>>762
パウロが「えらそう」に見えるのは、いわゆる「パウロの回心」のときに
自分が神に伝道のための使徒として選ばれた、という自負があったからなんでしょうね
おそらく本気でそう思っていたんだろうと思います
そしてガチなパリサイ派としての自負も同時にもっていたので
イスラエルの特別な役割も信じて疑わなかったのだと思います

「妬ませる」のほうがずっとリアルで直接的ですね
下世話な感じはしますが、異邦人が救われていることに妬んだユダヤ人がキリストに目を向ける
ということなんでしょう
実際的にもローマ帝国の異邦人がすべて救われる(改宗する)なんて状況にはなかったわけですから
異邦人をイスラエルの救いのバネにしている、という印象はありますね

さて12章ですが、クリスチャンはキリストの体のそれぞれの一部であるから
それぞれの賜物に応じた働きをしなさい、と教えている箇所ですね
その際に悪に対しては悪ではなく善を持って応じよ、互いに愛し尊敬し合え、
復讐は神に任せよ、と訓戒を説いています

ここでの質問は14節の迫害する者を祝福せよ、という箇所です
いかにもキリスト教らしい訓戒ですが、よく考えてみると、よく分かりませんw
迫害するものを赦せ、なら分かりますが、祝福するとはどういうことでしょう?
自分で復讐はするなとは言ってますが、神が復讐するわけですから
神に復讐され痛い目に遭うことになるだろう人間をなぜ祝福できるのでしょうか?