宗教板避難所
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atheistくん、おはようございます。本日の聖句はローマ第15章です。
なんとか回復されたとのこと、よかったですね。
2節「(信仰の)弱い人は野菜だけを食べる。」
原文には「だけ」はありませんが、意味は当時の異邦人世界では、
「肉」は一旦神殿に捧げられてから、一般市民用に肉屋さんに払い下げられました
のでユダヤ教徒からすると、すべての販売肉は「偶像に捧げられた不浄な肉」で
あったのです。
パウロスの主張は
キリスト教徒になっても旧来のユダヤ教の食物規定に固執する者は
「信仰において弱い人」なのです。
信仰によって旧来のユダヤ教の規則から開放されたキリスト教徒は
「肉」を食べるわけですが、ユダヤ教からキリスト教へと改宗した者で
昔の習慣から「肉」を食べない人がいて、互いに喧嘩していたのですね
「不浄な肉」を食べているとかなんとか、と。
で、コリントス書簡でもここでも、「弱い人」の前では、気を遣って
「肉」を食べない事はよいことであると21節で主張しています。
パウロスの本音は20節で「すべての食べ物」は清いのですが、
トラブルを避けましょう。彼らは信仰が弱いのですから、
我々は配慮しましょうということですね ルカ9:17
καὶ ἔφαγον καὶ ἐχορτάσθησαν πάντες,
καὶ ἤρθη τὸ περισσεῦσαν αὐτοῖς κλασμάτων κόφινοι δώδεκα.
καὶ ἔφαγον 接+三複二過 そして+彼らは食べた
καὶ ἐχορτάσθησαν πάντες, 接+三複過受+男複主格 そして+彼らは満腹した+皆が
καὶ ἤρθη 接+三単過受 そして+それは持ち上げられた
τὸ περισσεῦσαν αὐτοῖς 冠・過分中単主格+男複与格 有り余ったものが+彼らに
κλασμάτων 中複属格 かけららの
κόφινοι δώδεκα.男複主格+数詞無変 籠らが+12
スロージューサー訳
そして彼らは食べた。そして皆が満腹した。
そして彼らにあり余ったかけらの拾い集められると、籠が12であった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-17.htm >>801
おかげさまでひとまず事なきを得ましたが、入院はしばらく続くそうです
面会はコロナ禍のため全面的に禁止だそうですが、兄が行ったときには
わざわざ遠くから来てくれたということで3分間だけ特例で面会できたそうです
なるほど、なんで野菜?と思ってましたが、当時のローマ帝国では
肉は一旦異教の神殿に捧げられるため、全般的に不浄扱いにされたいたわけですね
パウロ的にはしっかりした信仰を持ったキリスト教徒であれば食物規定に拘束されないのだから
そういったユダヤ教の伝統に拘るキリスト教徒は信仰が弱い、となるわけですね
ということでそういう信仰が弱い人の前で肉を食べるのはトラブルの元になるので
そのへんは配慮しましょう、と
さてローマ15章はいよいよ手紙のまとめに入ったような感じで、これからの予定を書き記しています
まずはマケドニアとアカイアの人たちから預かった金?をエルサレムに持っていって
それからイスパニアに向かう途中でローマに立ち寄る、という予定を思い描いていたようですね
ここでの質問は、まず3節の「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」という引用句の意図が
まるで分かりません
自分を喜ばすのではなく信仰の弱い人たちの益を図って彼らを喜ばすべきだというのが
なぜこの引用句につながるのでしょうか?
それから22節でローマに行くのを妨げられてきた、と書いていますが
これは20節からの流れを見ると、まだ伝道されていない地に行くことがパウロの希望であり
かつ21節の聖書の預言ですから、ローマはすでに伝道されていたので、パウロはローマに
行けなかった、ということなのでしょうか?それにしてはなぜパウロはローマに行くことを
上記の希望に反して望んだのでしょうか?あるいは22節の「こういうわけで」というのは
特に因果を表しているのではなく、単なるつなぎ言葉で、ローマは伝道未開の地だから
パウロは行こうと思ってるのに、何度か妨げられてきた、と言っているのでしょうか? >>804
atheistくん、おはようございます。面会謝絶とは厳しいですが、免疫力が衰えている
者を診ている病院側としては致し方ない措置ですね。とはいえ3分と言えども面会可と
なったことは喜ばしいことです。母上様も息子の顔を見て安心されたことでしょう。
本日の聖句はローマ第16章です。明日からはローマ書が終わり、今月は箴言のようです。
エルサレム教会は貧しかったのですね。そこでアンティオケから上京した際、
エルサレム教会への献金をパウロスは約束していたのです。その約束を果たすために
地中海世界の信徒から献金を回収し回っていたのです。 3節は詩編69:9の引用です。主イエースースのことを語るのに、詩編を引用する
のですから、パウロスはリアルの主イエースースをまったく見ていません。
「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」の「あなたは」は神のことです。
神を謗る者の「謗り」が、クリストスに降りかかった、という意味ですね
そしてクリストスはその「謗り」を身に受け止められた。自分を喜ばそうとされるどころか
「謗る者」を含めてすべての者の罪を贖われたのである。我々もクリストスを倣って
せめて信仰の弱い者のために、偶像に捧げられた肉を我慢しましょう、と。
22節の「こういうわけで」 これは接続小辞διοの訳ですが、訳としては正確ですが
論理的帰結を述べる接続詞がここにある論理的な意味が不明です。
つまり意味が通じません。そこで神学者はあれこれと諸説を提唱しますが省略します。
パウロスが言いたいのは
1.私は未開地に宣教する使徒であるので、他の宣教者が宣教した土地には行かない
2.そこでイスパニアに宣教に行こうと思っている
3.その前にローマにも立ち寄ろうと思う。今まで妨げられていたが
ここでパウロスはローマは既に宣教されていたという事実を無視しています。
が、コリントスでもエフェソスでも他の宣教師が土台を立て、パウロスはそれに
乗っかっていただけなのに、自分が最初の宣教者づらしています。
そういうことを平気で言う人なのです、この人は。
つまり伝わっていたとしても、ちゃんとした宣教師が伝えていないと思っているのです
俺こそが正規宣教者様である、と。本当にもう恥知らずなのです ルカ9:18
Καὶ ἐγένετο ἐν τῷ εἶναι αὐτὸν προσευχόμενον κατὰ μόνας
συνῆσαν αὐτῷ οἱ μαθηταί,
καὶ ἐπηρώτησεν αὐτοὺς λέγων.τίνα με λέγουσιν οἱ ὄχλοι εἶναι;
Καὶ ἐγένετο 接+三単二過 そして+それは起こった
ἐν τῷ εἶναι 前+冠・現不定 〜うちに+いること
αὐτὸν προσευχόμενον 男単対格+現分男単対格 彼を+祈っていること
κατὰ μόνας 前+属格 一人で
συνῆσαν αὐτῷ οἱ μαθηταί, 三複未完+男単与格+冠・男複主格 彼らは集まっていた+彼に+弟子等が
καὶ ἐπηρώτησεν 接+三単過 そして+彼は尋ねた
αὐτοὺς λέγων. 男複対格+現分男単主格 彼らを+言うには
τίνα με λέγουσιν 疑男単対格+一単対格+三複現 誰を+私を+彼らは云っている
οἱ ὄχλοι εἶναι; 冠・男複主格+現不定 群衆らは+であると
スロージューサー訳
そしてそれは起こった。彼が一人で祈っている時に、弟子等が彼に集まって来た。
そして彼は彼らに尋ねて云うには
「群衆らは私を誰と言っているのですか?」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-18.htm >>805-806
ありがとうございます
こういう時期ですから面会謝絶は仕方がないですね
実際にどれほどの献金を集めたのかは分かりませんが
トータルの教会運営を資金面からも助けたという意味ではパウロの働きはやはり大きかったのでしょうね
3節でパウロが言わんとしたことは「神を謗る者の謗りがイエス・キリストに降り掛かった」ということで
その謗りを受けたキリスト同様、我々も偶像に捧げられた肉を我慢すべきだ、とパウロは言ったわけですね
22節の「こういうわけで」という接続小辞は論理的に意味をなさないので、とりあえず無視でよい、と
事実としてはローマはすでに宣教が行われていた地であるにもかかわらず
パウロはローマを宣教未開地として語っている、ってことなんですね
それまでの宣教者を正規の宣教者とはみなしていないことになるので、これは傲慢以外の何物でもない
ってことになっちゃいますね
さていよいよローマ人への手紙も最終章ですね
と言ってもこの章は挨拶がほとんどなので、説教部分は少ないです
ざっと見た限り、パウロが挨拶(紹介)している人々の中で女性と思わしき人は
姉妹と書いてあるフィべ以外は、あくまでも名前の印象ですがプリスカ、アクラ、マリヤだけのように見えました
初期教会での女性の割合はだいたいどれくらいだったんでしょうね
ユダヤ教では女性の働きはミニマムでしたが、女性差別主義者に見えるパウロですら
何人かの女性の名を挙げているくらいですから、キリスト教における女性の役割というのは
大きかったんだろうと思います
苦手なパウロの手紙でしたが、意外にも以前感じたほど難儀はしませんでした
来週からは箴言ということですね
諸行無常の響きがあるコヘレトやちょっとエッチな雅歌などは強烈に印象に残ってるんですが
似たような知恵文学の箴言はほとんど印象に残ってません
なんか処世訓みたいな感じで、なんで聖書に入ってるの?って感じでしたが
今回は印象が変わるのかどうか、ちょっと楽しみです >>808
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言第1-2章です
パウロスの頃、8割は女性信徒だったのではないでしょうか。
でも女性は男性の所有物という感覚の古代なので普通は無視される
にもかかわらず名を挙げられている女性は有名な方だったのかもです。
姉妹フィベ…奉仕者、のちの時代だと助祭という職位。
プリスカとアクラ・・・これは夫妻の伝道者 妻プリスカ 夫アキラ
エパネト・・・エフェソの最初の男性信徒
マリヤ・・・どのマリアか不明だが女性。マリアはたくさんいる
アンデロニコとユニアス・・・パウロスと共に投獄されていた人たち
アムプリアト・・・だれか不明
ウルバノ スタキス・・・前者ラテン語名 後者ギリシア語名
アペレ・・・ギリシア語名アペレース よくある名前
ツルパナとツルポサ・・・どちらも女性
アンデロニコとユニアスは、一緒に投獄されていたのだから男性ですが
最近では女性と解釈した上で使徒であったという解釈もあります。
文法上ユニアスが女性か男性か五分五分であるからです 15節のユリヤは明確に女性名です。
17-20節でパウロスの直筆箇所です。口述筆記し、最後に自筆するというのが
この時代のスタイルだったようです。
で、17-20節で、パウロスならではの嫌味の警告となります
この人はほんと、嫌味な方です
ローマ書お疲れ様でした >>809-810
あれ、けっこう名前から性別を推測するの間違ってましたねw
ともかくも女性信者が多かったことは確かなようですね
今回ローマ人への手紙を読んでの総評としては
以前受けた印象よりもはるかにカルヴィニスティックだった、ということです
もちろん歴史的な順序としてはパウロがカルヴァンに影響を与えたわけですが
神の全権性、予定説、信仰義認といった神学思想がパウロの段階で極めて強かったのだという
印象を受けました
これはパウロ自身が、自分のことを異邦人への使徒として、直接神から選ばれた人間である
と考えていることに即応する思想なのかもしれませんね
さて今日からは箴言ということですが、また2章セットですか…
まあ章数が多いので仕方ないかもしれません
1章冒頭でソロモンの箴言とは書いてますが、おそらく様々な箴言を寄せ集めたものだと思います
1-2章を読んだ限り、神から来る知恵・知識・悟りの言葉をちゃんと受け止めて、道を外れることなかれ、
と読者に諭していますが、まだそれほど具体的な内容はありませんね
具体的な内容としては2章16節で遊女が出てくるところですが
案の定、遊女はみだらな女であり、そこに赴く者は道を踏み外す、といった内容になってます
ここではちょっと抽象的な質問になりますが、今後も度々出てくるであろう「知恵」「知識」「さとり」という
ことばは原語的におおよそ日本語訳に対応したものなのか、ということが気になりました
特に悟りという言葉はどうしても東洋思想・宗教のイメージがまとわりついてしまうので
原語的にはどんな意味を持ったことばなのか気になりました >>811
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒第二章です。
箴言は、原語的にはラテン語「プロヴェルピア」からの重訳ですね。格言という意味です。
ヘブライ語では「ミシュレ」で、「マシャル」の複数形なのですが
「マシャル」は多義的な語で「歌」「宣託」「あざけり」「譬え」「ことわざ」などの
意味を持ちます。
箴言自体は全体をソロモン作(前965-前925)としてますが、ソロモン作は
第二集(10:1-22:16)と第五集(25:1-29:17)だけです。
前6Cから前5Cに様々な人によって書かれた実践的な教訓を
第一集と第九集の編集者(つまり最初と最後)が集大成したもので、
シラ書の引用からBC2Cには成立していたとわかるそうです
1:2
「知恵」・・・ホクマ 地上的な真理を覚り、知識を深めることで、神を知り、神を畏れる
ように人を導くもの
「教訓」・・・ムサール 鞭や杖を含む体罰的教育のこと 「しつけ」の方が近い
「さとり」・・・ビナー 理解すること
1:4
「知識」・・・ダアト 単なる学問的知識のみならず、堕落せず生きるように人を導くもの ルカ9:19
οἱ δὲ ἀποκριθέντες εἶπαν.
