続き。
7:19のイエースースの議論には違和感があります。
1.食事前に手を洗うのは現代でも普通のことである
2.外から入るモノは悪さしないという議論には意義がある
 衛生的にも手を洗う方が安全であり、幼稚園児の時代から我々は
 習慣づけられている
3.しかも素手でパンを食べるのに手を洗わない弟子たちは
 マナーがなっていない。リーダーとしてあなたは注意指導すべきである
4.「人の心の中から、悪い思いが出て来る」の議論はその通りだが
 衛生問題と次元の異なる話である

ツロの女の話。
イエースースは、この異邦人の女性にあって進化します。
異邦人よりユダヤ人の救いを優先するという民族主義を、
この女性の信仰に接して脱し、区別なく救います。
しかーし、この話は実話では無く、後の教会のドグマによって
作られた作り話です。
なぜなら、史実のイエースースに対して「主よ」という呼び方をする者は
皆無だったからです。ユダヤ教が神に祈る際に「主よ、主よ」と祈っていたのを
その後のキリスト教会がイエースースに対して使用しだし、使用しだすと
イエスの逸話にも「主よ」という呼びかけが使われる様になったのです。
それで、この逸話は後世の作り話だとわかります。
が、教会がユダヤ主義を捨て、コスモポリタンに脱皮した故に形成された逸話ではあります