>>911
5000人前後というのは相当な数ですね
当時のユダヤ人にとっては圧倒的な力の差を見せつけられるような数だったのでしょうね
当然そんなローマ軍に逆らうことなどできず、逆らったとしてもマサダの砦のように
全滅を覚悟しなければならないような状態だったでしょうから
初期のクリスチャンのみならず、ユダヤ人一般にもローマに対する鬱積した感情が渦巻いていたのでしょう

さて休日割当分は使徒のいわゆる「サウロの回心」の箇所ですね

8章冒頭も9章冒頭もパウロが如何に迫害の先頭に立っていたかを描いていますが
これは回心の劇的な性質を際立たせるための描写でもあるのでしょう

ただパウロがクリスチャンを迫害していたのは事実だったでしょうから
そんなパウロがなぜ180度、態度を変えたのか、ということは問われると思います
以前の先生のお話だと、おそらく熱中症による幻覚をきっかけにしたのだろうということでした

積極的にクリスチャンを迫害していたということは、ある意味それだけイエスやクリスチャンに対する
関心が高かったとも考えられるので、もしかしたら回心前からある程度の真実味を感じていたのかも
しれません

パウロはゴリゴリのパリサイ派ですから、イエスの復活ということもそれなりに信じられる心理的土壌が
あったのかもしれません

回心のきっかけは別として、パウロが宣教の先頭に立つほどにキリスト教にのめり込んでいったのは
どのような理由からだと先生はお考えですか?