Ἰωάννην τὸν βαπτιστήν, ἄλλοι δὲ Ἠλίαν,
ἄλλοι δὲ ὅτι προφήτης τις τῶν ἀρχαίων ἀνέστη.
οἱ δὲ ἀποκριθέντες εἶπαν. 男複主格+接+過分男複主格+三複過 彼らは+で+答えて+彼らは云った
Ἰωάννην τὸν βαπτιστήν, 男単主格+冠・男単主格 イオーアンネースと+水沈め者と
ἄλλοι δὲ Ἠλίαν, 男複主格+接+男単対格 他の者たちは+で+エーリアスと
ἄλλοι δὲ ὅτι 男複主格+接+接 他の者たちは+で+〜と
προφήτης 男単主格 予言者が
τις τῶν ἀρχαίων 男単主格+冠・男複属格 誰かが+昔の者らの
ἀνέστη.三単二過 彼は甦った
スロージューサー訳
で彼らは答えて云った。
「水沈め者のイオーアンネースと。で他の者たちは、エーリアスと。
で他の者たちは、昔の者の誰か予言者が蘇ったのだと」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-19.htm ルカ9:20
εἶπεν δὲ αὐτοῖς. ὑμεῖς δὲ τίνα με λέγετε εἶναι;
Πέτρος δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν. τὸν χριστὸν τοῦ θεοῦ.
εἶπεν δὲ αὐτοῖς. 三単二過+接+男複与格 彼は言った+で+彼らに
ὑμεῖς δὲ τίνα 二複主格+接+男単対格 あなた方は+で+誰と
με λέγετε εἶναι;一単対格+二複現+現不定 私を+あなた方は言う+であること
Πέτρος δὲ 男単主格+接 ペトロスは+で
ἀποκριθεὶς εἶπεν. 過分男単主格+三単二過 答えて+彼は言った
τὸν χριστὸν τοῦ θεοῦ.冠・男単対格+冠・男単属格 クリストスと+神の
スロージューサー訳
で彼は彼らに云った。「であなた方は私を誰と言っているのですか」
でペテロスは答えて云った。「神のクリストスと」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-20.htm =会主様お言葉=
,r ' " ´  ̄ `ヽ、
/,r '' " ´  ̄ ̄ ``丶、
/´ _______ ヽ
/ / /\ ヽ /
.! / i| ―\\\ ノ ./
丶. _i| ( i| (●) (●)ソ´
) ( ソ ~" ) "~ |)
( ) ) \__/ / <今は嵐が吹きすさんでおりますが、
) ( (i\ / ) . 大丈夫! 秀明丸は明主様の紐付きでございます。
( ノ )\_フ.ヾ ) (. 明主様が神界からレーダーで導いて下さっております。
).|_ノ \ハ//ゝ>
. | |' 。|| 。 ) >>812
箴言は原語的には、韻文的な意義深いことば、くらいの感じですかね
基本的には様々な人の箴言を集めたものですね
ここでは「知恵」というのが神につながることばで、あとはどちらかというと世俗的な意味合いが
強そうですね
休日分は、ついこの前読んだ使徒行伝のペンテコステの箇所ですね
ここで演説に立つのはペテロですが、ずいぶん流暢に語っています
ヘブライ語聖書も引用しつつ、イエスが預言された人であり、キリストであるので
イエスの名によってバプテスマを受けるよう説教しています
福音書で描かれるペテロは、素朴でちょっと直情的な漁師で
こんなふうに滔々と演説をする感じには見えないのですが
イエス亡き後(昇天後)、リーダーとしての風格が備わったのか
あるいはルカの脚色か、はたまたその両方か、
ともかくもここでは使徒の長にふさわしく描かれていますね
それにしても一日で三千人も信者獲得って、ありえないことじゃないかもしれませんが
だいぶ誇張されているように感じます >>817
2.22にやった箇所ですね。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1645159854/382
教会的には、ペテロスはペンテコステで生まれ変わったことになっていますね
三千人の個所の原文は
ψυχαι ωσει τρισχίλιαι 魂らが+約+三千の 約三千の魂らが ですね
この時代、まだ三千人もいなかったと思います。せいぜい数十人でしょう。 ルカ9:21
ὁ δὲ ἐπιτιμήσας αὐτοῖς παρήγγειλεν μηδενὶ λέγειν τοῦτο
ὁ δὲ 男単主格+接 彼は+で
ἐπιτιμήσας αὐτοῖς 過分男単主格+男複与格 与格を叱って+彼らに
παρήγγειλεν 三単過 彼は命じた
μηδενὶ λέγειν τοῦτο 否定代中与格+現不定+中単対格 誰も〜ない+言う事+このこと
スロージューサー訳
でで彼は彼らを叱って、「誰にもこのことを言ってはいけない」と彼は命じた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-21.htm >>818
なんだかんだで、もう3ヶ月以上前だったんですね
ペテロがペンテコステで生まれ変わったことになってるというのは
福音書と使徒行伝の描写の違いから、そう解釈されてるんでしょうね
さすがにペンテコステのときに一気に3千人も信者が増えれば
ユダヤ教界隈、あるいはローマ帝国においてすら、なんらかの話題になったでしょうからね >>820
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言3-4章です。
ペテロスは、三度主イエースースを否んでますからね。
でもカトリックでは初代教皇に推していますので、立派であった伝承も
必要となったのでしょうね ルカ9:22
εἰπὼν ὅτι δεῖ τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου πολλὰ παθεῖν
καὶ ἀποδοκιμασθῆναι ἀπὸ τῶν πρεσβυτέρων καὶ ἀρχιερέων καὶ γραμματέων
καὶ ἀποκτανθῆναι καὶ τῇ τρίτῃ ἡμέρᾳ ἐγερθῆναι. εἰπὼν ὅτι 二過分男単主格+接 言うは+〜と
δεῖ 三単現 〜しなければならない
τὸν υἱὸν τοῦ ἀνθρώπου 冠・男単対格+冠・男単属格 子を+人の
πολλὰ παθεῖν 中複対格+二過不定 多くを+受ける事
καὶ ἀποδοκιμασθῆναι 接+過不定受 そして+捨てられ
ἀπὸ τῶν πρεσβυτέρων 前+冠・男複属格 〜から+長老ら
καὶ ἀρχιερέων καὶ γραμματέων 接+男複属格+(〃+〃) そして+大祭司ら+そして+学者ら
καὶ ἀποκτανθῆναι 接+過不定受 そして+殺されて
καὶ τῇ τρίτῃ ἡμέρᾳ 接+冠・女単与格+〃 そして+三+日で
ἐγερθῆναι.過不定受 目覚めて
スロージューサー訳
言うには
「人の子は多くを受けなければならない。そして長老ら、そして大祭司ら、そして学者らから
捨てられ、そして殺され、そして三日で目覚める」と。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-22.htm >>822
三度裏切った、で終わっていたらペテロから続く使徒継承の教会にはなりませんからね
さて箴言の3-4章ですが、ここもとにかく知恵を尊べ、という訓戒で一貫してますね
ユダヤ教の文脈がなければ、主知主義的な教訓に見えますが、3章5節に見られるように
この知恵は神に由来する知恵であって、人に由来する知識ではないので
まあ簡単に言えば、神の言葉を信頼して、道を踏み外さずにまっとうに生きよ、という感じでしょうか
ともかくもその「報酬」が長寿であったり富であったりするところが
現世主義的なユダヤ教らしいと思いました
しかしこんな感じで同じような箴言が30章も続くのでしょうか…
どおりでほとんど印象に残っていないはずですw
書いてあることはまっとうであっても、あまりにもまっとうで、かつ繰り返されると
人というのは真剣にそれを聞くことがなくなるような気がします
まあ箴言集なので、意図的に連続してひとりの人が説教しているわけでないので
連続して読むものでは本来ないのかもしれませんが >>825
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言5-6章です
退屈な箴言ですが、ハーパー注解によると例えば3:13-18はエジプトの影響がある
そうで、16節の智恵は女神マアトの影響、18節の命の木はいちじくの木の女神ハトホル。
フランシスコ会訳注はいのちの木を創世記に帰していますが
19-20節の天地創造も、エジプトの創造神のプランを知識の女神マアトが現実化する
ために制定するという物語の影響があるとのことです。
4章の最初の4:1-9の教訓もエジプトで良く知られた家族の伝承がモチーフとのこと。
一方古代ヘブライ思想が色濃いのが4:23の「心」。
最も強い警告の焦点だそうです。 ルカ9:23
Ἔλεγεν δὲ πρὸς πάντας. εἴ τις θέλει ὀπίσω μου ἔρχεσθαι,
ἀρνησάσθω ἑαυτὸν καὶ ἀράτω τὸν σταυρὸν αὐτοῦ καθ’ ἡμέραν
καὶ ἀκολουθείτω μοι. Ἔλεγεν δὲ πρὸς πάντας. 三単未完+接+前+男複対格 彼は言っていた+で+〜へ向けて+すべての者
εἴ τις θέλει 接+男単主格+三単現 もし+誰かが+彼は欲する
ὀπίσω μου ἔρχεσθαι,前+一単属格+現不定 〜の後ろに+私の+やって来る
ἀρνησάσθω ἑαυτὸν καὶ 三単過命+男単対格+接 彼は否定しなさい+自分自身を+そして
ἀράτω τὸν σταυρὸν αὐτοῦ 三単過命+冠・男単対格+男単属格 彼は持ち上げなさい+杭を+自分の
καθ’ ἡμέραν 前+女単対格 毎日
καὶ ἀκολουθείτω μοι.接+三単現命+一単与格 そして+彼は従いなさい+私に
スロージューサー訳
で彼はすべての者に向けて云った。
「もし誰かが私の後について来たいと欲するならば、自分自身を否定しなさい。
そして毎日、自分の杭を持ち上げなさい。そして私に従いなさい」
https://biblehub.com/text/luke/9-23.htm >>826
エジプト神話の影響があるんですね
命の木などは創世記から来たものだと思ってましたが
ここもエジプト神話の影響である可能性があるってことですね
さて5-6章ですが、これまでと同様の訓戒を述べているものの
ここでは特に遊女への警戒が強く出ているようです
内容はともかく、5章の3-4節あたりなど、なかなか詩的に豊かな表現だと思いました
また18-19節などは男性の性欲を認めた上で極めて現実的な教訓になっているように思います
6章の後半でも遊女や姦淫に対して強く警鐘を鳴らしています
ここまで遊女が警戒されるということは、実際にユダヤ社会で売春が横行していたということでしょうか?
