>>670
わたしはマタイはレビの別称だと思っていましたが、別人物なんですね
たしかに別称だとしたらペテロのように意味のあるあだ名になるでしょうから
別人物と考えたほうが良いのかもしれません

挿入句はホセアなんですね
これ自体は意義深い聖句だと思いますが、ここで「いけにえ」はちょっとコンテキストから外れると
思っていました

取税人の家で食事をするほうが、当時のユダヤ人にとってはより「悪質」だったでしょうから
マタイはそれを避けたという感じでしょうか

さて詩篇に戻って、83章です
この83章はヤハウェの民族神としての捉え方が特に顕著に出ていると思います

ここでの質問は9節の「あなたがミデアンにされたように、キション川でシセラとヤビンにされたように」と
11節の「彼らの貴人をオレブとゼエブのように、そのすべての君たちをゼバとザルムンナのように」
という箇所です
これはヘブライ語聖書に言及があるんでしょうが、記憶にありません
具体的にどの箇所を指し示しているのでしょうか?

それからこれはある意味当たり前といえば当たり前ですが
1節の「神の沈黙」という箇所が改めて気になりました
ヘブライ語聖書では神と民とのインターアクションはしばしば出てきますし
神は具体的な形で歴史に介入します
しかしもちろん実際には海を割ったり火柱を立てて民を先導したりすることはなかったはずですから
当然民族の危機に対して神は沈黙を守っていたはずです
通常ヘブライ語聖書ではそれを神が沈黙しているのではなく、危機そのものを民の離反に対する神の回答
として解釈していたと思います(バビロン捕囚は神に従わなかった民への懲罰といったふうに)
ヨブ記のような例外を除いては、直接的に神の沈黙を口にするのは比較的珍しいのではないかと思いました