではなく神と民との応答という側面をよく表しているように思います

プロテスタント神学では神の一方的な恩寵が強調されますが
ヘブライ語聖書の伝統にまで遡れば、こういった神と人との応答という側面も存在していたことが
よくわかります

それにしても詩篇に限りませんが、ヘブライ語聖書では当時のユダヤ民族の状況を反映して
神の民族神としての性質、軍神としての性質が顕著に現れている箇所が目立ちますね
古代においては、創造神としての普遍性と民族神としての特殊性、
あるいは妬む神の性質と恵みの神の性質、さらには義(裁き)の神の性質と愛(救い)の神の性質、
こういった二面性あるいは多面性をもって神が観念されていたことを改めて思い起こしました