5章など、悪いことの筆頭であるかのように遊女遊びが取り上げられています
6章の16-19節で語られる「主の憎まれる(忌み嫌われる)7つ」というのは
箴言以外のどこかで言及されているものなのでしょうか? >>829
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言7-8章です。
遊女と訳されている語は、ザーラーで、フランシスコ会訳や新改訳第三版は「他国の女」
聖書協会共同訳は「よその女」と訳しています。
ザーラーは、ザールの女性形なので、「〜の女」なのですが、
迷わせるという動詞の名詞形なので、「迷わせる女」「誘惑する女」というのが
本来の意味でしょう。
フランシスコ会訳注は「姦通の女」を指す語として「ザラ」を用いていると注釈した
上で「他国の女」と訳しています。他国者はヤハウェ信仰をせず惑わす者という神学的な
解釈なのかもです。
いづれにせよ、不倫相手の唇は蜜のように甘く、囁く言葉はオリーブオイルのように
なめらかで芳しいということのようで、父が息子に経験上からその危険を注意する
ということなのではないでしょうか。
不倫相手と楽しんでしまうと、その背後にはやくざ者がいて、ひどいめに遭うぞ。
財産をなくすぞという警告へと続きますから。
15節以下で若い時の妻とだけ楽しめとアドバイスしています。
つまり不倫なんかせずまじめに生きよ、と。
6:26遊女は一塊のパンのために雇われる、
しかし、みだらな女は人の尊い命を求める。
ここでは、遊女を買っても「一塊のパン」の値段で足りるが
既婚者と不倫すると命まで取られかねない という解釈と
遊女に溺れると、「パン」を買う貧乏生活になり
既婚者と不倫すると大罪違反なので命を落とす結末となるという解釈が
あるようですが、いづれにせよ遊女のほうがまだましと箴言は語ります ルカ9:24
ὃς γὰρ ἂν θέλῃ τὴν ψυχὴν αὐτοῦ σῶσαι ἀπολέσει αὐτήν.
ὃς δ’ ἂν ἀπολέσῃ τὴν ψυχὴν αὐτοῦ ἕνεκεν ἐμοῦ οὗτος σώσει αὐτήν.
ὃς γὰρ ἂν θέλῃ 男単主格+接+小辞+三単現接 〜する者は誰でも+なぜなら+彼は欲する
τὴν ψυχὴν αὐτοῦ 冠・女単対格+男単属格 魂を+自分の
σῶσαι ἀπολέσει αὐτήν.過不定+三単未+女単対格 救うことを+彼は滅ぼすであろう+それを
ὃς δ’ ἂν ἀπολέσῃ 指示+接+小辞+三単過接 〜する者は誰でも+で+彼は滅ぼした
τὴν ψυχὴν αὐτοῦ 冠・女単対格+男単属格 魂を+自分の
ἕνεκεν ἐμοῦ 準前+一単属格 〜のために+私の
οὗτος σώσει αὐτήν. 指示男単主格+三単未+女単対格 この者は+彼は救うであろう+それを
スロージューサー訳
なぜなら自分の魂をよくする者は誰でもそれを救うことを失うであろう。
で私のために自分の魂を失う者は誰であれ、この者はそれを救うであろう。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-24.htm >>830
遊女と言っているのは、要は妻以外の女ということなんですね
父が息子に対して助言するうえで、最も道を踏み外しやすいがゆえに注意すべきだと考えたのが
婚姻外の女性との性的接触ということなのでしょうね
さて7章はこれまでの続きで遊女に対する警告ですが、より具体的になってますね
ここで気になったのは19節で「夫は家にいない」と言っているところです
ということは職業的な遊女ではなく、まさに自分の色欲から不倫を楽しむ女ということで
こういった女には気をつけよ、ということなのでしょう
8章はこれまでとはだいぶ趣きを異にする語り方になってますね
この章で「わたし」と一人称で語っている存在は
12節で知恵そのもの、22節で創造の初め、と自分のことを説明しています
これは明らかに神に近い存在で、ユダヤ教の文脈でいったこれは何なのか気になります
キリスト教では当然のようにキリストとされるんでしょうが、この時点でのユダヤ教では
このような人格的存在はいませんから、おそらくは知恵そのものを擬人的に表現して
語っているのではないかと思いました >>832
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言9-10章です。
箴言8章はキリスト教になじみ深い箇所ですね。パウロスの1コリ1:30
「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり」は、箴言8章の「わたし」を
キリストと解釈しています。
ユダヤ教としては「智恵」を創造にまで関与させる思想は「知恵文学」由来の独自
的なものですが、萌芽が申命記にもあります。
4:6あなたがたは、これを守って行わなければならない。
これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。
彼らは、このもろもろの定めを聞いて、
『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。
つまりまず神の智恵であるホフマーがあるのですが、これは人には理解しがたい。
そこで人へのメッセージとして律法が与えられ、律法を理解する悟りヴィーナーが必要となる。
このヴィナーは申命記4:6では「知識」、箴言8:14では「悟り」と訳されていますが
原語では同じ語です
つまり、申命記では律法がまずあり、律法を守れば、神の秘密である智恵を悟り
神が喜ぶこととそうではないことの識別ができるようになると語られますが
知恵文学では、智恵自体が擬人化され、更に神格化されていきます。
キリスト教は神格化された智恵をキリストと見出して神学を立てます >>832
ハーパー注解は、例によってエジプトの影響を指摘します。
8章は「知恵という女性の自己宣言」としたうえで、ヘレニズム時代のエジプトの
女神イシスの奇跡行為列挙文学の形式の影響下にあるとのことです。
しかもユダヤ教やキリスト教が吸収できない部分があると指摘しています。
つまり男神である主神と、ペアとなる女神である智恵という男女二人のペア神がいる
という構造をユダヤ教もキリスト教も受け入れることができないというわけです。
例えば王を立てる15-16節で知恵という女神が王を支えますが
相似するのは以下二つです
1.ファラオの王座を支える女神マアト
2.秘儀の聖婚式で人間の男を王にするメソポタミアの豊穣の女神イシュタル
しかしユダヤ教では
3.イスラエルと古代近東の支配者と智恵の特別な結びつき
(列王上三章で、ソロモンは知恵を神から授かります)
ハーパー注解は、8:22-25について別訳を提示します。
「ヤハウェは彼の道の始めに、わたしを身に宿した。
彼の古い業の第一に。
はるか昔、わたしは胎で編まれた。
第一に、地の始めの前に。
深淵もなかったとき、わたしは生み出された。
水の溢れる泉もなかったときに。
山々が形造られる前、
丘の前、わたしは生み出された。
つまり神が女性のようなやり方で知恵という女を出産した
と書かれていると。 ルカ9:25
τί γὰρ ὠφελεῖται
ἄνθρωπος κερδήσας τὸν κόσμον ὅλον
ἑαυτὸν δὲ ἀπολέσας ἢ ζημιωθείς
τί γὰρ ὠφελεῖται 接+接+三単現受 何に+なぜなら+彼は益になる
ἄνθρωπος κερδήσας 男単主格+過分男単主格 人が+得て
τὸν κόσμον ὅλον 冠・男単対格+〃 世界を+すべてを
ἑαυτὸν δὲ ἀπολέσας 再帰対格+接+過分男単主格 自分自身を+で+失い
ἢ ζημιωθείς 接+過分受男単主格 あるいは+損なう
スロージューサー訳
なぜなら、人が全世界を得て、自分自身を失い、あるいは損なうならば、
何の益となるのか。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-25.htm >>833-834
知恵→律法→知識(悟り)という流れで神の知恵が人間に降りてくる感じですね
エジプトあるいはメソポタミアにおける男女二神(女神が知恵に当たる)の構造の影響が見られるものの
ユダヤキリスト教ではその構造を吸収しきれずに男神であるヤハウェがあたかも女性のように
知恵という女を生み出す形になっている、っていうのは面白いですね
さて9-10章ですが、9章は前章から続いて、擬人化された知恵についての章であるようです
ただ8節の「知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する」というのがこれまた
なぜ責める必要があるのか分かりません
ここは前段の「あざける者を責めるな」と対照させて述べている箇所で
言わんとすることは「あざける者を責めれば憎まれることになるが、知恵あるものを責めても
憎まれることはない」ということなのかなと思いました
10章は極めて単純な、神による因果応報、勧善懲悪、信賞必罰のコンセプトにもとづいて
書かれているように思いました
多くの節が対照句による構成になっているので、どちらかというと詩歌に近いものに感じました >>836
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言11-12章です
9:8を聖書協会共同訳は
嘲る者を懲らしめるな、彼に憎まれないために。
知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
新改訳2017
嘲る者を叱るな。彼があなたを憎まないために。
知恵のある者を叱れ。彼はあなたを愛する。
新共同訳
不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
何があった場合、智慧のある者を叱ると、彼は感謝して愛してくる。
しかし嘲るような者を叱っても逆恨みされて憎まれるだけなのでやめときなさい
という生活の知恵のような感じですね
9章のクライマックスは10節ですね 聖書協会共同訳
主を畏れることは知恵の初め
聖なる方を知ることが分別
10章は一転してソロモン時代の素朴な箴言のようですね。
古代パレスチナの収穫期は夏で、この暑い時期に収穫の重労働して貯蔵して
冬に備えたそうです。
真夏の畑は暑くて倒れます。私でいえば早朝と夕方しか作業できません。
真夏の昼は1時間の作業でふらふらくたくたです。5時間の作業よりきつい。 >>837
賢明な者であれば、何か悪いところがあってそれを叱った場合でも
正しく自分の非を認識して、それを教えてくれた者に感謝する、って感じですかね
真夏の農作業は、強烈な太陽に照りつけられるだけではなく、土や草から発される熱気を帯びた
水蒸気で蒸し風呂みたいな状態になりそうですね
想像しただけでも疲れてしまいますw
さて11-12章ですが、ここも10章に引き続いて善人と悪人(正しい人と悪しき人)の対照句で綴られる
詩歌的な箴言集になってますね
それゆえ、全体としては10章同様、取り立てて言うことがないのですが
一部意図が不明な箇所があります
11章15節は、他人のために保証する者は連帯責任で債務を肩代わりすることになる場合があるので
苦しみを受ける、それに対し保証をきらう者は、他人の債務を負わされることがないので
安全である、と言っているように読めますが、これは極めて実利的な観点からの箴言で
全体的な善人・悪人という対照とは異なるような気がします
なぜこのような節が挟まれているのでしょうか?
古代ユダヤ社会では保証人になる人間は愚か者だというのが常識だったのでしょうか? >>839
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒3:1-4:22です。
11:15節は、6:1-5の教訓の純化ですね。
我が家の家訓は「絶対に保証人となるな」です。
「全額の保証人となるより、むしろお金をあげなさい」
保証人となって失敗した親戚や知り合いが実際にいたのでしょう。
古代でも保証人による失敗が切実であったのかもですね。
善悪の対称になってませんが、こじつけると
一見善人に見える保証人となる者は、自分の男気という見栄とか
相手に対して断るのは悪いという負い目から、自分の支払えない保証を
引き受けることで財産を失い、共倒れとなり、結果家族に迷惑をかける愚かな者に
なることがある。
一方、担いきれない保証を毅然と断れる者は家族を不幸にしないという
教訓で対比されているのかもですね。
実際、私のオヤジはある親戚の保証人となり、負債を負い、肩代わりし
数十年経っても、その親戚の子孫たちは、自分の親が私の父に迷惑を
かけたと負い目を持ってますもの。
今は保証協会ができたので、そういうトラブルが減って良かったと思います ルカ9:26
ὃς γὰρ ἂν ἐπαισχυνθῇ με καὶ τοὺς ἐμοὺς λόγους,
τοῦτον ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου ἐπαισχυνθήσεται,
ὅταν ἔλθῃ ἐν τῇ δόξῃ αὐτοῦ καὶ τοῦ πατρὸς καὶ τῶν ἁγίων ἀγγέλων.
