>>751
10節で霊肉二元論に寄りすぎてしまったため11節で修正してるってことですね
たしかに10節から11節への展開は問題があって、これを整合的に解釈することは
けっこう難しいと思います
まあ昔から、ああでもないこうでもない、とやってたわけですねw

>>752
自作自演的な表現はヘブライ語聖書でも「神はパロの心を頑なにした」みたいな形で
出てきますよね
きっちり論理を通そうと思うと、いろいろと問題が出てくるのが聖書だと思います
ですから結局その中心思想と言うか、核の部分を軸に
あとはよしなに読んでいくしかないのかもしれませんw

わたし自身はキリスト教においては予定説はいろいろと問題ありだと思いますが
(それゆえにカトリックやプロテスタントメインラインはこういった箇所を予定説にならないよう
解釈するんでしょうが)、まあどう観てもパウロ自身ははっきりと予定説言っちゃってますよねw

さて9章ですが、前章につづいて予定説、しかも二重予定説的な論が展開されています
まさに上で書いたパロの心を頑なにした部分が出てきてますw
21節の表現から分かるように、神と人間の間には造った者と造られた者の明確な違いが
意識されています
あるいは11節にあるようにすでにして生まれる前から神の選びがあり、それによって決定づけられている
のが人間であるという発想があります
この章はまさにカルヴァン派の主張を全面展開したような章で、いかにパウロのこの発想の影響力が
強かったのかが分かります

ここでの疑問は冒頭部です
パウロの言う「大きな悲しみ」「絶えざる痛み」とは何なのでしょうか?
また3節ではユダヤ人のためなら自分がキリストから離されても厭わないとまで言ってますが
いったいこれはどういう意味でしょうか?