>>706
具体的ななにかを指すということではなく、威厳や力強さの象徴ということですね
キリスト教では角に対する価値観が反転しているというのも面白いです

さて90章ですが、ここでも基本線は、筆者あるいは民が経験している苦難の原因を
神の怒りに帰して、その怒りを取り去り、いつくしみを与えるよう嘆願する詩であると思いました

ただこの詩で印象に残ったのは永遠の神に比した人間の儚さです
これは新約聖書とは対照的で、ヘブライ語聖書では人は塵に帰り、滅び去るものとされています
であるから死後の救いではなく、14節のように「世の終わるまで」喜び楽しむことを希求するのでしょうね
やはりここでもユダヤ教の現世主義的な側面が表れているように思いました

質問というわけではないのですが、ひとつ気になったのが10節です
古代で一般的な寿命が七十年というのはずいぶん長くないですか?
おそらく庶民の平均的な寿命はもっと短かったであろうと思います
もしそうだとすれば、筆者が一般的な寿命を七十年と考えていることから推察するに
詩の印象とは反対に、筆者はかなり裕福な階級・階層に属していたのではないかと思います

あくまでも想像ですが、もしかすると庶民はヘブライ語聖書を編集した階層の人たちとは違って
過酷な現実のなかで素朴に死後の命や復活を信じていたのではないかと、ふと思いました
そういった庶民の素朴な信仰(あるいは希望)がパリサイ派らの復活信仰へとつながっていったのでは
ないかと感じました