ὃς γὰρ ἂν 男単主格+(接)+小辞 (なぜなら)+〜する者は誰でも
ἐπαισχυνθῇ με 三単過接+一単対格 彼は恥じた+私を
καὶ τοὺς ἐμοὺς λόγους, 接+冠・男複対格+〃 そして+私の+ことばらを
τοῦτον ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου 男単対格+(冠・男単主格+冠・男単属格) この者を+(子は+人の)
ἐπαισχυνθήσεται, 三単未 彼は恥じるであろう
ὅταν ἔλθῃ 接+三単二過接 〜する時+彼がやって来た
ἐν τῇ δόξῃ αὐτοῦ 前+冠・女単与格+男単属格 〜の中で+栄光+彼の
καὶ τοῦ πατρὸς 接+冠・男単属格 そして+父の
καὶ τῶν ἁγίων ἀγγέλων. 接+冠・男複属格+〃 そして+聖なる+使者らの
スロージューサー訳
私を、そして私の言葉を恥じる者は誰でも、自分と父と聖なる御使いらがやって来る
時に、この者を恥じるであろう。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-26.htm 土はいい感じの野菜の土やん
プランターは年季がはいつていそう ルカ9:27
λέγω δὲ ὑμῖν ἀληθῶς,
εἰσίν τινες τῶν αὐτοῦ ἑστηκότων οἳ οὐ μὴ γεύσωνται θανάτου
ἕως ἂν ἴδωσιν τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ.
λέγω δὲ ὑμῖν ἀληθῶς, 一単現+接+二複与格+副 私は言う+で+あなた方に+まことに
εἰσίν τινες 三複現+男複主格 彼らはいる+ある人々が
τῶν αὐτοῦ ἑστηκότων 冠+副詞的属格+完分男複属格 ここで+立った
οἳ οὐ μὴ γεύσωνται θανάτου 冠+(二重否定)+三複過接+女単属格 決して〜ない+彼らは属格を味わった+死の
ἕως ἂν ἴδωσιν 接+小辞+三複二過接 〜するまでは+彼らが見た
τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ.冠・女単対格+冠・男単属格 王国を+神の
スロージューサー訳
で私はまことにあなた方に云う。
「神の王国を見るまでは決して死なない者らがここに立っている」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-27.htm ルカ9:28
Ἐγένετο δὲ μετὰ τοὺς λόγους τούτους ὡσεὶ ἡμέραι ὀκτὼ
[καὶ] παραλαβὼν Πέτρον καὶ Ἰωάννην καὶ Ἰάκωβον
ἀνέβη εἰς τὸ ὄρος προσεύξασθαι.
Ἐγένετο δὲ 三単二か+接 それが起こった+で
μετὰ τοὺς λόγους τούτους 前+冠・男複対格+〃 〜の後で+言葉ら+これらの
ὡσεὶ ἡμέραι ὀκτὼ副+女複主格+無変 大体+日々が+8
[καὶ] παραλαβὼν Πέτρον 接+二過分男単主格+男単主格 そして+連れて行く+ペトロスを
καὶ Ἰωάννην καὶ Ἰάκωβον 接+男単対格+接+男単対格 そして+イオーアンネースを+そして+イアコーボスを
ἀνέβη εἰς τὸ ὄρος 三単二過+前+冠・中単対格 彼は登った+〜の中へ+山
προσεύξασθαι.過不定 祈るために
スロージューサー訳
で、これらの言葉の後で、だいたい八日後、
ペトロスを、そしてイオーアンネースを、そしてイアコーボスを連れて
彼は祈るために山へ登るということがあった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-28.htm >>840
昨日は疲れていたのでそのまま寝てしまいました
11章15節は6章冒頭部の保証人となって罠にかかった場合を受けているってことですね
たしかに安易に保証人になってしまうと、そのために財産を失い家族を路頭に迷わせることも
あったでしょうから、そういった深慮のない行為を慎むように言ってるのかもしれませんね
先生の親戚の場合のように、保証された側が返済できなければ
親類である分だけ余計に負い目が大きくなるというのもあるでしょうから
そういった意味では保証人・被保証人ともに安易な保証は避けるべきという
現実的な知恵だったのでしょうね
さて休日分の使徒行伝はペテロとヨハネが足萎えの男を癒やしたことではじまるペテロの演説エピソード
ですね
ペテロは、この癒やしはイエスの名とその信仰によってなされたものであり
そのイエスをみなが十字架に掛けたのであって、それを悔い改めキリストを信ぜよと力強く語ります
この前読んだときにはスルーしてしまいましたが、ここでも信者は五千人ほど増えたと
語られています
ペンテコステのときと同様、こんなペースで増えていたら、ユダヤあるいはローマの史料に
なんらかの形で残るでしょうから、ここも誇張であるような気がします
とはいえ、この演説は当時の初期クリスチャンたちがイエスとその受難をヘブライ語聖書に基づいて
どのように解釈していたかがよく分かる箇所なので、その意味では重要なのだと思います
また3章21節は前に先生が言っていた万物更新というルカ的な歴史認識が語られている箇所である
という意味でも重要な箇所ですね >>845
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言13-14章です
お疲れの時はゆっくり休まれてください。なにより睡眠は大切です。
それに土日でやればよい分なので何の問題もございません
ペテロが十字架後、女性らがはじめたエルサレムの家の教会に参加し
直弟子だったことを理由にしてリーダー然としていたことは史実であると
思います。ただ癒しとか義論とか信徒数爆発はフィクションであると思います ルカ9:29
καὶ ἐγένετο ἐν τῷ προσεύχεσθαι αὐτὸν
τὸ εἶδος τοῦ προσώπου αὐτοῦ ἕτερον
καὶ ὁ ἱματισμὸς αὐτοῦ λευκὸς ἐξαστράπτων.
καὶ ἐγένετο 接+三単二過 そして+それが起こった
ἐν τῷ προσεύχεσθαι αὐτὸν 前+冠・現不定・男単対格 〜のうちに+祈っていること+彼を
τὸ εἶδος τοῦ προσώπου αὐτοῦ冠・中単対格+冠・中単属格+男〃 外観が+顔の+彼の
ἕτερον 男単対格 異質の
καὶ ὁ ἱματισμὸς αὐτοῦ 接+冠・男単主格+男単属格 そして+衣服は+彼の
λευκὸς ἐξαστράπτων.形+現分男単主格 白く+輝くこと
スロージューサー訳
そして、彼が祈っていると、彼の顔の姿が異質なものとなり、
そして彼の衣服が白く輝くということが起こった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-29.htm >>846
お気遣いありがとうございます
実は肺がん検診で引っかかってしまい、精密検査を受けた結果
今日異常なしと出て、ようやく一息ついたところです
母親の入院と言い、立て続けにいろいろと重なってしまったため
精神的にも披露が蓄積していたようです
ルカは奇跡譚にかぎらず、物語の進行が出来すぎているため
どうしても創作の割合が高いのではないかと思ってしまいますね
さて箴言13-14章ですが、ここも引き続き正しい者と悪しき者、知恵のある者と愚かな者を
対照して記述している箴言集ですね
ただ今回気になったのは、かなり明確に富を肯定的に、貧しさを否定的に描いている箇所です
13章の8節や14章の20節などです
これは富は神の目に正しい人に対してもたらされた神の恵みであり、貧しさは悪しき人に対する神の
懲罰である、といった発想が根底にあるからなのかもしれないと思いました
そういえば以前、金持ちの青年のエピソードのときに、イエスが富んでいる者は天国に行くのが難しいと
言った時、弟子たちが驚く場面がありました
そのときにも書きましたが、この驚きは、富=神の恵み=救いの証拠といった発想を
背景にしているのではないかと感じました
箴言のこういった箇所がその発想の直接的な淵源かどうかは分かりませんが
やはりユダヤ教には現世主義的な因果応報的な発想がかなり根強くあるんだろうと思いました
あとひとつ分からなかったところは、14章の4節です
なぜいきなりここで牛の価値が語られているのでしょうか? >>848
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言15-16章です
検診で再検査となるとはご心配でしたね。なにもなくよかったです。
コロナも癌も免疫が決め手だと思います。従兄弟ふたりが癌になりましたが
1人は亡くなり、1人は元気に生きています。十分な休養を心掛けてください
14:4古代イスラエルの「牛」は現代で言えば、「トラクター」であり「脱穀機」です。
人力で畑を耕すのは大変ですが「牛」の力を借りると同じ時間で飛躍的に耕せるわけです。
牛の土耕能力がどの程度かはわかりませんが、五馬力程度の耕運機は、1.2×5mの畝を
二往復五分程度でふかふかです。私が人力で一時間耕してもそこまでふかふかになりません。
500万円クラスの50馬力のトラクターですと、6平米ではなくて2反(2000平米)を
1時間程度で耕すわけです。人力ですると300時間以上はかかると思います
なので古代では「牛」が「麦収穫の増量」の決め手だったのです。
約1万年前に大麦に突然変異が起こったのが南レバント(イスラエル)です。
実が落ちない変種大麦が誕生し世界最古の農業を人類は開始しました。
同じころ、牛の家畜化が始まったと言われています。場所はイスラエルではありません
のでイスラエルに農耕牛が導入されたのは数千年ずれかもです。
そして麦の収穫量が飛躍的に増えたのでしょう ルカ9:30
καὶ ἰδοὺ ἄνδρες δύο συνελάλουν αὐτῷ,
οἵτινες ἦσαν Μωϋσῆς καὶ Ἠλίας,
καὶ ἰδοὺ接+間 そして+見よ
ἄνδρες δύο 男複主格+数詞無変 男たちが+二人の
συνελάλουν αὐτῷ, 三複未完+男単与格 彼らは共に語り合った+彼に
οἵτινες ἦσαν 男複主格+三複未完 これらのものらは +彼らは〜であった
Μωϋσῆς καὶ Ἠλίας,男単主格+接+〃 モーウセース+そして+エーリアス
スロージューサー訳
そして見よ、二人の男たちが彼と共に語り合っていた。
この者たちはモーウセースそしてエーリアスであった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-30.htm >>849
ありがとうございます
やっぱり免疫大事ですよね
日々の十分な睡眠、食事、運動ってことになりますが、どれもダメダメですw
これを機会に健康には気をつけたいと思います
ここでは牛はなにかの象徴として使われているのかと思いましたが
古代における牛の重要性を考えると、そのままの意味で使われてるってことですね
ただこの流れの中で牛について語る節が入るのは、いささか唐突に感じました
さて15-16章ですが、これまで同様、正しい者と悪しき者を対置する形で叙述が進んでいきます
ただ今までよりも、主(神)に対する言及が多くなっているように思います
特に16章は主を恐れ主に従うことが強調されています
今回気になったのは15章の16-17節です
前章、前前章では富が主の恵みとして肯定的に扱われていましたが
ここではむしろ質素をもって美徳としているようです
まあ質素そのものの美徳というより、重点としては、仮に所有物が少なかろうが食が貧相だろうが、
主を恐れ互いに愛することのほうが重要だ、ということが言いたいのでしょう
分からなかったところとしては、16章の10節以降、「王」がいきなり出てきて
まるで王が神の代理人であるかのような書き方になってますが、これはどういうことなのでしょうか? >>851
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言17-18章です
15:16-17 フランシスコ会訳注によると、
富は常に恵みと考えられていたので、ここでは「富を責めている」のではなくて
そうでは無い場合もある事を理解させるための諺だそうです。
「野菜料理」は貧しい人たちのために用意された普通の食事とあります。
16:6いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、
主を恐れることによって、人は悪を免れる。
がユダヤ思想(道徳的贖い)の最高峰だそうです。
{神は人の罪を罰しても回心の機会を与え、悪人が「忠実と誠実」を示すならば
その罪や咎は赦されるという思想。
16:1-9 神の業 16:10-15王の役割 16:16-19智恵と謙遜 16:20-33智恵と恩恵
さて、ハーパー注解によると、対立的平行法パターンから離れ、主題別配列という
より踏み込んだ形式になっていると言っています。
まず、ヤハウェのの格言があるわけですが、詳細にみると、2節はエジプト初期の神トトを
想起させるそうです。トトはマアトを基準として死者の心臓を量るそうです。
2節の「主は人の魂をはかられる」に似ているので影響があるのではという指摘です
そして次に「王の役割」が来るわけですが、君主に高い評価をしている。
都市を背景にしているのであろうと推測しているだけですね。
私見によると、君主側が自己肯定で、王は正しいということを謳っているのでは
ないでしょうか。みず神。そして王。で知恵と。 ルカ9:31
οἳ ὀφθέντες ἐν δόξῃ ἔλεγον τὴν ἔξοδον αὐτοῦ,
ἣν ἤμελλεν πληροῦν ἐν Ἰερουσαλήμ.
