>>940
13節のエリヤはそのままバプテスマのヨハネでいいってことですね

なんで聾唖の霊なんでしょうね
マルコがあまりこの類いの症例に詳しくなかったのかもしれません
ここでも治癒を受ける側の信仰が問われているということですね

28-29節はイエスの発言ではなく、初期キリスト教における悪魔祓いの技法が
イエスの発言として挿入された箇所なんですね

火と塩の部分は、まず日で焼かれることで罪が塩化(浄化)されるというような当時の考えと
供え物は腐敗防止のため塩漬けにするという宗教的習慣から来る、塩は宗教的に良いものという考えが
結びついて、このような聖句になった、って感じですね

さて10章ですが、冒頭は離縁否定の教え、それから素直に神の国を受け入れる幼子の喩え、
そして金持ちの青年のエピソードと続き、受難の予言、仕えることの重要性に関する説教、
最後に盲の癒やし、という感じで、やはり教えやエピソードが簡潔に連続しています

ここでの質問は、以前も聞いたことかもしれませんが18節のイエスのセリフに関してです
ここではイエスは神と自分をはっきり分け、善なる者は神一人と言い切っています
マルコはイエスを「メシアの秘密」に見られるようにメシアとして描いてはいますが
神としては描いていません
のちのルカやヨハネでは神格化が進み、イエスを実質的に神として描くようになっていきますが
マルコの認識としては、やはり神に遣わされた者、神に特別に選ばれたメシアという認識であるように
思います

先生はこのイエスのセリフは真正のものとお考えですか?