>>674
やはり年代特定は難しいんですね
今回もそうですが、紹介していただいたフランシスコ会訳註とハーパー注解では
ずいぶん推定が異なりますね
それほど詩篇の背景的解釈は難しいということなんでしょうね

9節、11節で出てくる名前は士師記だったんですね
ありがとうございます
ついでにちょっと見てみたらたしかに名前がありました
女預言者デボラは覚えてますが、この人達の名前は
まるでまったく覚えてませんw
士師記を読んだときにはそこそこ面白いと思っていたのに
やっぱり1,2回読んだくらいじゃ全然ダメってことですねw

神の沈黙については詩篇のその他の箇所にもあったんですね

さて84章ですが、主の大庭、シオンの大路、神の家の門守とあるところから
作られたのは、すでに神殿が建造された後の時代であるように思います
内容的には神への賛美が中心だと思いますが、ひとつ気になったのは7節です
ここでヤハウェは「神々の神」と表現されていますが
これはどう考えたら良いでしょうか?
普通に読めばモロ多神教時代の表現に取れますから
唯一神教化が顕著になるバビロン捕囚期以降、つまり第二神殿期とは考えにくいです
ソロモン時代からユダ王国の安定期あたりだとしても、こんなに直接的に多神教的な表現が
保存されているのは珍しいような気がします

ひとつ考えたのは、「神々の」神という表現が単なる偉大さを形容するために慣用化した表現なのかも
しれない、ということです

あと6節のバカの谷には笑ってしまいました
最初はそのまま馬鹿の谷?と思ってましたw