οἳ ὀφθέντες 男複主格+過分受男複主格 彼らは+見られて 現れて
ἐν δόξῃ ἔλεγον 前+女単与格+三複未完 〜の中で+栄光+彼らは語っていた
τὴν ἔξοδον αὐτοῦ, 冠・女単対格+男単属格 終幕を+彼の
ἣν ἤμελλεν πληροῦν 女単対格+三単未完+現不定 〜ところを+彼がまさに不定詞しようとしていた+成就すること
ἐν Ἰερουσαλήμ.前+無変 〜で+イエルーサレーム
スロージューサー訳
彼らは栄光の内に現れて、
彼がイエルーサレームでまさに成就しようとしていたことを語っていた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-31.htm >>852
やはりユダヤ教では富は恵み、というのは揺らがないんですね
とはいっても富があれば万事OKではなく、傲慢にならず隣人を愛することの大切さを説いているように
思います
主を恐れることは最初の方の章からずっと出てきてましたが、やはり箴言の中心的な教えと
いうことのようですね
ここでもエジプト神話の影響がありそうだ、ということですか
先生的には君主による自己肯定ってことですね
ソロモンないしは王や王族によって書かれているとすれば、まさに王による自己肯定ということ
なのかもしれません
さて17-18章ですが、ここは正しい者と悪しき者の対照を背景にして入るんでしょうが
主に悪しき者についての箴言になっているように思いました
ここはけっこうわからないところがあります
まず17章6節は何が言いたいのでしょうか
また17節の「兄弟はなやみの時のために生れる」というのもいまいちよく分かりません
友というのはどんなときにでも愛してくれる存在だが、兄弟というのは悩みがある時のために
存在するのだ、みたいな意味でしょうか?
18章では8節が分かりません
この表現だと、人の善し悪しをいう者の言葉は良いものであるような書き方になってますが
普通の感覚だと、人のことを善いだの悪いだの論うのは良くないこととされているように思います
ここは実際にはどんな意味で書かれているのでしょうか? >>854
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言19-20章です
17:6 タルムードに「金の冠をかぶった雀」という例え話があり、
金の冠を貰った雀たちが猟師に狩られて最後の五羽まで激変し、王様に冠を
返却する。財産を見せびらかすなという譬えですが、孫が「冠」というのは
孫たちは『金の王冠』ほどの自慢の財産ということです。
また、父は自分にとって「誉れ」であるということですね。
キリスト教信仰はここを三代の信仰継承と解釈します。
8節の「まいない」は賄賂のことです。賄賂が肯定されているのに驚きが隠せません。
が、中元歳暮という挨拶を欠かさない妻に助けられたのは事実ですね
17節 フランシスコ会訳
友人はどんな時にも愛し合うもの 兄弟は苦しみを分かち合うために生まれる
悩みや苦しみを兄弟とは分かち合えるという意味のようです
18:8聖書協会共同訳
陰口を言う者の言葉はごちそう。/腹の隅々に下って行く。
陰口は毒を含んでいますが、美味しいご馳走なので
何の抵抗もなく腹の底まで毒を飲み込んでしまう
(だから陰口をタタかないうにしましょう)という意味では無いでしょうか ルカ9:32
ὁ δὲ Πέτρος καὶ οἱ σὺν αὐτῷ ἦσαν βεβαρημένοι ὕπνῳ.
διαγρηγορήσαντες δὲ εἶδον τὴν δόξαν αὐτοῦ
καὶ τοὺς δύο ἄνδρας τοὺς συνεστῶτας αὐτῷ.
ὁ δὲ Πέτρος καὶ 冠・接+男単主格+接 で+ペトロス+そして
οἱ σὺν αὐτῷ ἦσαν 男複主格+前+男単与格+三複未完 彼らは+〜共に+彼と+彼らはいた
βεβαρημένοι ὕπνῳ. 完分受男複主格+男単与格 落ちてしまった+眠りに
διαγρηγορήσαντες δὲ 過分男複主格+接 目を覚ました時+で
εἶδον τὴν δόξαν αὐτοῦ 三複二過+冠・女単対格+男単属格 彼らは見た+栄光を+彼の
καὶ τοὺς δύο ἄνδρας 接+冠・数詞・男複対格 そして+二人の+男らを
τοὺς συνεστῶτας αὐτῷ.冠・完分男複対格+男単与格 共に立っていた+彼と
スロージューサー訳
でペトロスそして彼と共にいた彼らは、眠りに落ちてしまった。で目を覚ました時、
彼の栄光そして彼と共に立っていた二人の男らを見た。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-32.htm >>855
17章6節に関しては、孫は財産、父は誉ということですね
ここもまた唐突ですが、箴言なので特段文脈はないのかもしれませんね
8節も言われてみれば宗教的倫理的にはとんでもないことですが、ある意味現実的な箴言なのでしょう
17節はおおよそ推測通りという感じですかね
18章8節は陰口はごちそうのように言う人にとっては甘美なものだから
ついつい言いたくなるものだが、それだけに言わないように注意せよ、みたいな感じなんですね
さて19-20章ですが、ここも一貫したテーマがあるわけではないようです
箴言はあまり文脈を追うような読み方をするものじゃないみたいですね
今回気になったところは19章の4節と7節です
もうこれ、完全に富は神の恵みのしるしで、貧しさはその逆みたいなことで
貧しい人をボロクソに言ってますね
一応貧しい人に施すことは17節のように善とされてますが
貧しいことそのものは徹底的に否定されているようです
このへんは新約聖書、というよりイエスの思想とは好対照であるように思います
分からなかったところは20節の14章です
いったい何を買う者で、何を悪いと言い、誰が去っていくのかさっぱり分かりませんw 彡⌒ ミ パーンッ!!
(`・ω・) 彡⌒ ミ
⊂彡☆))ω・`) >>857
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言21-22章です。
怠ける→寝る→働かない→貧しい→友が去る、兄弟からも嫌われる
という構図になってますので、「真面目にコツコツ働こう」というのが本意で
実際に貧しい者がいれば、彼に施せ。それは主なる神に貸したのと同じなので
後日報われますよ。利子付けて神から返済されますよということではないでしょうか。
何かを買い物をする時、買う側は安く買いたいので、色々と値切るわけです。
値切る時に「ここに傷があるからまけろ」「柄が悪いから負けろ」
「重さがない。材質が悪いのでは」「壊れやすそうだな」と言って悪口をいい
こき下ろすわけです。それが「悪い悪い」と言う、です。
そして買った後は、家族や知り合いに「良いものを買った」と自慢するのです 20:14買う者は、
「悪い、悪い」という←購入したい商品を売主に対して悪口を言って値切っている
しかし去って後、←購入者が値切って買い物をして、売り場から去った後
彼は自ら誇る。←家族や友人に対して買った商品を「いいものだぜー」と自慢する
あんだけ悪口言ったのは、単に値切るためで、自分のものにしたら自慢の一品なのです 言葉足らず過ぎて、補わないと
確かに なんのことかわからんですね ルカ9:33
καὶ ἐγένετο ἐν τῷ διαχωρίζεσθαι αὐτοὺς ἀπ’ αὐτοῦ
εἶπεν ὁ Πέτρος πρὸς τὸν Ἰησοῦν. ἐπιστάτα,
καλόν ἐστιν ἡμᾶς ὧδε εἶναι, καὶ ποιήσωμεν σκηνὰς τρεῖς,
μίαν σοὶ καὶ μίαν Μωϋσεῖ καὶ μίαν Ἠλίᾳ, μὴ εἰδὼς ὃ λέγει. καὶ ἐγένετο 接+三単二過 そして+それが起こった
ἐν τῷ διαχωρίζεσθαι 前+冠単与格・現不定受 〜に+離れ去さられた時
αὐτοὺς ἀπ’ αὐτοῦ 男複対格+前+男単属格 彼らを+〜から+彼の
εἶπεν ὁ Πέτρος 三単二過+冠・男単主格 彼は言った+ペトロスが
πρὸς τὸν Ἰησοῦν. ἐπιστάτα,前+冠・男単対格+男単呼格 〜に向けて+イエースース+上に立つ方よ
καλόν ἐστιν ἡμᾶς 男単対格+三単現+一複対格 よいことを+それは〜である+私たちを
ὧδε εἶναι, 副+現不定 ここに+いること
καὶ ποιήσωμεν接+一複過接 そして+私たちはした
σκηνὰς τρεῖς,女複対格+〃 テントを+三張の
μίαν σοὶ 女単対格+二単与格 一張を+あなたに
καὶ μίαν Μωϋσεῖ 接+女単対格+男単与格 そして+一張を+モーウセースに
καὶ μίαν Ἠλίᾳ, 接+女単対格+男単与格 そして+一張を+エーリアスに
μὴ εἰδὼς ὃ λέγει.否定+冠分男単主格+男単主格+三単現 解らなかった+ことを+彼が言っている
スロージューサー訳
そしてそれは起こった。彼から彼から離され去った時、ペトロスがイエースースに向けて言った。
「私たちがここに居ることは良い事です。私たちは三張のテントを建てましょう。
一つをあなたに。そして一つをモーウセースに。そして一つをエーリアスに。」
彼は自分が言っていることを理解して無かった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-33.htm >>859-861
怠惰→貧困、勤勉→裕福という因果認識にもとづいて良循環と悪循環を説いてるわけですね
20章の14節に関しては、一般的に買い物をする際に、購入者の側は値切るために商品を
貶して安く買い叩こうとするもので、購入後は家族や友人にその商品をいいものだと言って
自慢するものだ、ってことですね
箴言ですから言葉を簡潔にしたのでしょうが、たしかにこれじゃなんのことやらになってしまいますw
さて21-22章ですが、相変わらずのパターンで特に文脈なく複数の箴言が並んでいる感じです
また相変わらずよく意味の分からない箴言もあります
まず21章の11節の「あざける者が罰を受けるならば、思慮のない者は知恵を得る」が分かりません
14節は分かるのは分かりますが、要は賄賂、袖の下が良いことのように語られて違和感がありますね
22章では、13節が分かりません
怠け者は外には獅子がいて働きに出たら殺されるから働かないんだと言い訳をする、みたいな感じですか?
