>>968
ありがとうございます

一応推定では60年代後半なので、神殿崩壊以前ということになりますが
ユダヤ戦争中ではあったので、それが終末思想に結びついて先鋭化した描写に
なっていったのかもしれませんね

14節はダニエル書やマカバイ記に由来するイメージで
26節の雲に乗るイエスというのもダニエル書のイメージをそのまま持ってきた、ってことですね
ダニエル書が新約の終末思想に大きな影響を与えていることがわかりますね

さて14章は、イエスの塗油、最後の晩餐、ゲッセマネの嘆き、ユダの裏切り、イエスの捕縛、
ペテロの裏切り、と有名なエピソードが目白押しの箇所ですね

これまでのヨハネやマタイの福音書でも同じエピソードが語られてきましたが
マルコはこれまで同様、エピソードについては比較的簡潔に記しています

この一連の流れの中で気になるのは、やはりイエスの人間的な苦悩を記した33節から36節あたりの
ゲッセマネの嘆きの箇所です

おそらくこういった人間的な弱さを示すエピソードは、メシアの記述にはふさわしくないはずだったで
しょうから、史実としての真実味があると思います

神学的な解釈は一旦置いておくとして、仮にこの苦悩、嘆きが事実であったとしたら
わたしはやはりイエスはほぼ意図的に受難を引き受けたのだと思います

51節の「ある若者」に関しては、伝統的にはマルコ自身だと解釈されていたと記憶していますが
先生はこの若者は誰だと考えていたんでしたっけ?たしかヨハネ福音書を読んでいたときに
エルサレムや弟子たちに詳しいことから、特定の人物を推定していたと思うのですが、
失念してしまいました