>>876
事を隠すというのは神の摂理は人間には測り難いということですね
13節はイスラエルの麦の収穫が真夏で、その真夏冷ややかな雪が降るように
ありがたいことだ、ということですね
26章1節の場合はそのようなありがたいことが真夏に似つかわしくないように
誉も愚か者には似つかわしくない、ということになるわけですね
21-22節は、箴言の場合も、それを引用したパウロの場合も
敵に優しくしておけば神が復讐されるという、イエスの愛の教えとは異なった教えですが
現実的にみれば、敵を愛するというのは難しいわけで、それでも仕返しをせずに優しくするための
実践的な教えとしては機能する、という感じなのでしょうね
ある意味イエスより現実的と言えるかもしれません

>>877
26章の4節は愚か者と同レベルになって語るな、ということですね
それに対して5節は愚か者に対してそのレベルまで下って相手に分かるように語ってやれ、って
ことでしょうか
4節は言い争いに関して同レベルになるな、5節は相手のレベルにまで下がって説明してあげよ
っていうことになるのでしょうね

さて27,28章ですが、ここは現代でもそのまま通じるような箴言が多い一方で
やはり何を言っているのか分からない箴言もあります
まず27章16節の「右の手に油をつかむ」という比喩が分かりません
それから17節の「人はその友の顔を研ぐ」というのも分かりません

28章では、6節が目に付きます
これまで富を神の恵みとして語ってきた箴言ですが
ここでははっきりと富よりも正しさのほうが優先されると語っています
それから8節はそれとは打って変わって、今度は利息や高利が貧者に恵む者のための
蓄えとして肯定されているように思いますが、ここはそういった意味ではないのでしょうか