>>931
すみません、途中で送信してしまったようです

続きですが、
ただ水上歩行や食糧増産などは必ずしも奇跡の受けてがいるわけではないか、あるいは
受けてがその奇跡を信仰しているわけではないようです
こういった奇跡についても、やはり創作ではなく聖霊による奇跡だとお考えでしょうか?

さて7章ですが人の定めた戒めと神の戒めを対比し、神の掟の重要性を述べていますね
口に入るものではなく、口から出ていくものこそが人を汚す、と

ここはけっこう宗教的には重要で、19節にあるように、イエスはユダヤ教の食事規定には
まったく拘っていないことがわかります

このあたりも形式主義的、儀礼主義的なユダヤ教に対して、実質主義的、精神主義的なイエスの教え
の新しさと言えるのだと思います

後半はマタイのところでも出てきた異邦人の女の話で
どちらかというとあまり評判の良くない27節のイエスのことばがある箇所です
ここは以前にも書きましたが、私はイエスの福音伝道のユダヤ人優先の姿勢が現れていると
思っています
ただユダヤ人優先というのは、ユダヤ人のほうが救いに近いとか優れているとかいったことではなく
神の民であるユダヤ人がまず悔い改め、そしてそのユダヤ人を通じて福音が世界に広がっていくことを
イエスは構想していたように思います
具体的にはイエスの弟子たちによって

31節以降の聾唖者者というか耳が聞こえない人のエピソードでもまたまた「メシアの秘密」が
描かれています
わたしにはマルコはこのメシアの秘密に非常に拘っているように思えます