>>837
賢明な者であれば、何か悪いところがあってそれを叱った場合でも
正しく自分の非を認識して、それを教えてくれた者に感謝する、って感じですかね

真夏の農作業は、強烈な太陽に照りつけられるだけではなく、土や草から発される熱気を帯びた
水蒸気で蒸し風呂みたいな状態になりそうですね
想像しただけでも疲れてしまいますw

さて11-12章ですが、ここも10章に引き続いて善人と悪人(正しい人と悪しき人)の対照句で綴られる
詩歌的な箴言集になってますね
それゆえ、全体としては10章同様、取り立てて言うことがないのですが
一部意図が不明な箇所があります

11章15節は、他人のために保証する者は連帯責任で債務を肩代わりすることになる場合があるので
苦しみを受ける、それに対し保証をきらう者は、他人の債務を負わされることがないので
安全である、と言っているように読めますが、これは極めて実利的な観点からの箴言で
全体的な善人・悪人という対照とは異なるような気がします
なぜこのような節が挟まれているのでしょうか?
古代ユダヤ社会では保証人になる人間は愚か者だというのが常識だったのでしょうか?