26節では、はっきりと保証人になるなと言ってますね
やはり古代ユダヤ社会では保証人になると自分の身や家族を滅ぼしかねないことになるので
忌避されたことなんでしょうね >>864
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒6-7章です
11節 嘲る者と智恵のある者がいます。
嘲る者が誹謗中傷をして、名誉棄損で民事提訴され賠償金を支払わされたり
侮辱罪で刑事罰として罰金刑となると、それを見ていた「思料の無い者たち」が
あっ、誹謗中傷したらひどいめにあう。他人様を嘲るのは止そうとまなぶわけです。
つまり智恵を得るわけです。しかし嘲る者を野放しにする社会では、
「思料の無い者たち」が学べず、嘲る者となってしまうということです。
14節 ここでも賄賂が推奨されてますね。古代社会では実際に円滑油として有効だった
のでしょうし、我々の時代までは中元歳暮という季節の挨拶として風習化しているのでしょう。
我が家にすら「みがきにしん」「コーヒー」「お菓子」が届いたところです
13節は、怠け者は言い訳をでっちあげて働かないという皮肉ですね
ちなみに22:17から、箴言第三集だそうです。
23:14までが序文だそうです。
22:26 保証人となるなと言ってますね。我が家の家訓になるぐらいなので
古代でも保証人となって悲惨な目に遭った人たちが大勢いたのでしょうね ルカ9:34
ταῦτα δὲ αὐτοῦ λέγοντος ἐγένετο νεφέλη καὶ ἐπεσκίαζεν αὐτούς.
ἐφοβήθησαν δὲ ἐν τῷ εἰσελθεῖν αὐτοὺς εἰς τὴν νεφέλην.
ταῦτα δὲ αὐτοῦ λέγοντος 中複対格+接+男単属格+現分男単属格 これらのことを+で+彼の+言っている時
ἐγένετο νεφέλη 三単二過+女単主格 それが生じた+雲が
καὶ ἐπεσκίαζεν αὐτούς.接+三単未完+男複対格 そして+それが覆った+彼らを
ἐφοβήθησαν δὲ 三複過受+接 彼らは恐れた+で
ἐν τῷ εἰσελθεῖν αὐτοὺς 前+冠・二過不定+男複対格 〜の中に+入った時+彼らを
εἰς τὴν νεφέλην.前+冠・女単対格 〜の中へ+雲
スロージューサー訳
これらのことを彼の語っている時、雲が生じた。
そしてそれが彼らを覆った。そして彼らが雲の中に入った時、彼らは恐れた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-34.htm >>865
なるほど、誹謗中傷する者が罰を受ければ、思慮のない者もそれを見て学習するってことですね
賄賂、袖の下と言えば疚しいことになってしまいますが、社会の円滑油としての中元歳暮と考えれば
これもまた生きる上での処世訓と言えますね
22章の13節は、やはり言い訳と考えていいわけですね
22章の17節から新しい箴言集の始まりですか
ずいぶん中途半端なところから始まるんですね
保証人については、安易に人を信用して情けをかけると身を滅ぼすことになりかねませんからね
わたしは身を滅ぼしはしませんでしたが、友人に30万貸したまま返ってきませんw
さて使徒6-7章はステパノ登場からステパノ殉教のくだりですが、話の大半はステパノの口を借りた
アブラハムからソロモンあたりまでの要約になってますね
とはいえ、民数記あたりまでは的確に要約していたものの、あとはずいぶん端折ってますw
ステパノ自身が申開きの場で、ユダヤ人なら誰しもが知っているような話を延々としたとは
思えないので、ここはおそらくルカが付け加えたのだろうと思います
ルカは、イエスの磔刑死のときもそうですが、このステパノの殉教も
非常に「きれいな」死に方をさせています
イエスもステパノも壮絶な死に際のことばとは思えないほどきれいな言葉を吐いて息絶えます
こういうところにもルカの神話的叙述の特徴が現れていると思いました >>867
atheistくん、おはようございます。明日の聖句は箴言23-24章です。
30万円はでかいですね。私は初バイト料5万円だったかが、返ってこなかったですね。
ステファノの要約を聞いていますと、
流浪の民が寄宿者となり、奴隷化され、根を下ろしたかと思えば、飢饉に遭い、
難民となってエジプトに身を寄せ、数が増えるとエジプトを離れ、イナゴの大群の
ようになり難民として40年間さまよい、遂にはカナンに侵攻した。
侵略される側からすると酷い話ですね。
さてステファノの主張は、
1.君たちは先祖の時代から今も予言者や正しい方を殺してきた
2.主イエースースをも殺した
3.今、私を殺そうとしている
ということですね。
つまりお前たちは間違っている 律法も守らないし、神殿には神は住んでいない
神は天にお住まいだ。常に正しい人を殺してきたという非難ですね
ここまで言い切ってしまうと怒りを爆発させてしまうのは仕方なかったかもです 私はモーセに疑問を持っています。
モーセだけが見た神。モーセだけに声が聴こえる神
モーセの自演自作だったような気がします。
そしてモーセが難民を率いることで、その後難民たちがカナンをし侵攻し
現代に至るまで中東が紛争の地となっています。
すべてモーセの詐欺の結果です ルカ9:35
καὶ φωνὴ ἐγένετο ἐκ τῆς νεφέλης λέγουσα.
οὗτός ἐστιν ὁ υἱός μου ὁ ἐκλελεγμένος, αὐτοῦ ἀκούετε.
καὶ φωνὴ ἐγένετο 接+女単主格+三単二過 そして+声が+それが生じた
ἐκ τῆς νεφέλης λέγουσα.前+冠・女単属格+現分女単主格 〜から+雲+言うには
οὗτός ἐστιν 男単主格+三単現 この者は+彼は〜である
ὁ υἱός μου 冠・男単主格+一単属格 子+私の
ὁ ἐκλελεγμένος, 冠・冠分男単主格 選ばれし者
αὐτοῦ ἀκούετε.三単属格+二複現命 これの+あなた方は聞きなさい
スロージューサー訳
そして雲から声が生じた。云うには
「この者は私の子、選ばれし者。あなた方はこれに聞きなさい」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-35.htm ルカ9:36
καὶ ἐν τῷ γενέσθαι τὴν φωνὴν εὑρέθη Ἰησοῦς μόνος.
καὶ αὐτοὶ ἐσίγησαν
καὶ οὐδενὶ ἀπήγγειλαν ἐν ἐκείναις ταῖς ἡμέραις οὐδὲν ὧν ἑώρακαν.
καὶ ἐν τῷ γενέσθαι 接+前+冠・二過不定 そして+〜に+生じた時
τὴν φωνὴν 冠・女単対格 声を
εὑρέθη Ἰησοῦς μόνος. 三単過受+男単主格+形 見出された+イエースース+ただ一人が
καὶ αὐτοὶ ἐσίγησαν 接+男複主格+三複過 そして+彼らは+彼らは沈黙した
καὶ οὐδενὶ ἀπήγγειλαν 接+男単与格+三複過 そして+誰にも〜ない+彼らは知らせなかった
ἐν ἐκείναις ταῖς ἡμέραις 前+女複与格+冠・〃 〜に+それらの+日々に
οὐδὲν ὧν ἑώρακαν. 代+複属格+三複未完 何も〜ない+ことを+彼らが見てしまった
スロージューサー訳
そして声が生じた時、イエースース一人が見出された。
そして彼らは沈黙した。
そしてそれらの日々に彼らが見てしまったことを彼らは誰にも何も知らせなかった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-36.htm >>868-869
昨日は母親のことでいろいろあってレスができませんでした
元々助かったのが奇跡と医者に言われるような状況だったので
覚悟はしていたのですが、どうも認知機能に著しい問題があるようで
転院や介護でこれから先、様々な面で難航しそうです
ステパノに限りませんが、殉教覚悟の人間はズバズバ言いますからね
モーセに関しては、私はそもそも架空の人物、ないしは実在であっても
極度に神話化された人物だと推測しています
おそらく民族的隷属状況からの解放やカナン侵略(あるいはカナンにおける蜂起)を
正当化するための神話における中心的な役割を担わされた神話的人物だったのだろうと思っています
さて23-24章ですが、ここも知恵や正しい行いを推奨する点で今までの章と変わりませんが
いろいろと分かりにくい箇所が多くて、すんなりは読めません
特に23章冒頭の8節までは何が言いたいのか分かりません
欲を出して貪り食ったり、富を求めたりしても、それは儚く無くなるものだ、みたいなことでしょうか?
20節に見られるように酒や肉に溺れないよう注意しているところからも
節制を説いているように思えます
また24章16節のようにここでも因果応報に対する固い信頼があるように思えます
あと24章21節に「主と王を恐れよ」と端的に書いてありますが
やはり王は地上における神の代理のように捉えて、その権威を保持していたのだろうと思いました >>872
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言25,26章です。
親御さんのことご心配ですね。良い解決策が与えられますように。
さて23:1-3は、支配者の宴席の食事には悪い目的が隠されているかもしれないので
用心しなさいということてのようです。
「欺く食物」は原文では「偽りのパン」です。騙されるなと警戒を呼び掛けているようです
23:4-5は、富の奴隷になるなという戒めですね
23:6-8は、「物惜しみする人のパン」の原文は「悪い目の人のパン」です。
欲深い人に奢ってもらうな。彼があなたに飲み食わせするのには、純粋にあなたに
喜んでもらうためでない。後悔することになるぞという戒めのようです。
23:14で序文が終わり、23:15-28は、父の戒めだそうです。
ハーパー注解は序文の核心を23:10-11と見ています。
土地の境界を守れというやつですね。先日も境界線争いをされている方にお会いしましたが
現代でも続いている問題のようです
24:21主と王を恐れよ は、仰せの通りフランシスコ会訳註にも
「神と王がイスラエル人の最高の権威者であるという概念は
イスラエルの神権政治にもとづくものである」とあります。 ルカ9:37
Ἐγένετο δὲ τῇ ἑξῆς ἡμέρᾳ κατελθόντων αὐτῶν ἀπὸ τοῦ ὄρους
συνήντησεν αὐτῷ ὄχλος πολύς.
Ἐγένετο δὲ 三単二過+接 それが起こった+で
τῇ ἑξῆς ἡμέρᾳ 冠・副・女単与格 次の日に
κατελθόντων αὐτῶν 二過分男複属格+男複属格 下って来た時+彼らの
ἀπὸ τοῦ ὄρους 前+冠・中単属格 〜から+山
συνήντησεν αὐτῷ 三単過+男単与格 彼は出迎えた+彼に
ὄχλος πολύς. 男単主格+形 群衆は+大勢の
スロージューサー訳
でそれが起こった。次の日に彼らが山から下って来ると
大勢の群衆が彼を出迎えた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-37.htm >>873
ありがとうございます
23章の冒頭は連続しているのではなく、1-3節、4-5節、6-8節で分かれているのですね
解説していただいて、ようやく分かりました
それにしても元の文は分かりにくいですね
土地の境界を守る、というのは土地を持っていない身としてはピンときませんが
たしかに田舎の土地持ちの間では今でも時々いざこざが生じるといったことを聞いたことがあります
サウルのところでも出てきましたが、イスラエルにとっては王は油を注がれた者であり
神が選んだ者ですから、王の権威は神の権威に裏付けされていたのでしょうね
さて25-26章ですが、これまでどおり単発の箴言が続いているようです
25章冒頭は王に関する箴言ですが、2節の「事を隠すのは神の誉」というのはどういうことでしょうか?
事を隠すという字面だけでは何か悪いことのように聞こえます
13節の「刈入れの日に冷ややか雪がある」ことが良いこととして語られていますが
これもなぜこれがいいことなのか分かりません
21-22節はこの前読んだパウロのところで出てきたやつでしたっけ?
