>>805-806
ありがとうございます
こういう時期ですから面会謝絶は仕方がないですね

実際にどれほどの献金を集めたのかは分かりませんが
トータルの教会運営を資金面からも助けたという意味ではパウロの働きはやはり大きかったのでしょうね
3節でパウロが言わんとしたことは「神を謗る者の謗りがイエス・キリストに降り掛かった」ということで
その謗りを受けたキリスト同様、我々も偶像に捧げられた肉を我慢すべきだ、とパウロは言ったわけですね

22節の「こういうわけで」という接続小辞は論理的に意味をなさないので、とりあえず無視でよい、と
事実としてはローマはすでに宣教が行われていた地であるにもかかわらず
パウロはローマを宣教未開地として語っている、ってことなんですね
それまでの宣教者を正規の宣教者とはみなしていないことになるので、これは傲慢以外の何物でもない
ってことになっちゃいますね

さていよいよローマ人への手紙も最終章ですね
と言ってもこの章は挨拶がほとんどなので、説教部分は少ないです
ざっと見た限り、パウロが挨拶(紹介)している人々の中で女性と思わしき人は
姉妹と書いてあるフィべ以外は、あくまでも名前の印象ですがプリスカ、アクラ、マリヤだけのように見えました

初期教会での女性の割合はだいたいどれくらいだったんでしょうね
ユダヤ教では女性の働きはミニマムでしたが、女性差別主義者に見えるパウロですら
何人かの女性の名を挙げているくらいですから、キリスト教における女性の役割というのは
大きかったんだろうと思います

苦手なパウロの手紙でしたが、意外にも以前感じたほど難儀はしませんでした

来週からは箴言ということですね
諸行無常の響きがあるコヘレトやちょっとエッチな雅歌などは強烈に印象に残ってるんですが
似たような知恵文学の箴言はほとんど印象に残ってません
なんか処世訓みたいな感じで、なんで聖書に入ってるの?って感じでしたが
今回は印象が変わるのかどうか、ちょっと楽しみです