>>708
創世記など900歳とかぶっ飛んでますからね
モーセの120歳というのも古代ではちょっと考えられない歳ですが
トーラの伝統に従って寿命はそこそこ長めに書いてるのかもしれませんね

>>711
了解です
いよいよローマ人への手紙が来ちゃいましたか
パウロは捏ねくり回すような文体が続くので読むのがたいへんです
なるべくその文体に引きずられることのないよう素朴な目で読んでいきたいと思います

さて1章は手紙冒頭になりますが、まず自分が使徒であるという宣言から始まり
イエス・キリストが預言者たちによって予言されていた福音であることを告げ知らせます

本題は16節あたりからでしょうか、信仰による義と不信仰による不義を対比させ
神の永遠の力と神性は被造物において明らかに認められるからというロジックで
不信仰に対して弁解の余地なしと言い切ってます
古代においてはこのロジックは一定の説得力を持っていたのかもしれません

ともかく神を知りながら神を崇めず、その不朽の神を朽ちゆく被造物の像に替えてしまったがゆえに
神は不信心者を欲望によって汚れるままに任せられた、と論を展開し
話題を「不自然な」情欲へと指し向けていきます
これは当時のローマでなかば公然と行われていた同性愛に対する批判なのでしょうが
わたしはヘブライズムによる偏見だと思います
もちろん実際に放埒な同性愛その他異常性愛と言えるようなことも行われていたのでしょうが
ユダヤ教の伝統に深く身を浸していたパウロにとっては同性愛ということ自体が
許しがたいことだったのだと思います

今回の質問は14節の「ギリシヤ人にも未開の人にも」という箇所です
ギリシャ人は自分たちをヘレネスと呼びギリシャ語をしゃべらない異邦人をバルバロイと呼んで
差別しましたが、ローマ市民権をもち、ギリシャ語を話すとはいえユダヤ人であるパウロも
このようなギリシャ的差別意識を持っていたのでしょうか?