21節は新約聖書的な文言なのに22節の理由は解釈は色々あるのでしょうが
イエスの教えのように愛に基づいているわけではないようですね
そのまま読めば、要は「復讐するは我にあり(神が復讐してくれる)」と読めてしまいます
26章は主に「愚か者」とはどんな人かについての箴言のようですね
ここでの疑問は何と言っても4-5節の矛盾した箴言です
するのかしないのか、はっきりしてほしいですw >>875
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言27.28章です
2節の「事を隠すのは神の誉」
25章から第五集(ソロモンの箴言第二集)がはじり、2-7節は王に関する節だそうです。
神の摂理の深さは人々にとって神秘であることを「事を隠すのは神の誉」と唄い
対して王たちは、その神秘より、現実に政治を遂行しなければならない。
臣民に知らせるために事を究めねばならないということのようです
13節「刈入れの日に冷やかな雪」は26:1「夏に雪が降り」と同じ事で
九州の麦の収穫は6月で、収穫後、田植えとなる二毛作ですが
イスラエルの麦の収穫は真夏だそうです。真夏に雪が降る事はないのですが
暑い収穫の時にもし雪が降れば生き返ったような心地になるように、
忠実な使者がいれば、遣わす者にとってとてもありがたいということですね
26:1は夏に雪がふさわしくないように、愚かな者に誉が必要ないという比喩にされているようです
21-22節は、そうです。パウロス先生のローマ書12:20ネタ元です。
怖いですね。腹に一物がありつつ優しくされるのですから。
逆に言うと、腹に恨みがあっても「神が復讐される」と自分からの仕返しをモラトリアムして
困っている者に優しくしなさいという実践的な愛なのかもです 26:1-12は愚か者 26:13-27:22怠け者の節だそうです。
26:4は、愚か者と対峙した時、我々の側は、「愚か者の言葉」で語るな
相手の愚か者と同じ次元に降りるなという話ですね
たとえば美魔女と対峙した時、美魔女のレベルに降りると、あなたも美魔女と同じく
愚か者となりますよ、ということです。
なので美魔女に対しあなたのはコピーですね。でも本人の主張はこうですが、
あなたはこう解釈されていますので誤解されています、みたいに突き放せ
みたいな感じでしょうか。あるいはスルーして相手にしないとか
26:5は、パウロス先生が諸教会の弟子たち向けにやっているように
幼稚なお前たちにわざわざ
噛み砕いて柔らかい言葉で語ってやってやっているのだというあれではないでしょうか
矛盾しているのは、相手の質が違うような気がします。
あるいは場合によるということでしょうか
ハーパー注解はこの「矛盾」を「対象」と捉え、箴言各節は「絶対真理」ではなく
応用する文脈に依存していると分析しています ルカ9:38
καὶ ἰδοὺ ἀνὴρ ἀπὸ τοῦ ὄχλου ἐβόησεν λέγων. διδάσκαλε,
δέομαί σου ἐπιβλέψαι ἐπὶ τὸν υἱόν μου, ὅτι μονογενής μοί ἐστιν,
καὶ ἰδοὺ 接+間 そして+見よ
ἀνὴρ ἀπὸ τοῦ ὄχλου 男単主格+前+冠・男単属格 男が+〜からの 〜うちの+群衆の
ἐβόησεν λέγων. 三単過+現分男単主格 彼は叫んだ+言うには
διδάσκαλε, 男単呼格 先生よ
δέομαί σου 一単現+二単属格 私は属格に願う+あなたの
ἐπιβλέψαι 二単過命中動 あなたは目を留めてください
ἐπὶ τὸν υἱόν μου, 前+冠・男単対格+一単属格 〜の上に+子+私の
ὅτι μονογενής 接+形容詞 なぜなら+一人子の
μοί ἐστιν, 一単与格+三単現 私に+彼は〜である
スロージューサー訳
そして見よ。群衆のうちの一人の男が叫んだ。云うには
「先生! 私はあなたにお願いします。私の子の上に目を留めてください。
なぜなら彼は私にとって一人子なのです」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-38.htm >>876
事を隠すというのは神の摂理は人間には測り難いということですね
13節はイスラエルの麦の収穫が真夏で、その真夏冷ややかな雪が降るように
ありがたいことだ、ということですね
26章1節の場合はそのようなありがたいことが真夏に似つかわしくないように
誉も愚か者には似つかわしくない、ということになるわけですね
21-22節は、箴言の場合も、それを引用したパウロの場合も
敵に優しくしておけば神が復讐されるという、イエスの愛の教えとは異なった教えですが
現実的にみれば、敵を愛するというのは難しいわけで、それでも仕返しをせずに優しくするための
実践的な教えとしては機能する、という感じなのでしょうね
ある意味イエスより現実的と言えるかもしれません
>>877
26章の4節は愚か者と同レベルになって語るな、ということですね
それに対して5節は愚か者に対してそのレベルまで下って相手に分かるように語ってやれ、って
ことでしょうか
4節は言い争いに関して同レベルになるな、5節は相手のレベルにまで下がって説明してあげよ
っていうことになるのでしょうね
さて27,28章ですが、ここは現代でもそのまま通じるような箴言が多い一方で
やはり何を言っているのか分からない箴言もあります
まず27章16節の「右の手に油をつかむ」という比喩が分かりません
それから17節の「人はその友の顔を研ぐ」というのも分かりません
28章では、6節が目に付きます
これまで富を神の恵みとして語ってきた箴言ですが
ここでははっきりと富よりも正しさのほうが優先されると語っています
それから8節はそれとは打って変わって、今度は利息や高利が貧者に恵む者のための
蓄えとして肯定されているように思いますが、ここはそういった意味ではないのでしょうか >>879
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言29-30章です
27:16は前節と同じく「争い好きの女」について述べているわけですが
「争い好きの女」は風を制するのが不可能のように制することが難しいし
右手で油を掴もうとしても、滴り落ちるように掴めないという比喩ですね
17節の「人はその友の顔を研ぐ」は原文直訳です。
フランシスコ会訳は「顔」を「心」と意訳しています。
聖書協会共同訳は「顔」を「人格」と意訳しています
新改訳2017は「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。」
友によって磨かれて立派な顔にして貰っているということでしょうか
28:8利息と高利とによってその富をます者は、
貧しい者を恵む者のために、それをたくわえる。
これはとてもわかりにくい節です。
「利息」「高利」は実は律法違反です。つまり悪人が不正に儲けている状態です。
この不正の手段で蓄財された富は悪人自身のために使われる事は無くて
「貧しい者を恵む者」という正しい者によって使われる。
つまり「貧しい者」に施されるという使われ方をしますよ、ということですね。
同胞からは利子を取ってはいけないというルールですので
異邦人には利子を取って良いという変なルールですが
ここでは同胞から利子を取って蓄財しても無駄になるからやめなさいという
教えのようですね ルカ9:39
καὶ ἰδοὺ πνεῦμα λαμβάνει αὐτὸν
καὶ ἐξαίφνης κράζει
καὶ σπαράσσει αὐτὸν μετὰ ἀφροῦ
καὶ μόγις ἀποχωρεῖ ἀπ’ αὐτοῦ συντρῖβον αὐτόν
καὶ ἰδοὺ 接+間 そして+見よ
πνεῦμα λαμβάνει αὐτὸν 中単主格+三単現+男単対格 霊が+それが捕える+彼を
καὶ ἐξαίφνης κράζει 接+副+三単現 そして+突然に+それは大声で叫んだ
καὶ σπαράσσει αὐτὸν 接+三単現+男単対格 そして+それは引き裂いた 痙攣させた+彼を
μετὰ ἀφροῦ 前+男単属格 〜と共に+泡
καὶ μόγις ἀποχωρεῖ 接+副+三単現 そして+なかなか〜ない+それは離れ去る
ἀπ’ αὐτοῦ 前+男単属格 〜から+彼の
συντρῖβον αὐτόν 現分中単主格+男単対格 へし折り +彼を
スロージューサー訳
そして見よ。霊が彼を捕え、そして突然大声で叫ぶ。
そして泡とともに彼を痙攣させる
そしてそれは彼からなかなか離れないのです。彼をへし折るのです。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-39.htm >>880
27章16節の「油をつかむ」というのは掴むことができない、つまり制御や統御が不可能だ、ということですね
17節は原文直訳だと何言ってるか分かりませんね
各日本語訳は、要は友によって心なり人格なりが研鑽されるってことですね
28章8節は利息・高利で儲けた金は儲けた人自身の富になるのではなく
結局貧者に恵む正しい人のために蓄積されることになるものだ、だからそんなやり方で蓄財するな、
みたいな感じでしょうか
さて29章ですが、ここでは13節が目に留まりました
虐げる者と虐げられる者はともに神によって命を与えられた者であり
社会構造によって生み出されたものではないという世界観があるように感じました
それから15節や17節、あるいは19節、21節に見られるように
懲らしめというのが人を正しい道に留めるための
肯定的な行為であるということが強調されています
これは箴言全体を通してそうでしたが、厳しい躾が人間には必要だと述べているように思います
29章の疑問ですが、5節の意味が分かりません
30章は具体的にアグルという人の言葉ということになってますね
4節のその名は何か、というのは神だと思いますが、その子の名は何かというのが分かりません
新約ならイエスということになるでしょうが
8-9節は経済的な中庸を説く教えで、かなり現実的だと思いました
15-16節がよく分かりません、特になぜ蛭なのか、なぜ不妊の胎が飽くことを知らないのかが分かりません
それからこれは一種の修辞なんでしょうが、~が3つある、いや4つあるというパターンが繰り返されてますね
けっこうその例自体は面白いです >>882
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は箴言31章です。箴言最終章です
29:5 隣人や友人らに「おべんちゃら」を言って気に入られようとする者は
自分の脚元に網を張って、網で転んだりからみとられることになりますよ。
そんなことはしないでおきなさい。失敗しますという戒めですね
「彼の足元」は正しい訳ですが混乱を招きます。諸訳は「自分の足元」としています。
30章のアグルはハーパー注解によると「私は寄留者である」という意味だそうです。
なのでアグルはイスラエルにおいて「永遠の寄留者」であるそうです
そしてヤケの子と自称していますがヤケは「ヤハウェ。祝福されているのは彼」という
意味ですので4節のその名は何か、→やはうぇ
その子の名は何か→ヤケの子アグルとなります。
このハーパー注解に対してフランシスコ会訳注は、「その名」は「神」で一致しますが
子の方は「イスラエル」「メシア」「智恵」という解釈です。
15節以下はアグルが終わり、第七集 「数による箴言」となります
蛭(ミドラシュ)の二人の娘については
フランシスコ会訳注は、「天国」「地獄」という解釈です
ハーパー注解は意味不明と斬って捨てた上で、
1,蛭の幼虫のことか?
2.「与えよ、与えよ」という名前の子供なのだろうか
3.陰府、不妊の胎のことか?
