>>756
この悲しみや痛みというのは同胞ユダヤ人ではなく異邦人が選ばれたことに対するものだったんですね
同法の救いのためなら、自分が呪われても(神から離されても)かまわないという覚悟表明
ということですね
パウロ個人の救いよりも同胞を優先するというのは、それほどユダヤ民族に対する愛着があった
ということなのでしょうね

さて10章ですが前章末に続いて信仰義認を強調しています
とくに9節10節がよく引用されますね

ここでの質問は6-7節です
6節と7節は対照的なセットになってますが、6節のほうは誰が救われるかといった打算的、
あるいは傲慢な態度はキリストに反し、キリストを卑しめることになる、という感じで読めます
ところが7節の「誰が救われないか」といった他人を論うような態度は
同様にキリストに反し、キリストを卑しめることになると思われるのに
ここでは「キリストを死人の中から引き上げること」と言ってます
6節で引き降ろしたので、対照句である7節では引き上げると表現したように見受けられますが
意味が分かりません
ここはどういうことなのでしょうか?