>>936
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ9章です。

12節の原文は、「γενεα時代・世代+ αυτηこの」で、私は「この時代」と訳しました
「この世代」と訳すると、イエースースを試みようとしたパリサイびとに対して
「おまえたちの世代」にはしるしを与えられないという意味が端的となります。
つまり、「相手を試すためにしるしを証拠として求めるような時代・世代には
しるしは与えられない」ということです。

まあでも小5の私は、クラスメートに「しるし」を求められて
クラスメートの前で「しるし」を三度示しました。結果に喜んで
そして教会で報告すると、怒られてしまいました。
「奇跡をそういう風に利用するのは神を試す罪となるので決してしてはいけない」と
イエースースは小5の私と違って相手にしなかったわけですね

籠の原語は、五千人の時と四千人の時は別の単語を使い分けていますので
マルコとしては二つを区別しているようですが、議論の本旨は
イエースースが
1.パン種に気をつけよという議論をしたのはパンが一つしかないことではなくて
 パリサイびととヘロデのようになると注意したわけです。
2.しかし弟子たちはパンがひとつしかないことばかりに気を奪われて
 イエースースの話の本旨に関心がいってません
3.そこでイエースースは、五千人に五個のパンを分けて余ったパンくずが12籠に
なったこと。つまりみんなが満ち足りた事を思い出させ、一つのパンで飢餓を
心配する弟子等にそんな心配はないと教えているわけです。
そしてイエースースのパンだねの比喩に注目するように促しているわけですが
4,更に追い打ちで四千人の時のパンくずの籠も思い出させようとしているわけです

パンくずの籠は、五千人や四千人が満ち足りたことを示しています。
イエースースと共にある時、一つのパンがあれば、千人が満ち足りるのです