>>652
サムエル記を読んだときにも、神は「悪い霊」をサウルに送ったりしてましたからね
新約の神と異なり、ヘブライ語聖書では神は清濁併せ呑むというか善悪併せ呑んで
トータルな絶対者という描き方になっているように感じますね

さて82章は短いですが、「神々」の読み方によって解釈が全く異なってくるように思います

神々をそのまま複数の神と捉えれば、ヤハウェは神々の長、ギリシャ神話のゼウスに近い立ち位置と
いうことになってしまいます
この場合はこの章は多神教時代のユダヤ教の名残、あるいはウガリト神話の影響のもとに書かれたもの、
といったあたりの解釈になるのでしょう
6,7節はこの解釈を肯定しているように見えます
神は神々のなかの頂点で、神々は神の「子」であり、それぞれ各地で裁きの権威を与えられていたが
不正な裁きをなし続けていれば、人のように死ぬことになるだろう、といった流れになると思います
あるいは神々は異教の神々であって、ユダヤ人の立場からはその異教の神々より自分たちの神は
上であり、異教の神々はたかだか自分たちの神の子にすぎず、その権威に基づいて各地を統治している
にすぎないのだ、みたいな感じですかね
さしづめ王様と王子たちの関係といったところでしょうか

神々を神の使い、すなわち天使と捉えると、一神教の枠内に収まる解釈になりますが
2節以降の解釈が困難になってきます

唯一神教に一番整合できるのが、神々を人間の王や権威者と解釈することだと思います
しかしこの解釈も特に6,7節の読み方が著しく困難になってしまうと思います
人間をなぜ「あなた方は神だ」と強調するのか、人間をなぜ「人のように死に」と言うのか
説明に窮するからです

ということでこの章は解釈に困ってしまいますが、唯一神教の枠内に収まらなくても
神々をそのまま神々と解釈するのが一番しっくりくるように思いました