>>880
27章16節の「油をつかむ」というのは掴むことができない、つまり制御や統御が不可能だ、ということですね
17節は原文直訳だと何言ってるか分かりませんね
各日本語訳は、要は友によって心なり人格なりが研鑽されるってことですね

28章8節は利息・高利で儲けた金は儲けた人自身の富になるのではなく
結局貧者に恵む正しい人のために蓄積されることになるものだ、だからそんなやり方で蓄財するな、
みたいな感じでしょうか

さて29章ですが、ここでは13節が目に留まりました
虐げる者と虐げられる者はともに神によって命を与えられた者であり
社会構造によって生み出されたものではないという世界観があるように感じました

それから15節や17節、あるいは19節、21節に見られるように
懲らしめというのが人を正しい道に留めるための
肯定的な行為であるということが強調されています
これは箴言全体を通してそうでしたが、厳しい躾が人間には必要だと述べているように思います

29章の疑問ですが、5節の意味が分かりません

30章は具体的にアグルという人の言葉ということになってますね
4節のその名は何か、というのは神だと思いますが、その子の名は何かというのが分かりません
新約ならイエスということになるでしょうが
8-9節は経済的な中庸を説く教えで、かなり現実的だと思いました
15-16節がよく分かりません、特になぜ蛭なのか、なぜ不妊の胎が飽くことを知らないのかが分かりません

それからこれは一種の修辞なんでしょうが、~が3つある、いや4つあるというパターンが繰り返されてますね
けっこうその例自体は面白いです