>>909
昨夜はそのまま寝てしまいましたw

なるほど、原語的に見れば「奥義」も「他の者たち」もはるかに排他的、閉鎖的な印象が強まりますね
福音書全体から得られるイエスの言動の印象は、古代ユダヤ社会にあって極めてオープンなもの
だったような気がします
それは取税人や罪人たちとともに食事をするといった行動によく現れています
ですからこのような排他性や閉鎖性は、やはり弟子たちに由来する部分が大きいのではないかと
いう気がどうしてもしてしまいますね

さて5章ですが、ここもまた有名なエピソードが並んでいますね
まずはレギオンに憑かれた人とブタの大群のエピソード、続いて長血の女のエピソードと
少女の復活のエピソードですが、事の真偽は別にして、ここでのイエスは悪霊を追い出し、
不治に見えた病を癒やし、死人を復活させるという、かなり劇的な奇跡の担い手として描かれています

ここでの質問は「レギオン」についてです
もちろんレギオンはローマの軍団のことで、このエピソードでの悪霊も集団であることを
レギオンという名の理由として述べています
しかし単に大勢、集団だからレギオンという名を用いているというよりは
ローマ軍に対する暗黙の批判が込められているようにも思えます
ここではローマ軍=悪霊といったような批判意識がマルコ、あるいはこのエピソードの伝承の担い手たちに
あったと見ていいのでしょうか?