>>715
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はマタイ14:22-33,マルコ6:42-52

16節の「わたしの福音によれば」。
他の新約では、定冠詞付きの「福音」か、「イエースース・クリストスの福音」ですが
パウロスだけは、「私の福音」と語ります。「我々の福音」であるべきところをです。
さすがにおこがましいので写本の中には「わたしの」の削除しているものがあるほどです。

しかしパウロスにとって福音とは、私が、神によって啓示された福音なので
「私の福音」と語るわけですね。それを君たちに宣べ伝えるのであると。
つまり和紙先生のように自意識過剰な最低人格がそのまま「わたしの」に
表現されてしまった箇所です。

口語訳は「わたしの福音によれば」と訳していますが
καταという前置詞は「〜よれば」というより「〜従って」という意味ですので
「わたしの福音に従って神が裁く」とパウロス先生は仰せなのです。
さすがに教会はこんなカルト的発想を容認できないので
文法的問題は脇に置いて、パウロス先生の省略表現であろうと解釈して
私の福音に拠れば
「神による最後の審判は神がイエースース・クリストスによってなされることにな
っている」と解釈されています。

ちなみにフランシスコ会訳は、省略と解釈して
「私の伝えている福音」と補っています。
みなさん、パウロス先生擁護にかなりの努力をされています。