>>693
ラハブはエジプトなんですか
たしかにバビロンやペリシテ、エチオピアがあってエジプトがないのは変ですからね

異国の民、異教徒もユダヤの神を信仰するようになるって流れで良いんですね

休日の箇所ですが、ルカがサマリアの村拒絶された際にヤコブとヨハネが
焼き払っちゃいましょう、と進言したことをイエスが叱った箇所、
マルコがやはりヤコブとヨハネが特別な地位を求めたことに対して
使える人となれ、と窘めた箇所、ということで弟子の不見識をイエスが諫めるという点で
共通しているように思いますが、最後のヨハネの箇所はサマリアの女に水を求める箇所で
しかも話が途中までです

ヨハネの箇所が一緒に選択されている意図がわからないので、ここは置いておくとして
福音書では上記のように弟子たちの不見識や傲慢などがけっこう露骨に語られます
もちろん、福音記者が特定の弟子を非難する意図もあったかもしれませんが
現代において福音書を読むわたしたちにとっては、こういった弟子の未熟さというものが
はっきり書かれていることによって、福音書の物語がよりリアリティのあるものになっているように
思います
そのため読む者は弟子たちに憤慨したり共感したりすることで
福音書をよりいっそう自分のこととして読めるようになるのだと思います