>>738
けっこう印象は違うんですね
わたしは現実問題の部分ではなく、単に神学的なロジックの部分だけを見て、すっきりしていると思いました
もちろん現実的に「罪に死んだ」と言っても罪を犯しますからパウロは口うるさく説教を続けるわけですね

19節の「人間的な言い方をするが」という部分は、要はその現実に目を向けさせる文句ではあるけど
それはパウロ自身の説得力のなさを隠すための傲慢な言い回しという解釈ですね

さてローマ7章です
なんかごちゃごちゃ言ってますが、要はキリストによって律法から解放された、しかし律法は
罪を自覚させ、罪が罪として現れるためのものであって、律法自体は善なるものである、
そして律法が善なるものと知りながら自分は欲しない悪を行っている、じゃあこんな惨めな自分を
救ってくれるのは何か?それがキリストだ、っていうようなことを述べた章だと思いました
ともかくあまりにも捏ねくり回し過ぎていて、もっと整理してから書けよと言いたくなりますw

特に冒頭4節あたりまでがよく分かりません
1節の律法は人を生きている間だけ支配する、というのはいいとして、なぜそれが2節のように
夫が死ねば「夫の」律法から解放されるとなるのか、まるでわかりません
1節の律法は夫の律法などという個別の律法ではなく普遍的な律法のことだろうし
夫が死ねば他の男に行っても姦淫とならないというのは、まさに普遍的な立法に照らして
言われるべきことで、「夫の」などという個別性は必要ないと思います
おそらくこれは4節以降のキリストを通して律法に対して死んだからキリストに行ってもいいということを
言うための喩えなんでしょうが、論理がぐちゃぐちゃで返って混乱します

そのあとも、もって回ったような文章が続きますが、25節の自分は心では神の律法に仕えているが
肉では罪の律法に仕えている、という告白がこの章の要点なのだと思いました