>>840
昨日は疲れていたのでそのまま寝てしまいました

11章15節は6章冒頭部の保証人となって罠にかかった場合を受けているってことですね
たしかに安易に保証人になってしまうと、そのために財産を失い家族を路頭に迷わせることも
あったでしょうから、そういった深慮のない行為を慎むように言ってるのかもしれませんね

先生の親戚の場合のように、保証された側が返済できなければ
親類である分だけ余計に負い目が大きくなるというのもあるでしょうから
そういった意味では保証人・被保証人ともに安易な保証は避けるべきという
現実的な知恵だったのでしょうね

さて休日分の使徒行伝はペテロとヨハネが足萎えの男を癒やしたことではじまるペテロの演説エピソード
ですね

ペテロは、この癒やしはイエスの名とその信仰によってなされたものであり
そのイエスをみなが十字架に掛けたのであって、それを悔い改めキリストを信ぜよと力強く語ります

この前読んだときにはスルーしてしまいましたが、ここでも信者は五千人ほど増えたと
語られています
ペンテコステのときと同様、こんなペースで増えていたら、ユダヤあるいはローマの史料に
なんらかの形で残るでしょうから、ここも誇張であるような気がします

とはいえ、この演説は当時の初期クリスチャンたちがイエスとその受難をヘブライ語聖書に基づいて
どのように解釈していたかがよく分かる箇所なので、その意味では重要なのだと思います
また3章21節は前に先生が言っていた万物更新というルカ的な歴史認識が語られている箇所である
という意味でも重要な箇所ですね