>>939
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ10章です


13節エリヤはバプテスマのヨハネのことですね
症状的に見て癲癇ですが、原文は聾唖の霊。癲癇という言葉がギリシア語にも
あるのに使われてません。ポイントはここでも信仰で、23節。
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
父親が治ると信ずるならば、病気は治る。
お前さんが信じてないから、弟子たちが癒しても無効なのだということ。
24節で、はっと気づき悔い改めた父親は
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と方向転換します。
そして治癒します。奇跡が起こったわけです
28-29節は、27節までの奇跡物語を受けての後代の付加です。
初期キリスト教界が「癲癇に対して悪魔祓いする際のテクニックとして祈りを
用いた」ということです。で、重要な二本以外のほぼ全部の写本は「祈りと断食」となって
おり、更に「断食」が増し加えられていますが、正文批判の結果、「祈り」だけの
方が原形に近いと言う事になっています。

まずゲヘナの火は、永遠に燃え続ける「消えない火」です。
我々罪びとは、その「消えない火」で焼かれ続けて、罪を消毒されて
罪を塩的にされて、罪を浄化されるということですね。
原文は「塩」という名詞に他動詞語尾をつけて「塩的にする」という言葉です
古代ではものを保存する時に塩漬けにしました。
例えば神殿への犠牲獣の奉納は塩漬けにされました。腐敗防止ですね
レビ 2:13あなたの素祭の供え物は、すべて塩をもって味をつけなければならない。
あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。
すべて、あなたの供え物は、塩を添えてささげなければならない。

ゲヘナの火で焼かれると、結果塩漬けにされるというアイデアは意味不明ですが
そう書かれています