と疑問形です。
諸説も紹介します
吸血鬼説で、アッカド語リリトゥで、イスラエルでは悪魔であったようで
15b-16の四つの貪欲の諸項目と結びつけられているとのこと >>883
29章5節の「彼」は隣人にへつらう人自身だったのですね
完全に隣人だと思ってたので、意味が分かりませんでした
自分の足元に網を張ってそれに絡められるように、人におべんちゃらを言う人は
その言葉に絡め取られて墓穴を掘る、というような意味なんですね
30章のアグルやヤケにも意味があるんですね
そういえばユダヤ人の名前はイエス(ヨシュア)も「ヤハウェは救い」のように意味がありました
子のほうはアグル、やイスラエルなど諸説ありってことですね
蛭のところは結局確定的な意味はわからず、これまた諸説ありって感じですかね
さて箴言もいよいよ最終章ですね
今度はマッサの王レムエル(の母)の言葉ということらしいです
ここでは冒頭で女と酒に注意を促し、10節からは賢い妻について語っています
この賢い妻についての語りを聞く限り、イスラエルの女性は非常に大きな役割を
果たしていたように思います
この章での質問は21節です
雪を恐れないというのがどういうことなのか、またその理由として
家の者はみんな紅の着物を着ているから、というのがどういうことなのかが分かりません
ともかくも長かった箴言もなんとか読み終わりました
ここもよくわからない表現、特に比喩表現が多い本でしたが
先生の解説でなんとか曲がりなりにも最後まで読むことができました
ユダヤ教の教えをダイレクトに語る本ではないですが、ユダヤ人の考え方の一端を
垣間見ることができたように思います >>884
atheistくん、こんばんは。本日と明日の聖句は使徒8章です。
21節の「紅の着物」をフランシスコ会訳注は、「重ね着」と解釈し
フランシスコ会訳
「彼女は家族のために雪を恐れない。彼らはみな重ね着をしていたからである」
聖書協会共同訳
「雪の日も一家に恐れはない 家族は皆、衣を重ねているからだ。」
10節以下、賢い妻について語られていますが、彼女は
深夜まで働き糸を紡ぎ衣服を作り、上着にしたりしているので
遠方まで買い物に出かける時も平気であるということのようです
直訳は「紅の着物」です。
箴言お疲れ様でした。来週はマルコです 暇人さん、ちょっと別の板への伝言をお願いしてもいいですか ルカ9:40
καὶ ἐδεήθην τῶν μαθητῶν σου ἵνα ἐκβάλωσιν αὐτό,
καὶ οὐκ ἠδυνήθησαν.
καὶ ἐδεήθην 接+一単過 そして+私は願った
τῶν μαθητῶν σου 冠・男複属格+二単属格 弟子たちに+あなたの
ἵνα ἐκβάλωσιν αὐτό, 接+三複二過接+中単対格 〜ように+彼らが追い出した+それを
καὶ οὐκ ἠδυνήθησαν.接+否定+現分中単主格 そして+できなかった
スロージューサー訳
そして私はあなたの弟子たちにそれを追い出すように願った。
そして彼らはできなかった。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-40.htm ルカ9:41
ἀποκριθεὶς δὲ ὁ Ἰησοῦς εἶπεν.
ὦ γενεὰ ἄπιστος καὶ διεστραμμένη, ἕως πότε ἔσομαι πρὸς ὑμᾶς
καὶ ἀνέξομαι ὑμῶν; προσάγαγε ὧδε τὸν υἱόν σου.
ἀποκριθεὶς δὲ 過分単単主格+接 答えて+で
ὁ Ἰησοῦς εἶπεν. 冠・男単主格+三単二過 イエースースは+彼は言った
ὦ γενεὰ ἄπιστος 間+女単呼格+形 おー+時代よ+不信仰な
καὶ διεστραμμένη, 接+完分受女単主格 そして+捻じ曲げられた
ἕως πότε 接+副 〜まで+いつ
ἔσομαι πρὸς ὑμᾶς 一単未+前+二複対格 私はいるのであろう+〜の傍らに+あなたがた
καὶ ἀνέξομαι ὑμῶν; 接+一単未中動+二複属格 そして+私は我慢するのであろう+あなたがたの
προσάγαγε ὧδε 二単二過命+副 あなたは連れて来なさい+ここへ
τὸν υἱόν σου.冠・男単対格+二単属格 息子を+あなたの
スロージューサー訳
でイエースースは答えて云った。
「おー、不信仰で捻じ曲げられた時代よ。いつまで私はあなた方のそばにいるのであろうか。
そして私はあなたがたに我慢するのであろうか。あなたはあなたの息子をここへ連れて来なさい。」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-41.htm すみません、専用スレの人にお願いいたしました
そのうちまた宗教板に遊びに行きます
ところで、福音伝道さんって元コテ「暇人」さんだよね?
間違えていたら申し訳ない >>891は解決いたしました
お騒がせして、申し訳ございませんでした
お詫びといってはなんですが
何か面白そうな話題があったら歓談室に持っていきます >>885
紅の着物は重ね着を意味するだろうということですね
たしかにこの意味であれば雪を恐れない理由になりますね
休日の割当箇所は、ステパノ殉教後のパウロによる教会迫害に続いて
ピリポのサマリア宣教、魔術師シモンのエピソード、さらにピリポによるエチオピア人宦官洗礼と
盛りだくさんの箇所ですね
シモンは聖霊授与の能力を金で買おうとするなど、ルカでは散々な書かれ方をしていますが
これも史実というよりは教訓としてシモンのエピソードに挿入されたもののように感じます
それからエチオピア人宦官洗礼のエピソードの最後に、さらっとピリポが姿を消し
別の町に現れる様が書かれてますが、「宦官はよろこびながら旅をつづけた」ことを
いったい誰が確認したのか分かりません
ピリポの「瞬間移動」と言い、ルカはかなり派手に創作しているような気がしてなりません
来週からはマルコですね
史的イエスを考える上でもっとも重要な福音書だと思うので
改めて新鮮な目で読んでみたいと思います >>893
atheistくん、こんばんは。
意外でしょうけど、ルカとヘレニストのリーダー格であったフィリポスは面識が
あっただろうと推定されています。
エチオピアの宦官がイザヤ書をお土産に買ったことも、フィリポスに解説を求めたのも
最近流行のキリスト教なるもののバプテスマを体験したいと申し出たのも事実でしょう。
カイサリアのフィリポスはヘレニストの中では有名人だったので、この逸話が尾ひれが
ついて広まっていた。その尾ひれの一つがワープでしょう。
ルカが創作したというより、尾ひれのついた話が出回ったいたのかもですね
明日・月曜日の聖句はマルコ1章です ルカ9:42
ἔτι δὲ προσερχομένου αὐτοῦ ἔρρηξεν αὐτὸν τὸ δαιμόνιον καὶ συνεσπάραξεν.
ἐπετίμησεν δὲ ὁ Ἰησοῦς τῷ πνεύματι τῷ ἀκαθάρτῳ
καὶ ἰάσατο τὸν παῖδα καὶ ἀπέδωκεν αὐτὸν τῷ πατρὶ αὐτοῦ.
ἔτι δὲ προσερχομένου αὐτοῦ 前+接+現分(男単属格)+(〃) 〜時に+で+近づいた+彼の
ἔρρηξεν αὐτὸν τὸ δαιμόνιον 三単過+男単対格+冠・中単主格 それは引き倒した+彼を+神霊は
καὶ συνεσπάραξεν. 接+三単過 そして+それは麻痺させた
ἐπετίμησεν δὲ ὁ Ἰησοῦς 三単過+接+冠・男単主格 彼は叱った+で+イエースースは
τῷ πνεύματι τῷ ἀκαθάρτῳ (冠・中単与格)+(〃) 霊を+不浄なるものを
καὶ ἰάσατο τὸν παῖδα 接+三単過+冠・男単位格 そして+彼は癒した+男の子を
καὶ ἀπέδωκεν αὐτὸν 接+三単過+男単対格 そして+彼は返した+彼を
τῷ πατρὶ αὐτοῦ.冠・男単与格+男単属格 父に+彼の
スロージューサー訳
で、彼の近付いた時、神霊はその子を引き倒し痙攣させた。
で、イエースースは不浄なる霊を叱った。
そして男の子を癒した。そしてその子の父に彼を返した。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-42.htm >>894
そうなんですか
だとするとルカはピリポから話を聞いていた可能性がありますね
ワープは明らかに創作されたものでしょうが、口承段階での創作なのかルカの創作なのかは
判別が難しいですね
マルコは一章ずつですか
二章ずつだと消化不良になりがちなので、よかったですw >>896
atheistくん、こんばんは 今日の聖句はマルコ一章です ルカ9:43
ἐξεπλήσσοντο δὲ πάντες ἐπὶ τῇ μεγαλειότητι τοῦ θεοῦ.
Πάντων δὲ θαυμαζόντων ἐπὶ πᾶσιν οἷς ἐποίει εἶπεν πρὸς τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ.
ἐξεπλήσσοντο δὲ πάντες 三複未完受+接+男複主格 彼らは驚愕させられていた+で+皆たちは
ἐπὶ τῇ μεγαλειότητι τοῦ θεοῦ.前+冠・女単与格+冠・男単属格 〜の理由で+壮大+神の
Πάντων δὲ θαυμαζόντων (男複属格)+接+現分(〃) 彼の+で+不思議に思って
ἐπὶ πᾶσιν οἷς ἐποίει 前+中複与格+〃+三単未完 〜に+すべて+ところのものに+彼がした
εἶπεν 三単二過 彼は言った
πρὸς τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ前+冠・男複対格+男単属格 〜に向けて+弟子たち+自分の
スロージューサー訳
で皆は神の壮大さのために驚愕させられていた。
で彼が為したことすべてに不思議に思っていた。
彼は自分の弟子たちに向けて言った。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-43.htm >>897
権威付けのためのイエスの系譜や誕生譚を語るマタイやルカ、イエスの神学的存在論を語るヨハネ
と異なり、マルコの福音書冒頭はいきなり洗礼者ヨハネから始まります
洗礼者ヨハネがどのような存在であったか、イエスとはどのような関係にあったか、ということも
重要なテーマですが、ともかくもマルコは他の福音記者と同様、ヨハネによるイエスの洗礼という
エピソードを綴ることからイエスの物語を初めます
そのあと、サタンの試みについては簡単に言及するに留め
ガリラヤでの宣教、弟子の獲得、癒やしの奇跡等をこれまた簡潔に記していきます
マルコに特徴的なのは、24-25節、43-44節に見られるように、「メシアの秘密」です
このメシアの秘密を事実とみなした場合は、当時ユダヤ人の間で流布していた政治的メシア像と
イエスが自己規定していた宗教的メシア像(苦難の僕)との乖離がメシアの秘密の理由であると推測されます
メシアであることが人々に知られると、イエスは受難、贖罪という苦難の僕としてのメシアの業を
政治的メシアを期待する民衆に阻まれてしまうため、自身がメシアであることを秘密にせよと言ったのだ、
というわけです
これに対し、自身をメシアと認識していなかったイエス(あるいはメシア認識の書かれていない
原資料)と、イエスをメシアとする教会教義の乖離を埋めるため、マルコが創作したイエスのことばが
メシアの秘密である、というリベラルな考え方があります
先生はどちらかというと後者の考えだと思うのですが
このメシアの秘密に関してはどのようにお考えですか?
私はこれは確定するのが難しい問題だと思います
これまでも何度か言ってますが、イエスに関する史実を知るための史料が
宣教の書である福音書にほぼ限られてしまうため、史実と創作(教義的構成)を峻別することが
極めて困難だと思うからです
それを承知の上で言えば、私はイエスにメシア意識はあったと思っていますが
メシアの秘密の史実性はやや疑わしいのではないかと思っています >>899
24-25節は、汚れた霊の追い出し
43-44節は、らい病癒し
ですね。
私はマルコは単に、
イエースースがヨハネからバプテスマをされたことをトリガーにして
天から霊能力が鳩のようにイエースースに憑依し、超自然能力をゲットした。
それが汚れた霊の追い出し、病癒しであったと思います。
マルコは冒頭で、イエースース・クリストスの福音の始めと言ってますので
秘密も何もメシア=クリストスなので、メシアはイエースースの称号です。
少なくともマルコにとってはメシアであり、教会にとってもそうであったのでしょう。
とはいえイエースースが、自身でメシアと自称した訳では無いと思います。
ヨハネのバプテスマというのはとても荒ぼっく、川に沈めて溺死させ
溺死するー 苦しいという臨死体験を経て、
引き上げられて再生するという、臨死+新生の儀式です。
荒く強制的な霊的な覚醒術であったのでしょう。
これによりイエースースは霊的に目覚めて、霊的な公生活がはじまったのでしよう レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。