>>852
やはりユダヤ教では富は恵み、というのは揺らがないんですね
とはいっても富があれば万事OKではなく、傲慢にならず隣人を愛することの大切さを説いているように
思います

主を恐れることは最初の方の章からずっと出てきてましたが、やはり箴言の中心的な教えと
いうことのようですね

ここでもエジプト神話の影響がありそうだ、ということですか
先生的には君主による自己肯定ってことですね
ソロモンないしは王や王族によって書かれているとすれば、まさに王による自己肯定ということ
なのかもしれません

さて17-18章ですが、ここは正しい者と悪しき者の対照を背景にして入るんでしょうが
主に悪しき者についての箴言になっているように思いました

ここはけっこうわからないところがあります
まず17章6節は何が言いたいのでしょうか
また17節の「兄弟はなやみの時のために生れる」というのもいまいちよく分かりません
友というのはどんなときにでも愛してくれる存在だが、兄弟というのは悩みがある時のために
存在するのだ、みたいな意味でしょうか?

18章では8節が分かりません
この表現だと、人の善し悪しをいう者の言葉は良いものであるような書き方になってますが
普通の感覚だと、人のことを善いだの悪いだの論うのは良くないこととされているように思います
ここは実際にはどんな意味で書かれているのでしょうか?