>>725
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はローマ第四章です。

9節の「絶対にない」は、ου παντωςを全否定と解釈した訳ですが、
パウロは全否定の場合はπαντως ου(1コリ16:22)
部分否定の場合はου παντως(1コリ5:20)にしていますので、ここは部分否定です
「必ずしもそうではない」ぐらいです。
2節で多くの点でユダヤ人は優れていると断言したのですが、実は
神の言が彼らに預けられたという一点しか挙証できなかったのですが
パウロはユダヤ優越主義者です。なにがなんでもユダヤ人が優れていると考えている
わけですが、「罪人」であるという点に関しては必ずしもユダヤ人も「罪人」である
から、異邦人と同様で必ずしも優れていないということです。

26節「神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされる」
神が能動的に「義」になるわけです。
神は神である故にアプリオリに義なのではなくて、
動的に活動することによって「義」をわれわれに示すわけです。
それがイエスの受肉であり、十字架の贖いです。
人類のすべての罪はこれにより代償されました。
なので、今までは律法遵守により義とされましたが、
これからは、十字架の贖いを信ずると義とされるようにルールチェンジされたわけです
われわれ生きている者も、死んだ者も、このルールチェンジ下です。
ユダヤ人も異邦人も女性も男性も生きている者か死んだ者か、何の区別なく
この新ルールの下です。