>>900
あ、「メシアの秘密」というのは、悪霊やイエスによって癒やされた人がイエスの正体を口外することを
禁じるイエスの発言のことです

ドイツの聖書学者ヴレーデという人が唱えた説だそうで、私はコメンタリー等で言及されていたことで
このフレーズを知りましたが、以前から疑問に思っていたことなのでお聞きしました

簡単に言ってしまうと、なぜマルコはイエスにメシアの正体を口外することを禁止する発言をさせたのか?
ということで、ヴレーデは教会のメシア認識と、マルコが用いた原資料のメシア認識の不在の間隙を
埋めるため、マルコが創作したと考えているようです

先生的にはヨハネによるバプテスマを契機にしてイエス自身が霊的に目覚め、病気の癒やし等の
活動を開始した、という解釈ですね
メシア認識に関しては、イエス自身はそういった認識がなかった、少なくとも自称はしなかった、
ということですね

さて2章ですが、中風患者の癒やしにまつわるエピソードから始まって、取税人レビ(マタイ)のリクルート、
イエスと律法学者たちの有名なやりとりなどが記されています
特に17節の有名なイエスの言葉、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」はイエスの宣教の意図を
端的に表したものだと思います

また早くもこの段階でマルコはイエスに後の受難を予告させています(20節)

21-22節は、一般に新しい教え(イエスの教え)はユダヤ教の古い教え(ユダヤ教の慣習や律法主義)には
適合せず、新しい教えには新しい行動様式が伴わなければならない、だから罪人と食事をしても
断食をしなくても、安息日に穂を摘んでも構わないのだ、というようなことでしょうか
少なくともこのようなイエスの教えと行動は旧来のユダヤ教からすると冒涜とも思えるような
大胆な教えと行動であったと思います

これは前にもお聞きしたような気がしますが、27-28節のつながりがまだよく分かりません
27節は分かるのですが、なぜ「それだから」人の子は安息日にもまた主なのである、とつながるのでしょうか?