>>741
たしかに律法の死を語りながら、くどいように律法の意義を語りますからね
パウロの中には律法に対するアンビバレントな感情があるのかもしれません
4節あたりまでの複雑さは、たしかに夫の律法という不自然な言い回しだけでなく
律法に関して支配する側の死と支配される側の死が入れ替わってますね
ともかくここは強引に律法からの開放を説明するためにこじつけたように見えます
配偶者が死ねば別の人と結婚できるという箇所に特に異論はありません
このような律法はある程度普遍的な律法だと思うからです
それゆえにわざわざ「夫の律法」と語る意味がわからなかった、ということです

さて今日のマタイですが、イエスが自分の正体を弟子たちに聞き
ペテロが神の子キリストであると答え、それに対してイエスがペテロに地上の権威を授ける箇所ですね

ここは正直言って、創作だと思います
18-19節はあまりにも有名でよく引用されますが、それは教会の権威、特にカトリック教会の権威を
基礎づける箇所だからだと思います

ここでの質問は18節の「黄泉の力」です
黄泉ということはおそらくギリシャ語ではゲヘナではなくハデスだと思うのですが
そうだとするとハデスはヘブライ語のシェオルと同様、神に対抗するサタンの居場所ではないように
思います
それがここではサタンの力のような意味で用いられているということは
ハデス→死→罪→サタンと関連付けがなされて、結局、死がサタンと結びついてしまったため
死者の居場所であるハデスがサタンの領域のように考えられるに至った、ということなのでしょうか?